桑田納涼盆踊り2日目

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伊丹ソニック―通称「イタソニ」が始まった。

今日は、私の本命、桑田公園である。

仕事が終わって、大急ぎで駆けつけて、わずかに一時間ではあるが、見ることができた。
どう考えても、ここ桑田公園の盆踊りが、日本最強の盆踊り会場である。


FATHER

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名盤中の名盤。歴史的名盤―レノンの『ジョンの魂』

私は、これが聴けるだけでも、人間として生まれてきて良かったと思う。私が音楽を通じて表現したいことの全てが、理想形が、ここにある。情念の、怨念の、塊のようなロックンロール。

私は、私の娘にも、これだけは絶対に聴いて欲しいと思う。思うけれども、これが、この作品が、私の作品ではなく、レノンの作品であるということが残念でならない。変な話、ここに、このアルバムの中に、私がいる。私が、我が娘に見せたいと願う、私の姿がある。

でも、あくまでも、これはレノンの作品であって、私の作品ではない。でも、オイ!我が娘よ。アンタの親父は確実にここにいる。アンタの親父が、アンタに見せたいと願っているアンタの親父像がここにある。

誤解すな。正しく解釈せよ。私の娘なら、そんなこと、朝飯前だろう。


砂漠に心の水たまり

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24の時、心斎橋にあると或る事務所の扉を開けた。そして、その時そこに立っていた人が、あの時のあの人が、私にとって、今も変わらず、理想の女性なのである。あの時は本当に、一目見て、「出た!」と思った。

化け物かと思うくらい綺麗だった。そして、私のような救いがたいひねくれ者(今よりはるかにひどかった)の話を、何時間にも渡って聞いてくれたのである。

この世に、あの時のあの人はもういないが、あの時のあの人を思い出したい時、私はいつもこのアルバムを聴く。「心臓が破れるほどの美しいメロディを書く」と言われているUKのバンド「キーン」の1stである。私は、このアルバムの1曲目を聴くたび、あの時のあの人を思い出す。

当時、このアルバムはまだ出ていなかったし、私がこのアルバムを初めて聴いたのは、あの人と出逢ったあの瞬間から10年後のことであった。にも関わらず、ここにあの時のあの人がいるのである。

方向性の定まらない漠然とした恋愛願望にやられて、目が泳ぎだして、実際は60点くらいの女の人が90点くらいに見えだしたら、私は、砂漠の中で小さな水たまりを見つけた人みたいな感じで、このアルバムを手にとって、爆音で聴いて、我を取り戻して、ホッと一息、「助かった…」と呟くのである。

自分を安売りしそうだという絶体絶命のピンチ、崖っぷちから救ってくれるものが、幻であろうが蜃気楼であろうがいっこうに構わないのである。


服従の証

ある意味…あくまで「ある意味」ですが、女の人に「優しい人だ」と言われるくらいなら、死んだ方がマシだと思う今日この頃。

以前にも同じようなことを書いたが、あの時と今とでは、根本的に意味が違う。

もう本当に、男として、終わりだと思う。女の人に「優しい人」だなんて呼ばれた日にゃ。


夜の灯に気をつけて

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今日私は、本当は休みだったのだが、施設で夏祭りがあり、そのフォローの為に出勤したのである。

今年初の夏祭り―浴衣に身を包んだ女の人たちを見て浮かんだフレーズは、「夜の灯に気をつけて」だった。夜そのものが灯で、夜の灯に照らされた女の人たちは、なんだかちょっと紫色で、片っ端から妖艶なのです。

そして私はまた、性懲りもなく、自分を安売りしかけた。でも、私の中の女性性(当ブログではお馴染みの阿仁真梨)が私の中で、「アカーン!一憩!」と叫んで、私はハッと我に帰って、市バスに乗って、そそくさと家路に着いた。

家に最寄りのバス停に着いた時、私は、「とにかく頭を冷まさねば!」と思って、写真にあるこの居酒屋に立ち寄って、痩せた手羽先にレモンをぶち搾って、ビールを三杯飲んだのである。

女の人を一瞬でも魅力的だと思ったり、好きだと思ったりする自分が嫌だ。許せない。「学習能力がねぇのかお前は!」と思って、殴り殺したくなる。

男性諸君。

夜の灯に気をつけて。


案外悲痛

忙しい日々の合間に、部屋でゴロリと横になって、天井を見つめながら、「疲れたなあ…」などと呟いて聴くラヴソングは、痛い。

「届かぬ想い」と、「届かぬ」もなにも、届けたいと思う対象のない、ただただ漠然とした大きな想い―恋愛願望のみを引きずって歩くのとでは、どちらが悲痛なのか。


発想に羽根を

何らかの問題に直面した時、労せずして真っ先に浮かぶのは、「普通ならこう考えるだろう」という、ベタではあるがベターとは言えないかもしれない、面白くも何ともない「一般論」だ。

私の発想はまず、この「一般論」を却下するところから始まる―ということを、最近の私は、急激に思い出しつつある。最近の私は、本当に、理解者に恵まれてるから。

面白いということの正しさって、あると思う。逆に言えば、「正しい=楽しくない」ではないだろうと思う。

正しさは、それが本当に正しければ、「円滑」なものであるはずで、円滑だと思えるものが、楽しくないわけがないじゃないかと思う。

―って、自分でも、何を言ってるんだかさっぱりわからない。でも、きっと、意外と正しい事を言ってるんじゃないかと思えるから面白い。


草臥れて

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日本最強のロックンロールバンド―村八分。

草臥れた一日の終わりには、明日への鋭気を養う意味合いを込めて、濃い焼酎を一、二杯飲みながら、村八分の爆裂ロックンロールを爆音で聴くのがよろしい。

先日、ネットで、村八分の音楽性を見事に、端的に、言い表し切った素晴らしい一文を見つけた。

「ジミヘンのいるストーンズが、パンクロックに凶暴な京都弁を乗せた感じ」

どんなんやねん。

そんなんやねん!


節目の確認

本日付けで、正職員となった。なので、しあさってからは夜勤も始まる。

私は、私という人間は、根本的に、実にぐーたらな人間なので、結婚をせず、独り身でいる内は、自由を謳歌すべく、正職員や正社員になることはないだろうと思っていたから、今回の「出世」は我ながら意外である。

これから本当に忙しくなる。でも、忙しさにかまけて、そもそも何の為の忙しさだったのかを見失わないようにしたい。

本当の自由であったり、本当の楽しさであったり、本当の幸せであったりするものを見つけて掴もうとせんが為の忙しさであり、責任であり、労働でなくちゃあツマラナイ。

さあ、明日からまた頑張ろう!気合いだあ!―と、その前に、今日は休み。せっかくの休み。充実させねばもったいない。というわけで、目的なく梅田へ繰り出して、ビール片手にリアム歩きでブラブラするぜ!

気分転換はロックだ。