⬆︎記念すべき第1作目。
というわけで、生まれて初めて料理をした。
肉じゃが。
周りの人たちに「初めて作った料理は?」って訊いたら「肉じゃが」っていう答えが一番多かったので、逆らわずに肉じゃがを作ってみた。
思ってたより上手くできた。食える。
できる!
俺に肉じゃがが作れて、あなたに曲が作れないなんて事は絶対にありえない。
どう考えても、曲作りの方が簡単なんだから。
⬆︎記念すべき第1作目。
というわけで、生まれて初めて料理をした。
肉じゃが。
周りの人たちに「初めて作った料理は?」って訊いたら「肉じゃが」っていう答えが一番多かったので、逆らわずに肉じゃがを作ってみた。
思ってたより上手くできた。食える。
できる!
俺に肉じゃがが作れて、あなたに曲が作れないなんて事は絶対にありえない。
どう考えても、曲作りの方が簡単なんだから。
音楽やってるとたまに、いや、なかなかの頻度で、「曲の作り方を教えてくれ」と言われる。で、そのたびにこう答える。「適当に鼻歌歌ってそれに言葉乗せたらええねん」。真面目に答えてるのに「いや、そうじゃなくて」みたいなことを言われる。どんな答え方をして欲しいんだろう。専門用語みたいなものを織り交ぜてエラそうに答えれば良いのか?でも、それじゃ、余計に分からなくなるし、作る気がなくなるだろう。だいたい俺は専門用語なんてほとんど知らないし、事実、「鼻歌に言葉を乗せる」以外の作り方を知らない。
断言する。曲作りほど簡単なものはない。
車を運転したり、料理をすることの方がずっとずっと難しいじゃないか。車の運転ができる人。料理ができる人。凄い。俺、心から尊敬してる。めちゃくちゃ難しいことをしてる。もし「こんなもん誰にでもできる」と言うのなら、その人は、俺にとっては天才以外の何者でもない。これは本音だ。
人は、普通にできてることにもっと自信を持つべきなんじゃないか?あなたが普通にできてること。それができない人も腐るほどいて、その人たちにしてみればあなたは羨望の的なんだから。
でも、もう一度言うけど、曲作りに限っては本当に誰にでもできるよ。楽器なんて弾けなくたって大丈夫。俺のおばあちゃんなんて、料理してる時いつも鼻歌を歌ってた。で、いつもメロディーが違うから「それ、なんていう歌?」って訊いたら「知らん」って言ってた。だから本当に楽器なんて弾けなくても大丈夫。俺なんていまだにギターでドレミファソラシドが弾けないんだから。本当に、鼻歌に言葉乗せてるだけ。
音楽やってて、曲作ってて、憧れられること、羨望の的になることが何故難しいかのと言うと、理由は簡単。
誰にでもできるからですよ。
「缶バッジは最も安価な宝石である」名言だと思う。誰の名言か。俺の名言だ。
缶バッジというものの存在を知ったのは中学の時だったと思う。ブルーハーツの真島昌利がジャケットの襟に缶バッジを付けているのを見て「カッコいいな…」と思ったのが最初。それから、70年代のパンクバンド、ピストルズやクラッシュの写真を見ると皆、革ジャンとかに缶バッジを付けていて、オアシスの映像を観るとリアムがビートルズの缶バッジを付けていて…もの凄いスピードで「缶バッジは最高のロックアイテムだ」という考え方が俺の中に根付いた。
自分の好きなものをさりげなく表明できて、御守り的な要素もあって、服やカバンに一つポンと付けるだけでオシャレな感じになる。こんなに便利な物が他にあろうか。こんなに安価な宝石が他にあろうか。
40歳を超えたら缶バッジを付けよう!缶バッジには人を若返らせる魔力がある。オッサンは何故オッサンなのか。オバハンは何故オバハンなのか。缶バッジを付けないからだ。缶バッジを付けているオッサンを見たことがあるか?オバハンを見たことがあるか?俺はない。
『0469』では続々と缶バッジを製作していく。今日も2種類ほど発注した。来年以降、俺の物販席には何種類もの缶バッジが並ぶ。是非買って欲しい。子供の頃、駄菓子屋に通っていた時のウキウキ感を思い出して、選ぶこと、買うことを楽しんでもらいたい。
ライブ会場が「0469」と書かれた缶バッジを付けた人で溢れたら最高だ。
