好き過ぎれるか否か

ロックンロールと恋に限っては、狂うこと、クレイジーであることは御法度ではなく、むしろ正解なのであって、狂えるのなら、狂えるようであれば、じゃんじゃん狂てしもたったら良いのである。

狂うための合法的な促進剤、ドラッグとして、アルコールがある。これも、懐の許す限り、じゃんじゃん利用したったらエエのである。

ただ、促進剤はあくまで促進剤であって、本当に、真に狂えるかどうかは、別次元の話である。

いずれにせよ、人間、理性が邪魔をしておる間は、正気である間は、奇跡的なものは起こせない。

好き過ぎたら狂える。好き過ぎたら狂えるんだけど、これがなかなか難しいからアルコールの力を借りる。もし、アルコールの力を借りさえすれば好き過ぎれるんだったら、アルコールを手放すべきではない。

夜書いたラブレターこそ、自信を持って、胸を張って投函すべきである。


ビー玉欲しい35

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あえて、いい大人がビー玉を一袋買って、その中で一番気に入った一個に深く、ふっか〜く願をかけて、片身放さず持ち歩くというのはどうだろう。なんか、ものすごくいい感じじゃないか?

神社やなんかで売っている禍々しいお守りなんかよりずっと綺麗だし、「効きそう」だと思うのは俺だけか?

とりあえず、明日はビー玉を買いに行こう。

ところで、ビー玉の相場がわからんが、ビー玉って一体いくらくらいするもんなんだろう。百均でも売ってるんだろうけど、ちょっと高めのビー玉が欲しい。

ちょっと高めのビー玉ってあるのか?

考えてみれば、ビー玉みたいなもんについてさえ、俺は何も知らんのだな。

ビー玉について何も知らん人間が、他に何を語れると言うのかねえ。


5songs

人間というのは、要するに、最も原始的な「作品」なんだと思う。
生きている限り、「どこまでも個人的に」続く、地道かつ地味な創作活動のことを、人は「人生」と呼んでいて、今現在の自分は、言うなれば「最新作」なんだろうと思う。

私自身について言えば、軸となる部分のみ普遍的で、不変的で、軸の周りを覆う装飾的なものについては、常に変化し続けて、それこそ秒単位で変わっていけばいいと思っている。

私―和田一憩というロックンロールバンドは、耐えず変化し続けます。変化し続けるということを維持し続けます。
私―和田一憩というレコードは、わかる奴にだけわかりゃいい。わからない奴はさようなら。本当に欲しいと思ってくれている奴の為に、早々にBOOK・OFFにでも売りに行ってくれ。

ただ一言「わかる」と言って、近寄ってきてくれる奴の為なら、一肌も二肌も脱ぐが、「わからない」と言って、もしくは「わからない」とも言わずにただ引くばかり―というような奴の為にはな〜んにもしない。小指一本動かさない。

わからないお前が、血を吐いて倒れているのを見つけた場合、缶切りを手にニヤニヤしながら近づいてった俺が、お前の顔面にタラタラタラタラ垂れ流すのは、トマトジュースか野菜ジュースかはたまた…それはお前が自由に選べば良いし、俺は出来る限りお前の意向を汲もうとは思うが、俺がお前の顔面に何を垂れ流そうとそれは俺の勝手なんだからお前の意向など知らん。厚かましい。


説明過多を説明する

私は、映画があまり好きではない。私は、「芸術」と呼ばれるものは大概好きだが、写真と映画だけはあまり好きではない。さらに言うと、映画好きを自称する人のこともあまり好きではない。もちろん、映画好きを自称する人の全てがそうと言うわけではないけれども、映画好きを自称する人には馬鹿が多い―と確信している。

映画というのは、音楽的要素と、文学的要素と、絵画的要素が渾然一体となったものだと思う。だから、感受性に乏しい馬鹿にもわかるし、理解できるんだと思う。だって、音楽の力と、文学の力と、絵画の力がミックスされているものが映画なんだから、自分の両手のどっちが右手でどっちが左手なのかを言える頭さえあれば、理解できるはずだし、理解できて当たり前なはずなのである。

