コメント、ありがとう!
明日は、『蝶』のメンバー4人が、大阪に集結するよ。
俺と、剣吾くんと、ティムと…
メンバー4人が大阪に集結するよ。
コメント、ありがとう!
明日は、『蝶』のメンバー4人が、大阪に集結するよ。
俺と、剣吾くんと、ティムと…
メンバー4人が大阪に集結するよ。
例えば、何処ぞのお寺に行って、そこの坊主が、「『無』こそ『有』なり」なんてことをボソッと呟いたら、一瞬、感銘を受けるかもしらん。でも、それはただの詭弁やと思うよ。だって、そんなもん、何とだって言える。私なら、「『表』こそ『裏』なり」とか何とか、高田純次ばりにテキトーに言い返すよ。
無は無なり。表は表なり。生きることは生きることで、死は死なり。複雑に考えたら迷宮入り。
基本、死を考えるというのは、死を考えるということであって、生きることを考えてるわけじゃないと思う。生きることを考えないと、生きることを考えてることにはならんと思う。
「生きたい」じゃないかもしれない。ただ「死ねない」だけなのかもしれない。じゃ、何故「死ねない」のか。「生きたい」からかもしれない。
めぐみさんは生きとる。私だって生きとる。無も有も表も裏もなく、それが全てだと存じます。
頭、丸めよっかな…。
ロックンロールの世界にはね、各年代毎に、「ロックは死んだ」なんてことをイキッて抜かす奴がおりましてね。でね、そういう奴らはね、まず間違いなくね、その発言の直後に消滅していきよるわけです。
ロックの女神は恐ろしいっすよ〜。ま、愛されたら、最高やけどね。
え?ストーンズが長続きしてる理由?簡単なことじゃないですか。「ロックンロールが好きだ。大好きだあ〜!」って言い続けておるからですよ。
落ち込むのは、沈み込むのは、簡単だ。
簡単だけど、明らかに時間の無駄だ。
時間を無駄にしたことに気付くのは、随分と時間を無駄にした後のことだ。
無理矢理でもいいから、頑張って、出来得る限りポジティブにいこう。
今まで何度もブログ上で言ってきたように、ポジティブってのは、「前向き」ということであって、決して、「上を向いて歩く」ってことではないんだから、そこまで無理しなくたっていいんよ。
ポジティブに生きる理由は、「時間を無駄にしたくないから」でいいじゃないか。それで十分じゃないか。
「俺ももうオッサンやから。」とか何とか言うて笑ろてる同年代の奴らには、言葉で何を言っても無駄だから、俺が、精神年齢19の俺が、今から一生を賭けて証明してやる。
こう見えても、一度はクソ真面目に死ぬことを考えた人間だ。これからは「生きる」ということにめちゃくちゃ執着して、「生きる」ということを暴走してやる。
素行?メチャクチャだぜ!
社会的に?ガタガタだぜ!
でも、今からでも全っ然遅くない。だって俺、オッサンちゃうもん!
日本最強のロックンロールスターになってやる!
なって、リアム・ギャラガーに逢いたい。
逢って、一緒に酒呑んで、ついでにサインもらって…。
素行?メチャクチャだぜ!
気合と根性でぶつかっていかないと、いつまで経っても、高嶺の花は高嶺の花のままだ。
高嶺を見上げて、「しっかしまあ、いつ見ても見事な花でございますなあ」などと呑気なことを言っておる場合か!無闇に老うな!
「当たって砕けろ!」などとよく言うが、実際は、砕けちゃあなんにもならん。退路を断って戦って、絶対に勝たないと。
物理的には高嶺の花でも、精神的に高嶺の花を見下ろすことができたら、その時点からもう高嶺の花は、物理的にも高嶺の花じゃなくなってくるということを、私はよく知っているつもりです。
Fight!
石炭をじゃんじゃんじゃんじゃん放り込む
身体中を
黒い煙をもうもうと上げて爆走する一台の機関車
車輪と線路が火花を散らす
高く低く遠く響きわたる唸りをあげて
同じルートを何周も何周も駆け抜けるうち
磁力が生まれる
直接手を下さない物事までも引き寄せる
磁力が生まれて
その時
機関車はトンネルを抜ける
コメント、ありがとう。
めっちゃ楽しいけど、正直、めっちゃ不安でもあるよ。でも、広島東洋カープの前田が、「俺はもう、身体の悲鳴には耳を貸さん!」と言ったように、私も自分の中の不安とか心配には耳を貸さん!と思っております。
やれることは何でもやって、行けるとこまで行ってみるよ。
乾杯!
私が一番好きな漫才師―笑い飯。これは、だいぶ前から私の部屋に飾ってある写真。
この二人は本当にかっこいい。私は、この二人を「芸人」というよりは、「アーティスト」だと思っている。この二人の「ネタ」は、ネタではなく、「作品」だと思っている。
「Wボケ」ということは、同時に、「Wツッコミ」だということだ。片方が「おもしろい方」で、片方が「おもしろくない方」だと絶対に成立しない形だ。
「俺の方がおもろい!」「いや、俺の方が全然おもろい!」などというやり取りをする漫才師を私は、笑い飯以外に見たことがない。
従来の形、従来のやり方、従来の考え方では、到底奇跡は起こせない。従来の結果しか出せないし、従来の流れしか生み出せない。
「従来」ということの全てをやめたい。