☆ライブ決定☆

まだまだ先の話ではあるが、一つ、ライブが決まった。


2020.4.12.sun 伊丹DABADA

【open/start】17:30/18:00

【charge】¥1500(1drink付)

【act】

和田怜士

toma que toma que toma!

バニーマツモロ

ハーミットニシヤマ

吉田ふくたろう


DABADAのマスターから来年のスケジュールが送られてきて、見ると4月の出演者欄に「toma que toma que toma!」とあって、出てみようかなと思った。それから、バニーさんはトマケさんのステージを観たことがあり気に入ってはったけど、トマケさんはバニーさんのステージを観たことがないから、これはトマケさんにバニーさんのステージを観てもらえる良い機会だと思ってバニーさんに声を掛けた。トマケさん、バニーさん、俺。いい感じだ。残り2枠。そうだ、みこみかんさんを呼ぼう!と思い、声を掛けたのだが、残念ながら都合が合わなかった(みこさんは6月の出演が決定)。翌日の朝、出演者欄を見てみるとハーミットニシヤマという人が新たにエントリーしていた。ギターインスト。ブルースやボサノヴァをやる、かなりの腕利きらしい。いい感じだ。残り1枠。こうなってくるともう目線は完全にお客さん目線。観に来てくれるお客さんの為に是が非でも良いイベントにしたい。ここまでいい感じで来ているのに、ここにアカンのが入ってきたら台無しだ。と思い、藁にもすがる思いで吉田ふくたろうさんに声を掛けたら快諾してくれた。

これまでに、俺がやってきたライブは19回。その中で、ふくたろうさんと当たったのが6回。バニーさんと当たったのが5回。19回中11回はどちらかと当たってきたことになる。二人とも、毎回全力で来てくれるからやり甲斐がある。迎え撃つのが楽しい。まさに「好敵手」。食うか食われるかの間柄ではあるが、絶対的に信頼している。

スパニッシュあり、ロックあり、インストあり、弾き語りあり…良いメンツが揃った。絶対に面白いと思う。


☆予約受付開始☆

本日より、怜士が新たに発表するアルバム4タイトルの予約受付を開始致します。予約受付分については、以前から告知させて頂いております通り、無料にて提供させて頂きます。ご予約方法等は以下の通りとなります(下記以外の方法でのご予約お申込みはご遠慮下さい)。


1.一枚一枚手作りであり、材質等、仕様をグレードアップさせた為、大量生産が困難な商品となります。従って、誠に恐縮ではありますが、ご予約はお一人様につき一枚とさせて頂きます。『compass』『爆弾』『DABADA TV SHOW』『eclipse』の中から一枚をお選び下さい。

2.お選びになりましたら、当ブログのコメント欄にお名前(他の方と被らなければ偽名でも結構です)とご希望の作品名をお書き込み下さい。当記事以降の記事であれば、どの記事のコメント欄にお書き込み頂いても結構です。

3.受付締切は11月末日とさせて頂き、商品のお引き渡しはライブ会場となります(直近のライブでなくても構いません)。


当レーベルと致しましては、早い段階で予約枚数を把握し、予約分の生産、確保を優先させて参ります。
「お一人様につき一枚」これが皆様の要望、そして怜士の意向に100%沿う形でないことは存じ上げておりますが、これも品質の更なる向上と維持、並びに、当レーベルの安定した運営継続の為。何卒、ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。

最後に。「お一人様につき一枚」とさせては頂きますが、お一人でも多くのご予約をお待ちしております。承った全てのご予約が、怜士の創作意欲と活動意欲の糧となります。

海賊ライチrecords


俺が洋楽CDを買う時、高いのにわざわざ輸入盤ではなく国内盤を買う理由の一つに「帯が付いているから」というのがある。対訳が付いていたり、ライナーが付いていたり、ボーナストラックが付いていたりするのも確かに国内盤の魅力ではあるが、俺にとって国内盤の最大の魅力は帯。帯を捨てる人があるが気が狂っているとしか思えない。帯もデザインの一つであって、ジャケットを眺めながら聴くのはもちろんのこと、そこにさらに帯があり、帯を眺めながら聴くことができればそれこそベストな音楽の聴き方だと思っている。だから、自分の作品にも帯を作ってみた。感動した。カッコいい。やっぱり帯がなくちゃ!

