魂VS頭の構図

心の奥底にある、熱を帯びた紅い塊のことを「魂」と呼ぶといたします。

この魂が、時に、猛烈な勢いで何かを求めることがございまして、これを臆病風に吹かれるなどして邪魔するのが頭でございます。

魂には、言葉がございません。全ての意思を熱によって伝えようとします。一方、頭には、熱がなくて言葉だけがございます。

私は最近、自分の中から魂の声が聞こえてきたら、これに思いっきり耳を傾けて、その意思に全身全霊を無条件に捧げるようにしており、また、頭からの「妨害」とも言える言葉には、一切耳を貸さないようにしています。


157km/h

やり方って色々あるけれども、俺は俺のやり方が一番上手い。もちろん、俺のやり方以外のやり方も知ってるけど、俺は俺のやり方が一番上手い。その一番上手いやり方で失敗したとしても、それはある意味、失敗ではない。

真っ直ぐに自信のあるピッチャーが、中途半端に変化球で逃げるようなことをせず、真っ直ぐで勝負して打たれた時の爽快感が、最近の俺にはよくわかる。

最近の俺は、潔くて良い。


地味変と理屈

不安がないと言えば嘘になる。が、不安が的中する前に、不安を口にしておいて、的中した時の痛手を少しでも軽減しようとする幼稚なやり方はもうやめた。確かに、若干は軽減できるかもしれない。でも、不安でいる時の精神状態と、それが周りに与える影響と、そこから発生する望ましくないことの数々を思えば、このやり方は明らかにハイリスク・ロウリターンだと思う。それに私は、強い不安というのは、強い祈りだと思っている。強い祈りは叶ってしまう。つまり、不安が不安を的中させてしまっているわけで、こんな間抜けなことは即止めるべきだと思う。

出来うる限り不安を口にせず、前向きに生きていきたい―といって、昔のように、ただ漠然と、自分自身に言い聞かせるように言っているのではない。その方が絶対にうまくいくという確信が、私の実体験と理屈に基づいてちゃんと成り立っているから、今や自信を持って、堂々と声を大にしてそう言えるのだ。

ネガティブな言葉はいらない。ウンザリだ。ポジティブな言葉だけを放り込んでくれ。


光る肩書

ご覧の通り、管理人の尽力によって、当ブログが猛烈な勢いでリニューアルされていっております。

ところで、画面一番上のスクロール表示はもう見ていただけましたか?冒頭の「伊丹のうたうたい」が「伊丹最北端が生んだデカダン吟遊歌手」に変わっております。
デカダン吟遊歌手―言わずもがな、私が考えた肩書です。管理人にお願いして変えてもらいました。

『デカダン』は、「退廃的な」とか「堕落した」とかいう意味で、例えば、私の大好きな作家さんで言うと、太宰治、坂口安吾、織田作之助が「デカダン作家」と呼ばれています。それから、『吟遊』は、「詩歌を作り旅する」という意味があります。なので、最初は、「デカダン吟遊シンガー」にするつもりでしたが、何かパンチに欠けるので、私が太宰治に並んで尊敬している作家さん、町田康(音楽をやってる時は町田町蔵)が自称している「パンク歌手」に倣って、「デカダン吟遊歌手」としました。

もし今、私が名刺を作るとしたら―限りなく黒に近い赤紫色の紙の中央に、白字で『BUTTERFLY』とあって、その下に小さく、やはり白字で「デカダン吟遊歌手 和田一憩」と書いてある―という感じになると思います。


理性からの疾走

昔は、人を好きになった時に色々と考えた。
「あの人は一見ああいう感じに見えるけど、本当はこういう感じに違いないから、そういうところが俺のこういうところにマッチして―」などと無駄な分析、自問自答を際限なく繰り返して、それだけでお腹いっぱいになっちゃって、いつの間にやら感情がフェイドアウトしちゃって、ただ足踏みするばかりで、肝心の「物語」がちっとも始まらなかったのである。

今にして思えば、分析や自問自答をしている時点で駄目なのだ。理性が働いている―ということはすなわち、相手のことを大して好きではないということだ。

人が何かを本当に好きになった時に真っ先に吹っ飛ぶのは理性だ。その対象が恋愛であれロックンロールであれ、理性だ。

私がなぜ酒を呑むのか。

私がなぜロックンロール馬鹿なのか。

私がなぜ恋愛ジャンキーなのか。

酒もロックンロールも恋愛も、全て、理性を失わせてくれるものだからだ。もっともっと理性を失いたい。

理性を失っている時の私は賢い。


我が母性

我々人間は、生まれる前の一時期、母親のお腹の中で、皆、両性具有だったというのは紛れもない事実だ。だから、男にも女性ホルモンがあるし、女にも男性ホルモンがある。
男の中に女がいて、女の中に男がいる。

私は、人に対するイライラを抑えたい時や、誰かに対して、底無しに優しくありたいと願う時には必ず、自分の中の女性性を想って、そこにあるはずの母性を呼び覚ますことにしている。

大きく、広く、深く、海のように―そうあれないと付き合えない人間がいる。そうありたいと思わせてくれる人間がいる。