この空を見上げて閃いた言葉が「今日もカラッと揚がってるねえ〜」だったので、私はきっと、駄目である。
コメントへの返信〜須磨ですまんの〜様宛
あ、あ、あ、あ〜〜〜〜〜〜〜〜れは美味かったねえ!!何を隠そう、私が生まれて初めて口にした店弁が、あすこの唐揚げ弁当でした。
「誰がここまでウマせえ言うた!」みたいな、なんやわけのわからん怒りが沸々と込み上げてきて、「食べ終えたくない」と切実に思った記憶があります。
今でも、伊丹最北端で生まれ育った人間が数人集まると、たまにあの唐揚げ弁当の味が話題にのぼることがあるけど、あの味はホンマに、伝説やね。「全米が泣いた」みたいなもんで、「伊丹最北端が泣いた」んやね。
かつての大阪王の餃子が、伊丹最北端人にとっての餃子基準であるように、あの唐揚げ弁当の唐揚げを、本日付けで、伊丹最北端に於ける唐揚げ基準に認定いたしましょう。
本日以降、あれと同等か、もしくはあれ以上のもののみを「唐揚げ」と呼んで、あれ以下のものは全て「鶏を揚げた、いなり寿司のような色をした塊」と呼ぶことにいたしましょう。
バカッポーの肖像
「やっぱりあれ?唐揚げは塩コショウつけて食べるん?」
「ううん。何もつけへんよ」
「あ、作る時に衣にしっかり味付けるんやね」
「そう」
「そっかあ」
「そういえば昔、唐揚げにマヨネーズつけて食べるのが流行ったね。知ってる?あ、そうそう、学食の唐揚げって案外美味しいんよ」
「へえ〜、そうなんや」
以上の会話を近所の川の堤防を歩きながらして、それぞれに帰宅して、それから、それ唐、帰宅後、携帯が鳴って、携帯に出て、その会話の中で大笑いしたのが以下の言葉なのである。
「私な、昔からな、「カラオケ」が「カラアゲ」に見えんねん」
気持ち、わかる。なにしろ私は、幼稚園児の時、これはネタでも何でもなく完全なる実話なのだが、コロッケが好きで好きで好き過ぎて、家の近所にあった『スナック明美』の「スナック」を素で「コロッケ」と読み、市バスの「ワンマン」を素で「コロッケ」と読んで、両親を死ぬほど笑わせておきながら、なぜ笑われてるんだかさっぱりわからず、キョトンとしていたような人間なんだから。
駄目な生き物
平和の象徴を鳩だと言うのはもう古い。だいたい、あんな乞食みたいな生き物が平和の象徴だなんて、いただけない。
平和の象徴はやはり、唐揚げである。庶民の平和な生活を象徴するものがあるとすれば、唐揚げ以外に考えられない。
鳩は、鳩みたいなもんは、たとえ唐揚げにしたとしても、平和の象徴にはなりえない。
あの生き物は、駄目だ。
「アート」で片付けろ
そういえば、ラーメン屋の餃子や唐揚げが美味かったためしがない。
あれはやはり、客に「やっぱりこの店はラーメンが一番よね」と言ってもらいたいがゆえの戦略なのであろうか。ラーメン屋にとって、餃子や唐揚げはいわば「咬ませ犬」なのであろうか。だとすれば、以前私が見た、ラーメンの上に唐揚げが乗っている、唐揚げのカラカラ感を台無しにして喜んでいる「唐揚げラーメン」については、客として、どのようなリアクションをとるのが最も望ましい、店の期待に応える形なのであろうか。
「これってアートよね」とでも言えば良いのだろうか。
例えば、新京のあれは合格か
最近、誰かさんの影響で、唐揚げが気になるようになった。唐揚げを考えるようになった。
今まで、唐揚げというものについて熟考してみたことなど一度もないのだが、いざ熟考してみると、私にとって最強の唐揚げはどうやら、餃子の王将の唐揚げらしい(大阪王将ではなく、京都王将の唐揚げが美味かったような…いや、逆かもしれない)しかし、よい歳をした大人がこんなことで良いのだろうか。餃子の王将はあくまで「餃子の」王将であって、唐揚げの王将ではない。
世の中には「唐揚げの〇〇」みたいな店ってあるのだろうか。唐揚げを一番の売りにしている店って存在するのだろうか。
愛読者の皆さんの中で、死ぬほど美味い唐揚げを提供してくれる店をご存知の方があったら、是非とも教えていただきたい。
私は、唐揚げについては、王将以外では、大阪の「新京」という中華飯店の唐揚げが美味いということしか知らない。
コメントへの返信〜モノノケ様宛
「フ〜ビフ〜?」じゃないですよっ。それじゃあテンションが上がってるんだか下がってるんだかわからないじゃないですかっ。当ブログの合言葉は「フ〜ビフビでございますのよっ!」でございますのよっ!
寄せてもらった文章から、調子の上向きと、テンションの高まりがビンビン…じゃなくて…フ〜ビフビ伝わってきます。良かった良かった!
前向きにっ!
お囃子
ふと、昔の自分について考えた時に、「ひょっとしたらあの時、自分は、ただただ時間を無駄にしていたんじゃないか?」ってなことを思うことがあるが、大丈夫。断じてそんなことはない。あの時はあの時で必死だったんだよ。だからこそ、今があるんだよ。今生きてるということが、物凄いことじゃあないか。これを努力の賜物と呼ばずして何と呼ぶのかってなもんだ!
メタルについて
めちゃくちゃイライラしていて、さらにめちゃくちゃ淋しい時には、パンクやグランジじゃ全然駄目で、メタルが一番だ。
正直、ヘヴィメタルって、好きだ。大好きだ。「怒」と「哀」の表現が極端で素敵だ。でも、やりたいとは思わない。が、たまに聴く分にはヘヴィメタルじゃないとどうにもならない時がある。たまに、本当に助けてくれる時がある。大好きだ。でも、やりたいとは思わない。
ジャズやフュージョンやヒップホップやラップやJ―〇〇〇に救われた記憶は一切ないが、ヘヴィメタルに救われた記憶は山ほどある。
にも関わらず、これっぽっちもやりたいと思えないから不思議だ。
