太陽の下の悪夢

日頃、世間体を気にしてばかりいる人たちの、取って付けたように健康的で、これ見よがしに平和な光景に、私は何の魅力も感じない。感じられない。どうしても、何か得体のしれない、嫌なものが見えてくる。

大阪時代、私は娘の通っている保育園のクラス会(要するに父母の飲み会)に参加するのが嫌で嫌でならなかった。どいつもこいつも中途半端にブルジョアな、嘘つき野郎ばかりだと思っていた。
クラス会が淀川の河川敷で「バーベキュー大会」と銘打って行なわれた時、私は窮屈で窮屈で死にそうだった。
肉をつつきながら、一体誰が持ってきたんだかグローブを手に、爽やかな顔をしてキャッチボールをしている父母を見て、本気で「こいつらみんな死ねばいいのに」と思っていた。みんな、何かにとり憑かれている、何かに酔っていると思っていた。

その時私は、芝生の上にあぐらをかいて、むやみやたらに酒を呑んでいた。飲み込めるはずのないものを飲み込もうとしていた。言うに言えない、言ったところで誰一人理解してくれないに決まっている懐疑と怒りで、胸がいっぱいだった。

逃げ出したかった。故郷が、伊丹が死ぬほど恋しかった。


SEX

「で、バンドはどうなってるんだ?」
「バタフライはどうなってるんだ?」
「まさか、恋にうつつを抜かしてんじゃねえだろうなこのオマ〇コ野郎が!」

みたいなことを愛読者の皆さんに思われては困るので報告。

バンドは着実にリハーサルを繰り返している。今日もリハーサルだった。そして、筆舌し難い物凄い音を出している。

年内は若干、腰の重さが目立つかもしれないがしかし、一回のライヴ、たった一回のライヴで皆さんを納得させて、黙らせるだけの自信がある。私だけではなく、メンバー全員にその自信がある。

今日、ティムが「僕たちの音楽はセックスだ!」と言った。

じらせるだけじらしますよ。だって、我々の音楽はセックスで、「じらし」はセックスに於ける「技」でございましょ?

ま、しばしお待ちを。ごっついのをブチ込んでやるからっ!


ジャケット完成

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数年前、大阪時代に作った私のアコースティックソロアルバム2枚のうち、元リプライズのアビィ♪がキーボードで参加してくれている『Broken church Wedding album』のジャケットが、本日完成した。

バンドのメンバーが確定して、ドラマーを探して歩く必要がなくなり、ソロアコースティックライヴをやる必要もなくなったので、同時に、このアルバムを発表する計画も延期となったのだが、いずれ何らかの形で発表したいと思っている。

ちなみに、アビィ♪の参加していない、完全に私一人で拵えたもう一方のアルバム(タイトル未定)のジャケットは、これと同じデザインで、色を青にしようと思っております。

『赤盤』と『青盤』―ビートルズをリスペクトするアーティストなら一度はやってみたいこと。


プラモデル

誰の言葉にも揺さぶられることのない確たる信念なんてきっと、手に入れられるとしても、これから先もっともっと年老いて、死ぬ3日前とかそのくらい先の話なんだろうと思う。でも、それを重々承知の上で、今日も明日も明後日も、一分一秒を惜しみつつ、探し続けていたいと思う。

確たる信念―そりゃあまあ、実際に見つけて、手に入れられりゃそれに越したことはないけれども、でも、こういうことって本当は、実際に見つけて手に入れるのと同じくらい、もしくはそれ以上に、必死になって探している姿そのものに意味があるんじゃないかと思う。

探すことを諦めている人って、わざわざ探らなくても、一瞬で、雰囲気だけで、探すことを諦めている人だということがわかる。人として、これほど非魅力的な姿ってないと思う。

プラモデルは、完成形を頭に描きつつ作っている過程が面白いのであって、完成してしまえば意外と「…」だ。そして、人が魅力的に見えるのもまた、嬉々としてプラモデルを作っている最中の姿であって、完成したものを誇らしげに眺めている姿ではないような気がする。

