Fight!

気合と根性でぶつかっていかないと、いつまで経っても、高嶺の花は高嶺の花のままだ。

高嶺を見上げて、「しっかしまあ、いつ見ても見事な花でございますなあ」などと呑気なことを言っておる場合か!無闇に老うな!

「当たって砕けろ!」などとよく言うが、実際は、砕けちゃあなんにもならん。退路を断って戦って、絶対に勝たないと。

物理的には高嶺の花でも、精神的に高嶺の花を見下ろすことができたら、その時点からもう高嶺の花は、物理的にも高嶺の花じゃなくなってくるということを、私はよく知っているつもりです。

Fight!


例えばこんなイメージ

石炭をじゃんじゃんじゃんじゃん放り込む

身体中を

黒い煙をもうもうと上げて爆走する一台の機関車

車輪と線路が火花を散らす

高く低く遠く響きわたる唸りをあげて

同じルートを何周も何周も駆け抜けるうち

磁力が生まれる

直接手を下さない物事までも引き寄せる

磁力が生まれて

その時

機関車はトンネルを抜ける


コメントへの返信〜須磨ですまんの〜様宛

コメント、ありがとう。

めっちゃ楽しいけど、正直、めっちゃ不安でもあるよ。でも、広島東洋カープの前田が、「俺はもう、身体の悲鳴には耳を貸さん!」と言ったように、私も自分の中の不安とか心配には耳を貸さん!と思っております。

やれることは何でもやって、行けるとこまで行ってみるよ。

乾杯!


笑い飯と従来放棄

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私が一番好きな漫才師―笑い飯。これは、だいぶ前から私の部屋に飾ってある写真。

この二人は本当にかっこいい。私は、この二人を「芸人」というよりは、「アーティスト」だと思っている。この二人の「ネタ」は、ネタではなく、「作品」だと思っている。

「Wボケ」ということは、同時に、「Wツッコミ」だということだ。片方が「おもしろい方」で、片方が「おもしろくない方」だと絶対に成立しない形だ。
「俺の方がおもろい!」「いや、俺の方が全然おもろい!」などというやり取りをする漫才師を私は、笑い飯以外に見たことがない。

従来の形、従来のやり方、従来の考え方では、到底奇跡は起こせない。従来の結果しか出せないし、従来の流れしか生み出せない。

「従来」ということの全てをやめたい。


歌詞『不死身のエレキマン』/甲本ヒロト

電気のトラブルで
生まれ変わったぜ 俺は
昼と夜をかきまぜて
朝まで踊れる男

何の時代だか
どんな時代だか
ガンコなロックで
朝まで踊れる男

自分が自分の世界の主人公になりたかった
子供の頃から憧れてたものに
なれなかったんなら 大人のフリすんな
第一希望しか見えないぜ 不死身のエレキマン

大人になったら
セミは飛ぶんだぜ
子供のままでいるんなら
死ぬまで暗い土の中

自分が自分の世界の主人公になりたかった
子供の頃から憧れてたものに
なれなかったんなら 大人のフリすんな
第一希望しか見えないぜ 不死身のエレキマン


革命ポンチ

先のことをシミュレーションする時、人間の想像力というのは、防衛本能として、ネガティブな方向に流れるようにできている―という話を聞いたことがある。

私は今回のバンドの形について、私の中では一種革命的とさえ言えるような、一大決心をしようと思っている。

この札を切るというのは、私にとっては一種の賭けだ。吉と出るか凶と出るか…って、ほらね、もうネガティブな空気が漂ってる。

シミュレーションを止めて、インスピレーションに全てを賭ける。
「今だ」と思ったから、今、そうする。ここに計算的なものは微塵もない。

「案ずるより産むが易し」古人もたまにはいいこと言う。

革命ポンチ。


血は血のままで

納得のいく自分自身でいるために、そして、納得のいく自分自身が納得のいく言葉を喋る為に、アルコールは必要不可欠だ―という状況が18の時から続いているが、この状況って、一体いつまで続くんだろう。

シラフの時、私は、固くて重い殻を被っているような感覚でいる(だから私は、ライチを意味する「茘枝」を名乗っている)。

考えてみれば、私はこの16年間、シラフで歌ったことがないし、シラフで曲を書いたことがないし、シラフで恋愛をしたことがないし、シラフで語ったことがない。

「私の血はワインでできている。」と川島なお美は言ったが、私がいくらビールを飲んだところで、私の血は血のままで、いつまで経ってもビールにはならんのだから厄介だ。


ラブソングの作り方

「生きてて良かったあ!」なんてゴミのような台詞を繰り返し言いたくなるような、知能指数が著しく低下してるけどもそれを快感と思えるような、そんな、恋愛がしたい。

そうして

「生きてて良かったあ!」なんてことは口が裂けても歌わないけども、知能指数が著しく低下しておることは誰の耳にも明らかな、そんな、ラブソングを書きたい。

「一人」を想いながら、それ以外のことは何も想わず、曲を書くというのは、あれは、本当に、作曲者冥利に尽きるし、知能指数が著しく低下しておるにも関わらず、どういうわけだか、めちゃくちゃ良い曲を書けてしまうから不思議だ。

要するに、猛烈な恋をしておる時の人間というのは、魂が頭を押さえつけとるような状態なんでしょうな。これって、アーティストにとっては、最高の状態でしょう。

魂が頭を押さえつけている状態…私にもあったよ、そんな時が。よ〜く覚えてる。


リアムバリ

仕事中、手は仕事をしてるけども、頭は常に『蝶』のことを考えている。

「考える」ということの一切を止めてしまいたいけど、どうしても考えてしまう。楽しいからね、やっぱり。

(凄いバンドが)「出たあ〜!」って言わせたい。

決して焦らない。焦らないけども、でも、正直言うと、一刻も早くステージに帰って、客を睨み付けたい。

リアムばりに!


コメントへの返信〜さかえ様宛

サナギが蝶に化ける課程で、万が一、ものすごいコケ方をしたとしても、それはたぶん、陽なコケ方で、決して陰に込もったコケ方にはならないと思うので、コケた時はコケた時で楽しんでやってください。最終的に化けられりゃそれでいいんだから。

しかしまあ、「蝶」ってのはいいねぇ。化け方がミラクルで、化けた後はミステリアスなんやからねぇ。「カブト虫」なんかよりも全然イケてるよねぇ。そういえば、私が二つ目の老人施設で働いてる時、めちゃくちゃ親しくなったお婆さんの名前が「蝶子」やったよ。因縁だねぇ。