夏に抗え!

夏という何の取り柄もない迷惑な季節の只中にあって、生きる気力を奮い立たせるのは至難の業であるが、昨日、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで素晴らしいものを見つけた。

目を疑った。レジの後ろに煙草が並んでいて、その左端最上段に「ROCK」の文字。このご時世に¥280という価格が問答無用にロック。味も上々。まさに俺の為に、俺の為だけに登場したかのような煙草である。

仕事中、腰にぶら下げているバッグに入れてみたらこれがまたイイ感じにI❤️ROCK。

ちなみに先日はこれを買った。

古着とはいえオフィシャル物なので割と高かったが、生きる気力を奮い立たせるのが目的であることを思えば安い買い物。ビートルズやストーンズではなくラモーンズというところに俺の今夏を乗り切らんとする意気込みが表れている。

夏こそ熱いものを食えとか飲めとか無茶なことを言う人があるが、俺に彼らを批判する資格はない。そう、夏こそ熱いものを吸ったり着たりすべきである。


俺の中の森で

ネットで新曲『the answer song』のイメージに合う絵を探していて偶然見つけるまで、この絵の存在を知らなかった。初めて見た時の衝撃は筆舌し難い。調べてみたところ、ロシアの「移動派」の画家、イワン・クラムスコイが1880年に発表した《月明かりの夜》という作品であることがわかった。

俺、割と長いことソングライターやってきた。作曲というのは、他の芸術同様、自分の中にあるものを外に出す作業だと思うんだけど、長いことやってると、やってるうちに、逆に、自分の中に形作られていくものがあるのを感じるようになって、それがまさにこの絵全体から受ける印象そのものだと思った。

バラードを書く時…っていうか、深くメロディーを思う時。音楽を一人の女性に例えた曲を書く時。音楽を人として感じたいと思う時。いつも自分の中に女の人の気配があるのを感じていた。はっきりとした姿形は靄がかっていて見えないんだけど、その都度、なんとなく想像できる姿形があって、それを曲として自分の外に出してきたような感覚がある。で、この月明かりに照らされて偉そうな座り方をしている女の人を見つけた時、「この人や!」と直感した。

画家だった親父は生涯に渡って自分の妻(俺のおかん)を描き続けたが、「僕はあの人を描いてるわけじゃない。あの人を通して僕の中におる大きな女の人を描いてんねん」とよく言っていた。言わんとしてること、今なら痛いほどよく分かる。

ライブの時、ステージ上にこの絵の巨大なタペストリーを掲げて歌えたら最高だろうなと思う。いつか本物を見てみたい。

 


カンニングペーパー美麗

ライブまで1カ月を切った。そして今日、ようやくセットリストが決まった。

俺、歌詩は覚えられるのに、セットリストが覚えられないので、セットリストについてはいつもカンペを用意してる。それも、裏紙やなんかに書き殴ったものだとテンションが上がらないので、それなりに意匠を凝らしたものを用意している。で、今回はコレ。俺の気合いの程が窺えるだろう。左上にセットリストが書いてある。

個人的に出演できなくなったり、イベント自体が中止になったりしないことを切に祈る。


47位の男

人気ブログランキングというのがある。その中に「シンガーソングライター」という括りがあって、俺のブログはこれまでずっと120位中50位〜60位の間を行ったり来たりしていた。

50位〜60位って大したことないと思うかもしれないが、更新頻度や記事の内容についてちょっとでも気を抜くと瞬く間に下位に転落してしまうドライな世界にあって、この位置をキープしてこれたというのは、実はなかなかに努力の賜物なのである。

一昨日、「壁って崩せるもんなんだなあ」としみじみ思った。というのは、49位に浮上していたからである。50位から上というのは一段階上のレベルで、俺みたいに無名な人間には崩せない壁なのだろうと半ば諦めていたのだが、気が付くと壁は砕け散っていて、昨日は47位にまで浮上していたのである。

壁というのは一度崩してしまえば脅威ではなくなる。再構築され始めたとしても、構築過程で打ち崩すのは容易いこと。

今後は40位〜50位をキープして、隙あらば40位の壁を打ち崩したい…と、頭の中でゲームさえ始まってしまえばこっちのもん。これまで通りブログはブログで「作品」だと捉えて、これまで以上に「おもちゃ箱をひっくり返したような感じ」を大切にしながらさらに上を目指していきたい。そして、ブログで得たものを、人を、音楽活動に反映させていく。


悪魔と呼んで

「悪魔と呼んで」の歌詩を一部書き換えた。以前から歌ってみたかった言葉(考え方)があって、それがこの曲にはまった。この曲は次のライブでやる可能性大だから、観に来てくれる人たちの為に載せておく。やらんかったらごめん…。