私が映画をあまり好きでない理由―音楽の力と、文学の力と、絵画の力とをミックスさせたら、本来であれば、めちゃくちゃ面白いものができて当たり前なはずなのに、くだらない映画があまりに多過ぎるからである。最高級の食材を使用しておきながらクソ不味いものを拵えるなアホンダラ!ということなのである。

私は、音から言葉や絵を想像することの方がずっと楽しいし、言葉から音や絵を想像することの方がずっと楽しいし、絵から言葉や音を想像することの方がずっと楽しい。

映画は、説明過多だ。だから、浜村淳も説明過多なのです。


悔涙

結局また、頭を下げないといけないらしい。

もう下げてしまってる。

腰を低くしないといけないらしい。

もう低くしてしまっている。

何故、いつもいつも、私が「下」なんだろう。

どいつもこいつも、何様のつもりなんだろう。

涙が出てくるよ。


「わかってる」

一切喋らずに気持ちが伝わったらなあ…と思う。そんな手段ってないかなあ…と思う。

喋れば喋るほどに嘘をついているような気がしてきて、その嘘に対して説明とか弁解とかが必要になってきて、そうこうする内に、本来、自分が伝えたかったことがじゃんじゃんじゃんじゃん遠退いていく。

私が何かを喋ろうとした瞬間に、私の口に手をやって塞いで、「わかってる」と一言言ってくれたら、どんなに助かるだろうと思う。


そこどけ!アンパイマン!

安牌って面白いか?

安牌が安牌であり続けた試しがあるか?

私は麻雀をやらないし、ルールも全っ然知らないんだけれども、「アンパイ」って、「安牌」で良いのか?

「アンパイ」っていう言葉を聞くたび、俺は、「退屈」の二文字を思い浮かべるよ。


う、うん…。

先程から、「ゴルゴンゾーラ」という言葉が頭の中を回転し続けている。

ガンズ・アンド・ローゼズは、正しくは、「ガンズンローゼズ」と発音するから、ゴルゴンゾーラはやっぱり、「ゴルゴ・アンド・ゾーラ」を正しく発音したものなのだろうか。

ゴルゴはやっぱり13なのだろうか。となると、意味合いとしては、「ゴルゴ13とゾーラ」ということになるが、ゾーラって一体なんなんだろう。誰なんだろう。ゴルゴに理不尽な理由によってビンタされることに快楽を覚える変態金髪美女の名前か何かだろうか。それとも、まさかとは思うが、「象ら」なのだろうか。

ゴルゴ13と象ら―こんなわけのわからない名前の料理に好き好んで金を出す奴の気持ちがさっぱりわからんが、まず間違いなく、ゴルゴンゾーラは、「ゴルゴ13と象ら」という意味ではないと思う。


お前がマニアック

今までに、「お前の聴いてる音楽はマニアック過ぎてようわからん」みたいなことを言われたことは、一度や二度ではないが、はっきり言って、世界的に見れば、本当にマニアックなのは私ではなく、私をマニアックだと言った、彼や彼女の方なのである。

ミスチルが一般的で、ストーンズがマニアック?アホか。完全に逆だ。逆。

自分の知らないものを、自分に理解できないものを、「マニアック」の一言で片付けるなと言いたい。

これは、こと音楽に限った話ではない。

自分の知らないものを、自分に理解できないものを、「マニアック」の一言で片付けるな。

あなたはただ無知なだけだ。

「勉強」って、子供の時に学校でやってたあれだけが勉強じゃない。大人になったらなったで、ちゃんと勉強しないと、めちゃくちゃ恥をかく。

恥かいてることに全っ然気付かないという、ズボンのファスナー全開であるにも関わらず肩で風切って歩いてる的な、致命的な恥をかくことになる。

ところで、浜崎あゆみとジャニス・ジョプリン、どっちがマニアックかわかる?