1.介護施設で働いていた時、介護度って「ありがとう」を口にする頻度で決められるんじゃないか?と思ったことがある。介護度の高い人ほど「ありがとう」を言わないように感じたからだ。でも、これは仕方のないことなのかもしれない。介助なしには生きていけない人に、介助されるたびに「ありがとう」と言えなんて、そんなおかしな話はないし、そうやって「ありがとう」を言わなくなるうちに「ありがとう」という言葉の意味が分からなくなったとしても何ら不思議ではない。言葉の廃用症候群ってあると思う。
2.ある施設では役職に就かせてもらった。任命された時、上司である館長がこう言った。「人の上に立って、人を上手に動かそうと思うのなら、大事なことは一つだけ。しっかり「ありがとう」と言う。それだけ。少し大袈裟でもいいから「ありがとう」とハッキリ言いなさい。そうすれば人はついてくるから」
3.人から物を貰うことが多い人と、人から物を貰うことがほとんどない人との違いは、貰った時に嬉々として「ありがとう」と言えるかどうかという、ただそれだけの違い。喜んでくれる人には色々とあげたくなるけど、大して喜んでくれなかったり、貰っておきながら貰ったものについて不満を垂れる人には何もあげたくなくなる。俺はいつも思う。世の中には「貰い上手」と「貰い下手」がいる。
4.人に命をくれるのが神様だとすれば、神様だって人から「ありがとう」と言ってもらいたいに決まっている。「ありがとう」と言ってくれる人のことを厚遇するに決まっている。「ありがとう」が言える人は、貰ったものを抱えて歩いている。言えない人は引きずって歩いている。
5.人を殺めることを「人の命を奪う」などと言うが、随分とおかしな言葉だと思う。命は奪えない。「奪う」というのは自分のものにするということだろう。引ったくり的な。もし奪えるのなら、不治の病を患って余命3日とか言われたら俺、見境なく奪いに行くよ。でも、何人殺めたとて俺は3日で死ぬわけだ。そう考えると、戦争というのはあれは、人の命を奪えるものと勘違いした人が異常発生した時に発生する赤潮的な現象なんじゃないか?人を殺めたら、殺められた人の命は触れることすらできず神様の元に戻るだけで、殺めた人のものになるわけではない。本当は、地位や名誉や財産だって、奪えるものではないのかもしれない。最終的には奪った以上に没収されるわけだから。
6.俺、キリスト教徒じゃないけど聖書の中に好きな言葉がある。「持つ者はさらに持ち、持たざる者はさらに失う」文章はちょっと違うかもしれないけど、意味合い的にはこんな言葉だった。自分が「持つ者」なのか「持たざる者」なのかは自分自身の判断だと思う。そして、持つ者にあって持たざる者にないのは感謝の気持ち、「ありがとう」だと思う。「満足したら終わり」確かにそうだし、「貪欲」って悪い言葉じゃない。でも、それとは別の次元で、さらに得ようと思えば、さらに幸せになろうと思えば、足るを知って「ありがとう」を口にすることが一番の近道なのかもしれない。少し大袈裟でも構わないから「ありがとう」だ。そういえば俺、ライブの時、一曲歌い終えるたびに「ありがとう」って言う。あれはただ、お客さんが拍手のタイミングに困るのを避けたいがためなんだけど、これまた別の次元で考えたら、ものすごく意味のあることなのかもしれない。
海賊ライチ加入前のシスターマロンが撮影し、シスター自身「気に入ってる」と言う写真と、俺が描いたイラストの中でも特に女の人たちからの評価が高い「天使」とで作った。
イラストのタイトル。こうして並べてみると「天使」じゃなくて「シスターマロン」の方が良いんじゃないか?なんて思ったり思わなかったり。
今年ももう終わりでございますな。
俺としては、やり残した事が何もない充実の一年でした。全て計画通り。来年に向けて良い流れを作れた。あとは年が明けて、自分の中でギアが入るのを待つばかり。
さて、ここらで来年の抱負を書いておこう。
①今年8曲作ったから「8曲」を最低ラインとした。問題はクリスマスソング。なんか、良いクリスマスソングを作るアーティストって認めざるを得ないみたいなところない?だから作って認めさせる。
②狙いはギブソンes-335。数ヶ月前から、スマホのお小遣い帳アプリを駆使してお金を貯めている。たまに「お小遣い帳!?お前はそれでもロックスターか!」って言われるけど、俺はロックスタアだから関係ない。
③これからはアルバムやグッズを売っていかねばならんから、商才に長けた愛嬌のある人が欲しい。それから、PCの扱いに長けた人も欲しい。俺には商才の「し」の字もないし、PCについては、俺、根っからのアナログ人間で何が何やらさっぱりわからんからね。