『悪魔と呼んで』

風に揺れる花に憐れみを
花を揺らす風に憧れを

探し歩いて
見つかるようじゃ
力じゃないよ
思い出すんだ

涙の理由なんてどうでもいいさ
涙流す君が絵になれば

遠慮なくもっと
愛想を尽かして
死ぬまでずっと
悪魔と呼んで

雪に溶ける君に口紅を
燃えるように赤い口紅を

例えば蝶は白昼夢か
翅(はね)の生えた絵空事か

遠慮なくもっと
愛想を尽かして
死ぬまでずっと
悪魔と呼んで

死ぬまでずっと
悪魔と呼んで


power to the music

ライブ。演る側にも、観る側にも、一種の気合いが要るようになった。演る側は演る前に、観る側は観に行く前に、本当に演るのか本当に観に行くのかを考える「間」を挟むようになった。演る以上はしっかり演る、観に行く以上はしっかり観るという姿勢が根付きつつある。すごく良い事だと思う。

演る側の人間を見ていていつも気になっていたのは「惰性」だった。ライブを演ることにも観に行くことにもスペシャルな感じがなかった時にはそれも許されたのかもしれないが、今は許されない。だから、これまでずっと惰性でライブをやってきた人たちは、ステージが随分と高くなったように感じるんじゃないかと思う。それくらい、もう無責任な姿勢は許されない。すごく良い事だと思う。

大阪のライブハウスの状況を見てみた。どこもキリキリ舞いだ。これまで、演者に対して高飛車な態度を取ってきたことや、お客さんに「いらっしゃいませ」の一言すらまともに言ってこなかったことを悔い改めると言うのなら、生き残って欲しいと思う。

「楽しけりゃ何でもいい。手を伸ばせばそこにあるし」などと言って、音楽を玩具のように扱ってきた人間の怠慢が、音楽への正しい需要が出てきて、音楽が息を吹き返し始めたことで戒められようとしている…そんな希望的観測が最近、俺の中にある。

長い目で見れば決して悪い状況ではない。個人的には、追い風が吹き始めているとさえ感じている。音楽に音楽やる人間を取捨選択する力が戻れば、俺にもまだまだチャンスはある。巻き返せる。だから、俺の「音楽のために音楽やる」という考え方は、結果的には、急がば回れ的に、俺自身のためになるんだと信じている。


灯台下暗し

今日は親父の命日。

親父がよく聴いていたディランのベスト盤。俺が買ってやった、親父の指紋が付き倒している盤を聴きながら酒を飲んでいる。

親父はビートルズ馬鹿でストーンズも大好きだったけど、「ボブディランは別格や」が口癖だった。

違うぞ、親父。

別格は…あんたの息子や。


ロックンロール・ウェザー誌 最新号より

昨日、何の前触れもなく突然、新曲「悪魔と呼んで」のデモ音源をブログ上で発表した和田怜士。その動機は一体何だったのか?また、この曲に込められた想いとは?半ば強引に彼を捕獲。インタビューを試みた。


「もう一発喰らいやがれ!」ってなもんだよ。

Q 今回、突然発表された新曲「悪魔と呼んで」のデモ音源ですが、これはいつ録音されたものなのでしょうか?

A 昨日だよ。昨日、スタジオで録って、その場でアップした。納得いくまで繰り返し歌って…アップしたのはたぶん13テイク目とかそんなんだと思うよ。

Q 発表しようとお思いになったことに特別な理由のようなものはありますか?私としては、前回の「the answer song」に大きなリアクションがあって、その勢いに乗って…ということではないか?と想像しますが。

A 逆だよ。「the answer song」は思っていたようなリアクションを得られなかった。もちろん、絶賛してくれた人たちもいる。ブログのコメント欄に書き込みをしてくれた人たちの他にもいたけど、ごく僅かだった。

Q だったら普通は退くんじゃないんですか?ブログ上での配信をやめようとは思わなかったんですか?

A 普通そうするんだろうなとは思ったよ。でも、普通そうするんならそれは俺がやるべき舵の取り方じゃない。逆に撃って出てやろうと思った。「もう一発喰らいやがれ!」ってなもんだよ。

Q あらためてお窺いしますが、ご自身では「the answer song」の出来をどう考えておられますか?

A 逆に訊いていい?君はどう?ライブハウスやライブバーで「the answer song」みたいな曲を聴いたことある?聴かせてくれるアーティストに出くわした事ある?

Q ありませんし、今後も…想像出来ません。

A だろ?じゃ名曲だし、俺は天才だ(笑)


思いたいように思えたり、言いたいように言えさえすれば、この世の中、狂人呼ばわりされるに十分だ。

Q それでは本題に。新曲「悪魔と呼んで」はどのような経緯で誕生したのでしょうか?

A これは前にも言ったけど、歌い出しのメロディーと歌詞は天気の良い日に信号待ちをしていて閃いたんだ。歌い出しの中に全体像が見えた。全てがあったから、完成するまでにさほど時間はかからなかったよ。

Q 歌詞…怜士さんの場合は「歌詩」ですが、この歌詩についてできる範囲で結構なので解説して頂けますか?

