鋼の法を持つ男

国が定めている法律だけが法律じゃないんだから、「法の番人」というのも、国が雇っている人のことだけを言うのではないと思う。

国が雇っていない方の法の番人は、覆面パトカーや私服警官のようなもので、どこに潜んでおるのかわからん上、老人かもしらんし、若者かもしらんし、男かもしらんし、女かもしらんという怖さがあるのだが、雇い主に実態がなくて、確たる雇用契約もないみたいだから、俸給が発生しない。つまり、彼らは皆、見上げたボランティア精神の持ち主なのである。しかしながら、残念ながら、烏合の衆は烏合の衆。そんな、責任感に乏しいボランティアに、それも一切統制のとれていない烏合の衆に、「法律を守る」という重要な役目をやらせるというのはいかがなものか。だいたい、誰がやらせているのか。誰が雇用主なのか。そして、彼らが自らボランティアを名乗り出てまでして守らんとする法律は一体どこに、何の為にあるのか。

彼らが守らんとしている法律は、彼らの外ではなく内、彼らの中にある。そしてその法律は、彼ら自身の為だけにあって、その色形は彼らの頭数だけあって、全く同じものは一つとしてなくて、てんでバラバラなのだが、これを巧妙に、同じ一つのものであるかのように見せて、一つの呼び名を設けて、手に手をとって仲良く協力し合ってこれを守っているようでありながら、内実は皆が皆、てんでバラバラな方向を向いて、てんでバラバラなことをしている。だから、つまり、やはり、雇用主などはなっから存在しなくて、誰かがやらせているということではないのである。それぞれがそれぞれの都合で勝手にやってるだけ。だからこそ、ボランティアであり、烏合の衆なのである。

それぞれが別々の法律を持っている。でも、これを守るに自分一人では不安なので、自分と同じような臆病者を見つけてきては結託。同じ一つのものを協力し合って守っているかのような錯覚に酔い痴れて安心しているが、烏合の衆は烏合の衆。本当は皆、バラバラな方向を向いてバラバラなことをしているだけなのである。

たまに彼らが、警棒で肩をポンポンしながら近寄ってきて、「抜け駆けは困りますなあ」とか「出る杭は…何というんでしたっけ?」などと脅迫としか思えない言葉を投げかけてくることがあるが、気にするこたあない。そんなものは相手にするだけ無駄。たとえその時、自分が一人で相手が十人という完全なる多勢に無勢であっても、見える目で見りゃ相手は一人、何人いようが一人なんだから、まったくもって恐るるに足らん。自分の中に強靭な法律があれば、絶対に負けることはない。


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