コメントへの返信〜めぐみ様宛

例えば、何処ぞのお寺に行って、そこの坊主が、「『無』こそ『有』なり」なんてことをボソッと呟いたら、一瞬、感銘を受けるかもしらん。でも、それはただの詭弁やと思うよ。だって、そんなもん、何とだって言える。私なら、「『表』こそ『裏』なり」とか何とか、高田純次ばりにテキトーに言い返すよ。

無は無なり。表は表なり。生きることは生きることで、死は死なり。複雑に考えたら迷宮入り。

基本、死を考えるというのは、死を考えるということであって、生きることを考えてるわけじゃないと思う。生きることを考えないと、生きることを考えてることにはならんと思う。

「生きたい」じゃないかもしれない。ただ「死ねない」だけなのかもしれない。じゃ、何故「死ねない」のか。「生きたい」からかもしれない。

めぐみさんは生きとる。私だって生きとる。無も有も表も裏もなく、それが全てだと存じます。

頭、丸めよっかな…。


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