帯の色。赤。実物は写真よりも赤い。なぜ赤にしたのか。言わずもがな、俺のイメージカラーだからなのだが、理由はそれだけではない。ビートルズのアルバムもストーンズのアルバムも、初めてCD化された時に付いていた帯の色が赤だったからである。

帯が付いた。爆発的に嬉しくて、シスターマロンにお願いして写真を撮ってもらった。自分としては、ユニオンジャックを身に纏って、ザ・フーを意識したつもりなのだが、なぜかシスターは「子供か」と漏らしながらずっと苦笑していた。


SURFBLUE現象

昨日、職場で休憩中にYouTubeを覗いてみたら「SURFBLUE」の再生回数が200を越えていた。これは一番最初にアップした「バタフライ」に次ぐ再生回数である。「SURFBLUE」をアップしたのは6番目だったから、「FLOWERS IN THE DIRT」「紙吹雪舞う」「果物をてんこ盛った巨大なケーキ」「檸檬」の4曲をごぼう抜きして2位につけたことになる。

俺はいつも、どの曲が特に評価されているのかを知りたいと思っている。でも、それを知る手段がない。一人一人に「どの曲が好き?」なんて訊いて回るわけにもいかないから、ライブで反応を見るしかない。が、これがなかなか難しい。反応の差というのは、ライブ中はもちろんのこと、後で録音したものを聴いても分からない。それに、盛り上がっているからといって評価されているとは限らないし、シンと静まり返っているからといって評価されていないとも限らない。そこへ持ってきて今回のこのSURFBLUE現象。評価が数字となって表れていて分かりやすい。

確かに素晴らしい曲だと思う。でも俺は、俺の中では、割と地味な曲だと思っていた。これを気に入ってくれている人達は、この曲の何を気に入ってくれているんだろう。何を感じてくれているんだろう。俺の存在を知っている人の数から察するに、同じ人が何度も観てくれているんだろうと思う。

「SURFBLUE」は皆さんご存知の通り、バニーマツモロさんとの共作曲である。俺がバニーさんに「詩を頂けませんか?」とメールをしたらその日のうちに「SURFBLUE」と題された詩が送られてきたのでメロディーを付けて、バニーさんに聴いてもらった。すると今度はバニーさんが詩を付け加えて欲しいと言ってきたので付け加えて(「或いは風のない夜明け」「手触りは全ての想い出」)バニーさんが「素晴らしい」と言って完成。「詩を頂けませんか?」から「素晴らしい」までに要した時間は僅か3日。

「SURFBLUE」タイトルを見た瞬間、水をイメージしてメロディーを作ろうと思った。詩の内容については、これはバニーさんの意図するものとは違うかもしれないけど、「無」だと思った。例えば、風の流れや水の揺らぎを感じようとする時、人は喋ることも体を動かすこともやめて、出来る限り自分を無に近づけることで、感覚を研ぎ澄ませようとする。同様に、この曲の中に棲んでいる主人公も、自分の内にあるものから自分の外にあるものに至るまで、ありとあらゆるものをゼロに戻して、何かを感じ取ろうとしている。何を感じ取ろうとしているのか。「愛」じゃないか?というのが俺の見解。だから、詩を付け加える時にはこの見解に沿って、また、この見解がバニーさんの意図するものでなかったとしてもバニーさんの意図を壊すことがないように配慮して付け加えた。

って、あれ?やっぱりどう考えても名曲じゃないか(笑)


『COMPASS』再発へ

『爆弾』『DABADA TV SHOW』のリイシューに合わせて、ソロでの活動を再開した2016年のベストライブを収めた『COMPASS』を再発することにした。

パフォーマンスは申し分ないし、お客さんのノリも良いし、シスターマロンによるジャケ写も素晴らしい。ではなぜ廃盤にしたのか。唯一して最大の弱点は音。音に厚みがなくペラペラだったからである。

それもそのはず。これを発表した時、俺はまだDr.Fとの再会を果たしていなかった。従って、マスタリングを施すことができず、録音したものをそのまま出すしかなかった。音圧が低いことも、低音が弱いこともわかっていた。わかっていても、当時の俺にはどうしようもなかった。が、今は違う。Drの力を借りて、音に磨きを掛け、蘇らせることができる。

2016年はスタジオに入るたびにデモ音源を録っていた。その中で特に気に入っている2曲をボーナストラックとして追加する。もちろん、これにもマスタリングが施される。

活動を再開した2016年から2019年現在に至るまでの4年間を4枚のライブアルバムに凝縮。完璧に総括する。そして、意気揚々と2020年に突入する。

『COMPASS』の復活。今年最後の大仕事だ。


軌跡

トップメニューに「軌跡」という項目を新たに追加した。自分の為にも、ソロで活動を再開して以降、いつどこで誰とライブをしたのか、どんな風に動いてきたのか、わかるようにした。飛び入りは回数に入れていない。