我ながら、いつものことながら、何を言いたいのかさっぱりわからん。


コメントへの返信〜モノノケ様宛

寄せていただいた文章からは、モノノケさんの身に具体的に何があったのかを察することができないので、私としては、何とも言えません。

ただ、今、私に言えることがあるとすれば、「落ち着いて」ってことと、モノノケさん自身に、ご自分の書いた文章をじっくり読んでいただきたいということだけです。モノノケさんがいかに精神的に動揺しているかが、文章の乱れ具合に如実に顕れています。文章が、壊れてしまってます。

とにかく、落ち着いて。


流通する偽銭

「生きる価値のない人間なんていない」ってなことを言う人があるが、生きる価値のない人間なんて吐いて捨てるほどいるだろう。そんなこと、子供でも知ってる事実じゃないのか?

「生きる価値のない人間なんていない」こんなことを抜かす馬鹿は博愛家でもなんでもなく、ただの世間知らずな楽天家だろう。

世の中には、生きる価値のある人間が確実に、山ほどいるんだから、生きる価値のない人間も確実に、山ほどいる。

楽天家の皆さんは、コインに裏表があることをご存知ではないのだろうか。彼らの財布の中の硬貨は全て、両面とも表だったり裏だったりするんだろうか。

それってただの偽銭じゃねえか。


コメントへの返信〜KNIGHT様宛

人は恋をすると馬鹿になると聞きます。なので、元々馬鹿な人間が恋をした場合には効果が反転して賢くなるんじゃないか?と思っていたんですが、どうやら、残念ながら、さらに馬鹿になるだけみたいです。

それにしても、「宝物」っていい言葉ですね。本当にいい言葉です。純度の高い、素晴らしい言葉です。

「彼女は宝物」かあ…。

寝てしまいそうです。


コメントへの返信〜故郷の忘れ者様宛

彼女が素っぴんだから、私も素っぴんでいられるんだと思います。だいたい、好きな食べ物が唐揚げって、これを「素っぴん」と言わずして何と言いましょう。コロッケが好きだと言う人以上に素っぴんです。
先日もローソンで、からあげくん赤を購入して喜んでおりました。

私の彼女はクイーン・オブ・素っぴんです。


我輩は素っぴんである

私みたいな者でも、過去に僅かながら「恋愛経験」と呼べるものはあるのだが、考えてみれば、過去の恋愛は全て、私のもう一つの人格―ものつくりとしての自分―がものを言ってきたのである。
もし私に、ものつくりとしての顔がなくて、常時ただの和田一憩だったとしたら、私は今だに、一度たりとも、恋愛というものを経験していなかったと思う。

過去の恋愛は、言うなれば、まず茘詩(クリエイティブな私)を前面に押し出して、茘詩を気に入ってもらって、そこから徐々に時間をかけて一憩(素の私)の顔を覗かせていくというものであって、私にとって、この、まるで自らの化けの皮を恐る恐る剥いでいくかのような過程は、いつもかなりの不安を伴うものだったのである。

が、どうやら、今回の恋愛、彼女は今までの恋愛、彼女とは全然違うようである。
今の彼女が見ているのはあくまで一憩であって、茘詩ではない。今の彼女は、私のものつくりとしての顔―茘詩がよくわからないらしい…って言うかあまり興味がないらしい。
私が今まで関わってきた女の人というのは、茘詩に興味はあっても、一憩に興味はないという女の人がほとんどだったのだが、今回ばかりはどうやら違うらしいのである。

ものつくりがものつくりであることを売りにできないというのは、ある意味、美人が美人であることを売りにできないということと同じで、結構不安なのだが、でも、本当は、これって、めちゃくちゃ幸せなことなのかもしれないな…と思っている。

「素っぴんじゃ彼氏に会えないっ!」が口癖だった女の子が、胸を張って、素っぴんで、彼氏に会いに行く姿を想像していただきたい。その姿が、今の私なのである。