猫の正体

猫はやはり、ベタに、あの猫耳帽の男であった。

いかんせん夜なので、はっきりと顔を見ることはできなかったが、私の個人的な印象としては、ミック・ジャガー+中島らも÷2といった感じであった。

なかなかいい奴であった。私が踊りの輪の中に入っていって、彼の真後ろに割り込んで、「踊り教えて!」と叫んだら、「わっ!ビックリしたにゃ!」とあくまで猫語を崩さず、非常に丁寧に踊り方を教えてくれたのである。声を聞いて、「こいつはきっと、とても優しい奴だ」と思った。

彼は踊りを踊っている間は非常にシャインだが、踊りを踊っていない時は非常にシャイらしく(だから猫語なんだね。照れ隠しとしての猫語なんだね)、盆踊りが終わって、スタスタっとこちらへやって来て一言挨拶を交わすと、そのまま風の如くに去ってしまった。

去っていく後ろ姿が、完全にミック・ジャガー+中島らも÷2であった。

また来年、お会いしましょう!


出陣式

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今日は事情があって、Jr.さんはいらっしゃらない。が、私は行く。行って、今年のイタソニの最後を見届ける。

猫がどんな猫であれ、良い奴でさえあれば万々歳だ。

さあ、出陣だ!


模様替え(2)

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私の布団が収納してある押し入れの戸、要するに私の睡眠を司るであろう場所に、この2枚を配置した。後日、2枚が3枚に、3枚が4枚にと順調に増殖していけば、私の快適な睡眠は完全に保証されたと考えて間違いないと心得る。


三つ目が通る

私のブログは日記ではない。日記を人目に晒す気はない。なので、時事ネタは出来る限り避けるようにしている。ということはつまり、今、ふと思ったのだが、私のこのブログは「エッセイ」と言えばエッセイなのか?じゃ、私はエッセイストでもあるわけなのか?

私は「シンガーソングライター」、「イラストレーター」に続く肩書きとして、「エッセイスト」を名乗っても良いのか?

え?こういうことは自己申告の世界なの?じゃ、胸を張って名乗ろう。私は伊丹最北端が誇る最強のエッセイストである。

わーい!肩書きが3つもある。嬉しいな、楽しいな♪でも、どれひとつとして金にならないな。侘しいな、悲しいな…。

ま、いっか!


ビールと辛苦を共にして

決して心が沈んでいるわけではない。が、跳ねているわけでもない―この中途半端な精神状況が耐え難くて、ついつい酒に手が伸びてしまうのである。

熱くもなく冷たくもない―「常温」と言えば聞こえは良いが、「ぬるい」と言った途端に最低である。

心が、屋根の下の巣の中のツバメの子供を彷彿とさせる状態である。ピーピーピーピー鳴いて、底無しに刺激を求めている。

酒なら他にも色々あるのに、何故ビールが一番好きなのかと言うと、「冷たい」という刺激と、炭酸によってもたらされる刺激があるからだと思う。ってなことを言うと「じゃ、チューハイでもいいんじゃねぇか」ということを言われる方もおられるかも知らんが、チューハイは基本的に甘い。その点、ビールは苦い。甘いと苦い、どちらがより刺激的か。そりゃ、「苦い」に決まっている。

「辛い」も「苦い」も刺激的で、私はいずれも好きである。

「辛い」のも、「苦しい」のも、出来る限り避けて生きていきたいものだが、全く刺激のない、甘くぬるい生き方よりはずっとマシなような気がしないでもない。


GS愛

私は昔から日本のGSが大好きで、特にザ・カーナビーツと、ザ・スパイダースと、ザ・タイガースが好きで、先日、タイガースがギターの加橋かつみ(トッポ)を除くオリジナルメンバー4人で再結成して、全国ツアーをするというので過剰なまでに胸躍ったのであるが、全国31ヶ所のライヴチケットが即日完売したらしく、大阪でやる時には絶対観に行こうと思っていたのに非常に残念である(チケットは現在、十倍の値が付いているらしい)。