④来年のライブはアルバムをプロモーションする為のものになるから、ある程度回数をこなさないといけない。いつも、意味のないライブはしないように心掛けてるけど、目的がプロモーションであることを思えば、基本的にどこで誰とやろうとお客さんさえいれば意味はあるのかなと思う。でも、あれだ、正直もう「持ち時間30分」は嫌だな。窮屈だ。毎回、最低でも40分はやりたい。
⑤超難題。今はもう、楽器屋とかにメンバー募集のフライヤーを貼り出す時代じゃないし、そんなスペースもないし、かと言って、ネットで探すと頭のおかしな奴ばっかり来るみたいだし…。だから、バンド名だけ先に決めておいた。
と、5つ書いたけど、本当は「知名度を上げる」だけでも良かったりする。いずれも知名度を上げる為だったり、知名度が上がればどうにかなることなんだから。でも、目標は漠然としてるより具体的な方が良いから5つ書いておいた。
頭一つ抜ける。そんな一年にしないといけない。
うちの奥さんが元春さんのオリジナルアルバムを発表順に並べてくれと言うので並べてみたらなかなかの貫禄で警察が犯罪者から押収した品々みたいになった。
あと一枚で全作品揃う。「揃えた」という意識はない。揃った。
こうして眺めてみると、あらためて40年のキャリアって凄いなと思う。40年間、昔からのファンの信頼に応え続けながら、新しい、若いファンも獲得してきた。凄いバイタリティーだと思う。
先日、テレビで年末恒例の「音楽祭」みたいなのをやっていたのだが、出演者の8割がジャニーズだったので、激烈にイラッときて2秒で消した。あんなもの、音楽でも何でもない。ただの使い捨ての悦楽。それも相当な安物。コンビニエンス。
一昨年だったか、俺、『MUSIC IS DEAD』というタイトルのミニアルバムを出したんだけど、このタイトル、めちゃくちゃ気に入っている。音楽は死んだ…奇をてらうつもりなんて微塵もなかった。ただひたすらに事実を述べたまでのこと。音楽は死んだ。死んでいる。俺の中ではこう続く。「が、ROCKだけは生きている」。音楽が死んだことに気付くのも、そのことについて抱いた悲痛な気持ちを怒りに、パワーに変えて、皮肉たっぷりに音楽を蘇らせようとするのもROCKだけ。他の音楽はただただ傍観しているだけ。危機感も怒りも何もない。目の前に泣いている人がいても我関せず。そのスタンスさえ維持していれば当たり障りなく「いい人」でいられると思っている。在り方として、清潔かもしれないが綺麗ではない。優しさのカケラもない。くたばれ。ってもう遠の昔にくたばってるか…。良い事だ。
この国にも、ごく僅かながら本物はいて、本当の音楽がある。ただ、誰も気付かないだけ。なぜ気付かないのか。気付きたくないから。なぜ気付きたくないのか。本物が奏でる本当の音楽にはいつもどこか痛さがあって、辛さがあって、重さがあって…つまり、人生そのものだから。歳をとり、死んでいくということをずっと忘れていたいのに、邪魔だから。
今楽しければいい?そもそも、音楽がスッと現れてスッと消えていくものだという発想に誤りがある。音楽ってそんなに刹那的なものじゃない。俺が死んだ後も、あなたが死んだ後も、絶え間なくずっとずっと続いていく。
イライラしている元春さんを始めて見た。モニターの音が聞きづらいらしく、しきりに舞台袖に向かって人差し指を突き上げていた。それでも改善されないのか、歌いながらマイクスタンドの位置を頻繁に前後させていた。
ローディーの背の高い男の人が鈍臭くてなかなかギターを持ってこない。舞台袖に向かって何度も「ヘイ!」と叫ぶ元春さん(客からも「早よギター持って来い!」という声が飛んだ)。ローディーが慌ててギターを持ってくると、よほど頭に来たのかドラマーの方を向いてギターを受け取ろうとせず、お灸をすえるように少し間を空けてから受け取ると、受け取る時に、ローディーの耳元で何か囁いていた。明らかに怒っていた。
でも、それがまたカッコ良かった。「お客さんの為に君たちみんなもっとちゃんと仕事してくれ」というプロ意識だと思った。
MCが先月の神戸公演の時とほとんど同じで笑ってしまった。が、これはご愛嬌。元春さんはアーティストであってコメディアンじゃないんだから。
全21曲。当然ながら捨て曲なし。お腹いっぱい。
チキンを食った。去年食べたチキンより大きくて美味しかった。
お腹いっぱい。