ダメはげ

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旧ザクー通称「はげザク」。たいがいモビルスーツは皆、ハゲているのではなかろうか。フサフサのモビルスーツなんて見たことがない。

はげザクは、ロボットの分際で斧を持っている。斧を持っているのに、必殺技はショルダーアタック。一体何の為の斧なのか。たぶん、一応斧を持って出動はするものの、戦場に到着するやいなや「こんなんいらん!」と言って斧を投げ捨て、「ええいままよ!」と勝手に投げ槍、異常に腰の引けたショルダーアタック。我がの投げ捨てた斧につまづいて顔面を強打。斧に向かって「アカンやんか!」と八つ当たりしながら立ち上がって回れ右。「やったった…」と呟いてドヤ顔で帰艦していくはげザクに惜しみのない拍手を送るガンダム。

はげザクは、いらない。


夢の爆破を構築します。

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「残念な仕上がり」とはつまりこういうことを言うのだろう。どこをどう間違えたらこんなことになるのか。とても気持ち悪い。
ガンダムのプラモを買ってきた子供に「作って」と言われた親父が「できた」と言ってこれを見せたら、子供、泣くと思う。


夢、爆破します。

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戦争する事を主たる目的として製造された機械だということは百も承知であるが、人型にする必要性を微塵も感じないのは私だけだろうか?また、ゲルググにわざわざ日本の伝統的な武器である薙刀を持たせていることに違和感を感じているのは私だけだろうか?また、ジオングに、戦争する事を主たる目的として製造し、操縦士を男にしたにも関わらず、スカートを履かせていることに違和感を感じているのも私だけだろうか?それから最後に、どう考えても役立たずの捨て駒、ただやられるためだけに出動するわりにはコクピットが無駄に広く、3人くらい乗れてしまうボールを製造し続けることに何の必要性も感じないのも私だけだろうか?

本当に、私だけなのだろうか?


ライフワーク150

思えば、旧ブログ「イッケイノウタ」が始まったのが2009年3月31日のことだったから、「イッケイノウタ」が終わって「一憩合格」が始まるまでの間に若干の休止期間があったとはいえ、私のブログ歴も4年を越えたことになる。なかなかのベテランだ。そこで先日、管理人に連絡をして、当ブログのここ一ヶ月間の読者数を調べてもらった。4年以上ものキャリアを誇りながら、読者数5人とかではやっとれんと思ったからである。しかし、蓋を開けてみれば、読者数は以下の通り、5人とかではなかったのである。

<PC読者>
118名
<スマホ読者>
44名
<携帯読者>
21名

PCで見てくれている人の中には、スマホや携帯でも見てくれている人もいるだろうから、そういった重複を差し引くと、当ブログの読者数は150名くらいといったところだろうか。一時期と比べるとかなり減ったが、あの時期の読者数が異常といえば異常だったので、バンド活動等、表立った活動を一切していない中での150という数字はなかなかのものだと思っている。世の中には、マニアックな人がいるものである。有難い。ただ、贅沢を言えば、皆さんもう少しコメント入れてくんねえかなあ…とは思っている。思ってはいるが、以前のように、読解不可意味不明なコメントを連発されるよりはマシか…とも思っていて、複雑である。


伊達讃歌

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最近、梅雨ということもあり、若干気分が滅入りがちである。そんな中、私が即効性のある気分高揚剤として重宝しているのが、先述の自分で作るレモンチューハイと、YouTubeで観る漫才である。
YouTubeで観る漫才。中でも繰り返し観ているのが、サンドウィッチマンの漫才、及びコントであり、彼らのネタを観るにつけいちいち感動、感心するのは、この伊達みきおのツッコミである。

今現在、お笑い界最強のツッコミは間違いなくみきおだと思う。一年ほど前に某雑誌が行った「最強のツッコミは誰?」アンケートに於いては、オードリーの若林が一位に輝いていたみたいだが、冗談じゃない。伊達みきお、みきおこそが最強である。めちゃくちゃ面白い。

「お前馬鹿か。なあ、お前馬鹿だろ」で勝負アリ。ボケに乗っかる形で「俺は○○か」と言った際に、○○に持ってくる言葉のチョイスも、声の張り方も完璧。「馬鹿野郎」という言葉の斬れ味なんて、あの北野武以来である。また、風貌がいい。いつ見ても「昨日、ヤクザに殴られました」的に目を腫らしている富澤と並んだ時のコントラストがなんとも言えず素晴らしい。

彼らのネタは全て面白いが、私が特に気に入っているのが「食レポ漫才」と名付けられているネタ。みきおが店長のラーメン屋に、富澤がTVの食レポとして来店するネタなのであるが、これが猛烈に面白い。私はもう何度も観ているが、何度観ても面白い。YouTubeで観られるので、是非とも観ていただきたい。みきお節全開の爆笑ネタである。


今夜すべてのキッチンで

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最近、自分で作るチューハイにハマっている。グラスに5:4:1の割合で麦焼酎(悪酔い対策の為、20度)と炭酸水とポッカレモンを入れて拵えるのである。

それにしても、真夜中に暗い台所で一人、チューハイを拵えて飲んでいるーこれではまるで、不細工なキッチンドランカーの主婦ではないか。

煙草を吸いながら、色々なことを考えている。冷蔵庫に「阪神タイガース甲子園観戦チケット1000名様プレゼント!」という応募ハガキが貼ってあり、よく見ると広島戦のチケットだったので、「広島かい!」とか、実に様々なことを考えている。


オノレアリキ目です

「他人の為」という言葉の人聞きの良さったらない。逆に「自分の為」という言葉の人聞きの悪さったらない。が、人間、残念ながら、私の旧友がかつて、彼自身の歌の中で言っていたように「調子良い時だけ優しい気持ち」な生き物なのであるから、まず「自分の為」ありきで、これが地盤で、この上にようやく「他人の為」が成り立つんだと、私は思っている。

自分自身に余裕があって初めて人に優しくできる。だから私は、「自分の為」を上手くできる人間のことを「大人」と呼ぶんだと思っている。

「自己犠牲」なんてちゃんちゃらおかしい。あれは完全に絵空事。発想が幼な過ぎる。嘘丸出し。きっとどっかの、トチ狂った、友達が一人もいない不細工な宗教家が発明した言葉に違いない。


自虐的笑いの巨匠

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明後日、6月19日は太宰治の誕生日。なので、早速今日の新聞に特集記事が組まれていた。見出しに大きく「ダメ男小説 ユーモア込めて」とある。そして、記事の左端には「己を見つめ、笑い飛ばす」とある。

私が「太宰治が好き」と言うたび、お約束のように眉をひそめる人がいる。太宰ファンとしては、ダザイストとしては、このお約束リアクションに対応するのが非常に面倒臭い。もうええわ!と思う。なぜなら、そうやって「太宰治」と聞いてベタに眉をひそめる人の大半は、太宰さんの作品をまともに読んだことのない人たちで、太宰さんのことを「自殺願望炸裂ドM野郎」という情けないイメージでしか捉えていない人たちだからだ。

太宰治の本領はユーモアにあり、笑いにある。太宰さんの場合、彼の存在と人生そのものがユーモアと笑いの塊なので、彼の作品をガッツリ読み込んだ後では、彼自身の自殺に限って言えば、自殺であるにも関わらず、何故か結構笑えてしまうのである。

自伝的要素の強いダメ男小説を書き続けた挙句、ベタに自殺。それも4度目でようやく成功。これっぽっちも哀しくない。むしろ、笑える。だいたい、私に言わせれば、彼の遺した名言「生まれて、すみません」は、あれは完全に一発ギャグだ。