沢田研二(ジュリー)、森本太郎(タロー)、瞳みのる(ピー)、岸部一徳(サリー)の4人が再び一緒にステージに立つなんて夢のようだ。どんな音を出すんだろう。

中でも、私が注目しているのはやはり、岸部一徳である。私は、岸部一徳は日本屈指のベーシストだと思っている。疑われる方は名曲『君だけに愛を』のベースラインを聴いてみられるがよろしい。あの曲は、一徳の音を聴くためにあると言っても過言ではない。そのくらい素晴らしい。

ところで、その昔、ザ・タイガースは大阪の「ナンバ一番」というライヴハウスに出演していた。現在はその跡地に同じ名前のパチンコ屋ができていて、私は一度見に行ったことがある。そう、パチンコ「ナンバ一番」をわざわざ見に行ったのである。ただのパチンコ屋であった。が、「自分は今、昭和40年代にいるんだ!」と強く思い込むことで、若き日のタイガースと、その熱狂的なファン達の面影、体温を感じることができて、なんだかもの凄く感動した。

パチンコ屋から出てきた、顔に「大負けを喰らいました」と書いてあるオヤジが、少女マンガの如くに目に無数の星を瞬かせている、心ここにあらずで無礼な程に場違いな私を見て、怪訝な表情を浮かべていたっけ。


孤軍奮闘

実は私にとって、対面して会話することほど苦手なものはないのである。そりゃあ、酒を飲みながら友人と語らうのは死ぬほど楽しい。が、それは単に私が、会話のやり取りに品のある人間を友人として選んでいるからであって、酒さえあれば誰が相手でも楽しいというわけではない。

意思を伝える手段として、音楽の力を借りることも、文章の力を借りることもできず、徹頭徹尾会話のみで伝え切らねばならないとなると、私は一気に気が引けて、弱腰になってしまう。「伝わるわけがないじゃないか…」という諦めが瞬時にして、私の中に蔓延してしまうのである。

対面して、お互いにまだ一言も発していない内から、私はすでに腰が引けてしまっている。対陣して、いきなり形勢不利を感じて白旗の準備をしているようなもので、これでははなっから戦にならないのである。

会話が始まる。私は徐々に、相手の会話の品格を感じ始める。この時、相手が非常に押しの強い話し手で、私がまだ自分の意見を述べ終わっていないにも関わらず口を挟んできて、それは正しいとかそれは違うとか、審判的なものの言い方をする人間だった場合、私はもうその時点で炎上、白旗を掲げようにもその白旗が炎上、撤退しようと後ろを振り向くとその退路が炎上、こうなるともう意識的に発狂するより他なく、酒を飲むペースをトップギアに入れて、前後不覚になって、緩いカーブを曲がり切れずクラッシュしてさらに炎上、還らぬ人に…ということになってしまうのである。

というわけで、私はある程度、会話に於ける言葉というものを放棄しているのである。今さら上達する気もない。そしたら、そうやって放棄された言葉が怒り狂って、いよいよもって私の指図に従わなくなって、日常生活に支障をきたしてきているのであるが、私はどこかで、私みたいな奴が他にもう少しいても良いんじゃないか?と思っている。なぜなら、どいつもこいつも盲目的に言葉の力を信じていて、信じ過ぎていて、信じ切っていて、その結果、言葉そのものを大いにつけあがらせてしまっているからである。

日々、孤軍奮闘。


諸刃の剣

弱い犬ほどよく吠える―これと同じような感じで、こんなのはどうだろう。

弱い奴ほどよく飾る。

弱そうな奴に限ってギンギラギンだ。そして、さりげなくない。

想像するに、戦国時代に於いては、ヘタレな武将に限って派手な鎧を纏っていたのではなかろうか。で、ヘタレ丸出しにオドオドしてるくせに鎧だけは派手なもんだから、やたらと敵の目と鼻について、真っ先に戦死して、鎧は派手だが人間的存在感が皆無に等しいので、同僚の誰も彼がいなくなったことに気付かなかったのではなかろうか。
所変わって現代。呑み屋街などを歩いておっても、全身ブランド物やなんかで固めて派手な格好をしている奴に限って弱そうである。弱そうなのに派手なので、チンピラに目を付けられて絡まれて、鼻血を流して自販機の横で体育座りをしているのである。あと、派手な女に限ってブサイクなのは言わずもがなで…。

こう考えてみると、ファッションというのもまた、弱者の数ある武器の中のひとつなのかもしれない。ただ、この武器を適切に扱えている人間をあまり見たことがない。