この4年間で19回やったんだな。ってことは次回、2020年一発目のライブが20回目ってことになる。

良い流れで来ていることの証のような、良い事が起こる予兆のような、このちょっとした偶然が嬉しい。


心に真珠を持つ男

長きに渡る隠遁期間を経て「和田怜士」の名で音楽活動を再開したのは2016年3月の事だった。今はもう無いが塚口に「ごろごろ」という店があって、飛び入りで歌ったのが最初。その時、俺の後にZさん(仮名)という年配のブルースマンがステージに上がった。

ぶっ飛んだ。物凄かった。信じられなかった。黒人の血が流れているとしか思えないノリに満員の客席が沸きに沸いた。普段、ブルースなんて絶対に聴かないであろう人たちが全力で手を叩いて身体を揺らしていた。初めて、完全に負けたと思った。ブルースがなければロックはなかった。ブルースはロックの父。ブルースには勝てないと思った。そう、実は俺は、活動を再開するやいなや完敗を喫していたのである。初戦を落としていたのである。

Facebookの友達申請。Zさんのような素晴らしいアーティストとは滅多に出会えるものではない。是非、繋がっておきたい。でも、完全に負けたし、向こうは俺の事なんて屁とも思っていないだろうな…と躊躇しているところへZさんから「宜しければお友達に」と来た。嬉しくて即承認。以来、現在に至るまで、ZさんとはFacebookで繋がっていて、ごくごくたまにではあるが連絡を取り合っている。

先日、ふと「来年、自主イベントをやってみようかな」と思い立った。誰を呼ぶ?考える前にZさん抜きではあり得ないと思った。Zさんには以前から「自分がイベントをやる時には絶対出て下さい!」と言ってきたし、意を決して「来年やるとなれば出演して頂けますか?」といった内容のメールを送ってみた。するとすぐに返事が来て、「お誘い感謝します。でも、残念ながら、あと一年半はライブをやるつもりはないんですよ。一年半前にライブをしました。で、その時にこれから三年間はライブから身を引いてブルースを追求しようと決めたので、あと一年半」とあった。俺はこの人やっぱり本物だと思って、心服して、「やっぱりZさんは本物です。わかりました。では一年半後に」とだけ返して、イベントの話は消えた。

Zさんがライブから身を引くことにした理由。「ブルースを追求したいから」というのは事実だと思う。あの日、俺が目の当たりにしたライブは、そういう人じゃないとできるものではなかったからだ。でも、理由はもう一つ別にあるんじゃないか?と思っている。それは、他の演者とのポテンシャルの差だったり、意識の差だったりにあるんじゃないか?その肩透かしみたいなものにウンザリしたんじゃないか?ということだ。

心からブルースが好きで、ブルースの良さを伝えようとステージに立つ。「楽しけりゃいい」なんて考えは微塵もない。そんな人が「楽しけりゃいい」と言って、軽薄な気持ちで音楽やってる人たちの中にいれば、肩透かしを食らったような虚しさを感じてしまうのは当然の事。意識レベルの低い演者と、それを観に来た客の前にブルースを出して見せることの豚に真珠。もうこれ以上真珠を汚したくないと考えたのではないだろうか。そう考えると、Zさんが俺と繋がりを持とうと思ってくれた理由がなんとなく理解できる。俺がロックという真珠を持っているということ。そして、その魅力を伝えようとする気持ちがZさんに負けず劣らず真摯なものであることを「同じ匂いがする」と言ったかどうかは知らないが察してくれたんだと思う。

ライブから身を引いたZさんは今、新開地のライブバーでブルースギター教室を開いている。演者としてではなく講師として、ブルースを伝えよう、広めようとしている。自身より上にブルースを持ってきている。姿勢として宗教家に近い。音楽愛、ブルース愛に溢れた本当に美しい舵の取り方だと思う。

「石の上にも三年」と言うが、三年、講師としてブルースの為に尽くして、何か悟るものがあって、研ぎ澄まされて、雑音が全く気にならなくなるところまで来たら、また演者としてステージに戻ってくるのだろう。その時、Zさんの前に立ちはだかるのは俺だ。復活したばかりのところを思いっきり叩く。あの時、俺がやられたように。


孤高だもの

ライブ。毎回全力を尽くしている。毎回、頭の中にある言葉は「玉砕」だ。それが伝わってか、最近はコンスタントにお客さんが観に来てくれるようになった。誰かが観に来れなくなった場合には、別の誰かが観に来てくれて、それがまた予想だにしない人だったりなんかして、結果、「目に見えて」という程ではないが、少しずつ、徐々に徐々に増えてきている。安定してきている。

