太陽の下の悪夢

日頃、世間体を気にしてばかりいる人たちの、取って付けたように健康的で、これ見よがしに平和な光景に、私は何の魅力も感じない。感じられない。どうしても、何か得体のしれない、嫌なものが見えてくる。

大阪時代、私は娘の通っている保育園のクラス会(要するに父母の飲み会)に参加するのが嫌で嫌でならなかった。どいつもこいつも中途半端にブルジョアな、嘘つき野郎ばかりだと思っていた。
クラス会が淀川の河川敷で「バーベキュー大会」と銘打って行なわれた時、私は窮屈で窮屈で死にそうだった。
肉をつつきながら、一体誰が持ってきたんだかグローブを手に、爽やかな顔をしてキャッチボールをしている父母を見て、本気で「こいつらみんな死ねばいいのに」と思っていた。みんな、何かにとり憑かれている、何かに酔っていると思っていた。

その時私は、芝生の上にあぐらをかいて、むやみやたらに酒を呑んでいた。飲み込めるはずのないものを飲み込もうとしていた。言うに言えない、言ったところで誰一人理解してくれないに決まっている懐疑と怒りで、胸がいっぱいだった。

逃げ出したかった。故郷が、伊丹が死ぬほど恋しかった。


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