社会に対して怖じ気付いて、オドオドしてしまっている自分の背中を、はにかみながら「ほれ、ほれ、行け、行け」と言ってポンポンポンポン押してくれている感じ―これが私にとっての太宰文学の魅力なのです。
はい。
社会に対して怖じ気付いて、オドオドしてしまっている自分の背中を、はにかみながら「ほれ、ほれ、行け、行け」と言ってポンポンポンポン押してくれている感じ―これが私にとっての太宰文学の魅力なのです。
はい。
いつも、バンドの事を書くとソッコーでコメントを寄せてくれますね。私がまだティムと出会う前、バタフライの「バ」の字もない頃から、めちゃくちゃ期待してくれていて…いつも本当に感謝しています。
ライヴ、やりますよお!お客さんを唖然とさせて、他のバンドマンを愕然とさせるようなロックンロールをぶちかましますよ。
絶対観に来てくださいねっ!
早くライヴがしたい!
「今の」バタフライの音を皆さんに是非とも聴いてもらいたい。
一切整理されていない、初期衝動の塊のような爆発的な音。メンバー全員の嬉々とした心境が昇華しているような音。「練る」ということを経ていないからこそ出せる、「一歩間違えたらゴミ」のような、鼻息の荒い、ロックンロールとしか言いようのない音。この音に、私の湿ったメロディと壊れた言葉が絡んで…スタジオの中だけで爆発させとくにはもったいな過ぎる。私はこんなバンドが、音楽がやりたかったのだ。
考える前に動きたい。音の料理人としてはやはり、あたたかい、できたてホヤホヤの料理を皆さんに提供したい。できた料理に後からなんだかんだと小細工を施しているうちに冷めちゃった…というのだけは絶対に避けたい。満を持したくない。石橋を叩きたくない。かつての失敗を二度と繰り返したくない。できたら即「あいよっ!」と言って出したい。
早くライヴがしたい!
早ければ早いほど良い。熱〜いのを、ホフホフ言いながら召し上がっていただきたい。
だって皆さん、お熱いのがお好きでしょ?
人間関係の「形」、バンドの表現の「形」、日常生活の「形」―形なんてそのうち放っといても出来上がるし、出来上がってしまうものだから、あえて模索する必要はないと思う。そんなことよりも、まだ形の出来上がっていない、不安定な、浮遊感のある状態を楽しむべきだと思う。
人間は不安定な状態を嫌って、どうしても形を求めてしまうが、いざ形を手に入れて、安定感に身を浸してしまうと、それがまたつまらなくて、退屈で、時に窮屈で、無難な不安定感を求めだして、怠惰、堕落し始めて―ということなのではなかろうか。
相手の機嫌を損ねるのが嫌だったり、相手と口論になるのが嫌だったりして言いたいことが言えない人は、酒の力を借りてでも言いたいことを言うべきだ。
酒の力を借りさえすれば言いたいことが言えるのなら、大いに借りるべきだ。
言いたいことを言えないということが、人生の気運みたいなものの流れをせき止めてしまっている可能性があり、ここに一つ穴をあけることで、たったそれだけのことで、そこから一気に道が開けてくる可能性があるからだ。
堅固な壁も、ほんの僅かな亀裂を起点にして崩壊することがあるということを私は、昔、キン肉マンのジェロニモvsサンシャインを読んで学んだ。
ウーララー!!
大阪時代後半の体験がトラウマになっている。
やることなすこと、あの時の逆を行こうとしている自分がいる。あの時のやり方を何一つ繰り返したくないと思っている自分がいる。
私には今、明確な方向性がある。「迷う」ということがまずない。大阪時代後半の体験を地図代わりに、あの逆を行けば良いだけの話だからだ。
「トラウマ」と書いて「パワー」と読む。
我ながらアホなこと言うなあとは思ってるんですよ。
でも逆に言うと、私が彼女にあらかじめ言っておきたいことって、これくらいのもんなんです。「俺は絶対、音楽やめへんよ」ってことだけなんです。他には何も、注文をつける気はないんです。
私のような者にも「プライド」と呼べるものが一つだけあって、だから、絶対に譲れない主張みたいなものも一つだけあって―ということなんです。
一つだけなんですよ。
「甘辛鶏マヨのパスタサラダ」ですか?
パスタサラダ…
パスタサラ…
パスタサ…
パスタ…
神よ!Jr.さんにも悪魔の影があ〜!
大丈夫ですか?なんか、笑ろてまうくらい喉痛いですよね。
あのイングランドハンサムボーイ、バールのようなもので一回シバかんとあきまへんな。