A これには二つの意味がある。一つは「芸術家は悪魔みたいなものだ」というもの。「涙の理由なんてどうでもいいさ/涙流す君が絵になれば」なんてまさに芸術家の悪魔的な側面を描いてる。「雪に溶ける君に口紅を/燃えるように赤い口紅を」というのは北野武監督の映画『アキレスと亀』のワンシーンをイメージしたんだ。頭の狂った絵描きが主人公の映画だった。

Q 具体的にどんなシーンだったんですか?

A 絵描きの娘が死んで、絵描きと妻とが霊安室に呼ばれるんだ。で、絵描きが妻に「口紅あるか?」と訊く。妻は死に化粧を施してくれるのかと思って口紅を渡すんだけど、絵描きは娘の唇に口紅を塗るやおもむろに紙を取り出して娘の唇に押し付けるんだ。つまり、版画だよ。娘の遺体を前にしてもなお芸術作品を作ることしか頭になくて、妻が「あなた狂ってる!」と叫ぶ。そんな壮絶なシーンだったよ。でも、俺はそのシーンを芸術家の魂の縮図だと思って、「これは一生忘れられないな」と思ったんだ。ま、曲にはあくまでモチーフとして反映させただけであって、意味合いは違うんだけどね。

Q どう違うんですか?

A 曲の方は実にシンプルで、大切な人が死んだとしても真っ赤な口紅さえ塗れば生き返らせることができると信じている男のことを歌ってる。底なしにポジティブ。そういう類の狂人。ま、本当は、そう思いたいだけだったり、言いたいだけだったりするのかもしれないけど、思いたいように思えたり、言いたいように言えさえすれば、この世の中、狂人呼ばわりされるに十分だ。

Q なるほど。では、もう一つの意味は?

A ある親友がいてね、その親友の奥方が俺のことを悪魔みたいに思っていて…。

Q え?

A いや、これは冗談じゃなくて本当にそうなんだ。彼女にとって俺は得体の知れない生き物でしかない。何より社会性を重んずる彼女にとって俺は亭主を悪の道に引きずり込む悪魔にしか見えないらしいんだ。で、そこにある出来事があって…俺はその出来事に全く関与してないんだけど、元を辿れば、その環境に親友を招き入れたのは俺で…彼女はその出来事を亭主の周りから俺を排除する絶好の機会だと考えた。頭良いね。だから、俺、その親友に会えないんだよ。もう何年も会ってない。会わせてもらえないんだ。子供の頃にはあったよ。親が子供に「あの子と遊んじゃダメ」っていうのが。でも、俺も親友も良い歳をした大人なんだから。情けないやら、悲しいやら、苛立たしいやら…。

Q 芸術家の特異な考え方を歌い、「死ぬまでずっと悪魔と呼んで」と歌う時、その親友さんの奥方の顔が浮かぶ…というわけですね。

A そうだね。別に彼女を意識して書いたわけじゃないんだけど、歌詩は歌詞以上に無意識がものを言うからね。ハーモニカを吹いてる間中ずっと「これでも喰らえ!」と思ってるよ。見事に響きに表れてるだろ(笑)

Q 確かに(笑)でも、感じるのは怒りだけではありませんよ。

A 俺の感情がどうであれ、ハーモニカを吹くこと自体はすごく楽しいからね。そう、最近、ハーモニカの音って自由そのものだと思う。絶えず音に揺らぎがあって…蝶の飛び方をそのまま音にしたような感じ。何とも言えない解放感を感じるよ。

Qハーモニカを吹く時に心がけていることはありますか?

A 「ギターを弾く時に心がけていることはありますか?」と訊かれたとしても同じように答えると思うよ。

Q どうお答えになるんですか?

A 全力(笑)


DJ気分で

ビートルズやストーンズといった「レジェンド」と呼ばれる人たちの音楽が好きで音楽をやっておきながら、ディランの音楽はよくわからない、ディランからは一切影響を受けていないなんて人はいないわけで、それはこの人にも同じことが言えると思います。

これは是非レコードで聴いてみたい…と思うのは私だけでしょうか?聴いて頂きましょう。和田怜士で「悪魔と呼んで」。

 


the answer song

当ブログの読者の皆さんに何か特典を…と考えていた。で、当ブログでのみ聴ける音源を用意した。新曲「the answer song」のスタジオデモである。あくまでデモなので、めちゃくちゃラフではあるが、曲を覚えてもらう分には差し支えないと思う。次のライブに向けて読者の皆さんに限定配信するシングル…そう捉えて楽しんでもらえたら嬉しい。

この曲、俺の中ではウェディング・ソングだったりする。もちろん、そんなつもりで作ったわけじゃないんだけど、完成したものを聴いているうちにそう感じるようになった。

良かったら感想を聞かせて欲しい。好評なら、今後もライブのたびにこうやって「先行シングル配信」するかもよ。