ライブはお客さんがいてこそのライブ。お客さんと一緒に作るもの。お客さんが大勢観に来てくれることで、俄然、俺のパフォーマンスが良くなる。俺がベストなパフォーマンスを披露できたら、お客さんも喜んでくれて、そこにある全ての音がライブ盤に反映される。そうして生まれた素晴らしいライブ盤を一人でも多くの人に聴いてもらう。気に入ってくれた人が曲を覚えてライブを観に来てくれる。その人が観に来てくれたことでさらに俺のパフォーマンスが良くなる…という良い流れ、サイクルが、まだまだ序の口とはいえ見えてきたように思う。いつも何かが回り始めるのを待っていたのだが、微妙に何かが回り始めたのを感じている。このまま自分のやり方、自分のペースで真面目にやっていこうと思う。

回る。と言えばCD。いよいよ『eclipse』『爆弾』『DABADA TV SHOW』の3作がパッケージングの段階に突入した。紙ジャケの質を上げた。厚くなった。大きくなった。CDは不織布カバーに入っていて、レコードのように横から出し入れする。自分の作品についてもやはり「物感」は大切。音の聞こえ方が違ってくる。パッケージングしたものを手に、眺めながら聴いてみた。感無量。

2017年、2018年、2019年。それぞれのベストパフォーマンスが聴けるアルバムを作って、これまでやってきたことを総括して、過去を過去で終わらせることなく形にして引っさげて2020年に突入する。我ながら本当に良い流れだと思う。

まだ来年の抱負を語るには早いけど、来年はどこかのタイミングで、これまでとはちょっと違った表現に挑戦したいと思っている。表現の幅を広げたいと思っている。いつになるか、どんなタイミングになるかはわからないけど、それはライブを観に来てもらえば一目瞭然。すぐにわかると思う。

といって、俺は来年、いつライブをするんだろう。どこでするんだろう。誰とするんだろう。どこで誰とやろうが「和田怜士のライブ」をするだけだけど、あまりにも白紙で予想ができなくて…果報は寝て待て、か?

しかしまあアレだね。コネがないってツライよね。俺、同業者とかには結構嫌われてるからな。「相手にならん」とか「一緒にすな」とかいう気持ちがすぐに態度に出てしまう。仕方ないか。だって、ゴミはゴミだもの(笑)


アルバム解説『eclipse』

<収録曲>1.口車に乗って 2.バタフライ 3.waterfall 4.M&M 5.果物をてんこ盛った巨大なケーキ 6.赤い雨 7.SURFBLUE 8.未来へ 9.復活の予感 10.savvy? 11.orange 12.ガガーリン 13.雫 14.孤高

¥1500


記憶に新しい2019年8月、日本橋太陽と月でのライブの模様を収めたアルバム。

バニーマツモロさんとのツーマンライブ。ツーマンライブをやるのは二度目。2012年に一度やったことがあるのだが、持ち時間1時間というのは初めてのことだった。外は雷雨。俺は先攻。計14曲披露した。

ギターの音はアンプから出した。なので、ここで聴けるギターの音は完全に俺が作ったものである。リハの時、珍しく入念に音を作った。PAにも色々と注文を付けた。自分の中で出したい音が明確に決まっていたからである。とにかく低音。低音にこだわった。一番高い音と一番低い音が同じ音量でぶつかるような音にしたかった。結果、思い通りの音になって、Dr.Fが「手を加える必要がない」と判断。音圧を上げる以外にマスタリングらしいマスタリングは「あえて」施されていない。

このライブの前に全曲新曲ライブがあり8曲作った。そして、そのうち5曲をセットリストに組み込んだ。やり慣れた曲に挟まれても埋もれることなく存在感を示したこの5曲が新しい風を持ち込んで、緊張感はあるが安定した素晴らしいライブになった。

ジャケットには幼馴染みの女性カメラマン「idol」撮影の写真を使用。封入カードの方も時間をかけて入念に作り込んである。

2019年のベスト・パフォーマンスをとらえた一枚。これを聴いてもなお、あなたは俺を天才呼ばわりしようとはしないのだろうか。


アルバム解説『DABADA TV SHOW』(リイシュー盤)

<収録曲>1.伊丹DABADAで逢いましょう 2.バンドマン・ロック 3.果物をてんこ盛った巨大なケーキ 4.バタフライ 5.グラサージュ 6.ストーカー 7.ハングリーマン〜恋の尊厳死〜(BLUES version) 8.モナリザ

¥1000


2018年11月のライブの模様を収めた『DABADA TV SHOW』から冒頭の「未来へ」、ラストの「アニマ HOLD ME TIGHT」をカットしたものに、同年9月のライブの模様を収めた『RED CARD』(廃盤)に収録されていた「ハングリーマン〜恋の尊厳死〜」「モナリザ」を加えた全8曲。

これまで配布してきた『DABADA〜』をお持ちの方は、音の違いに驚かれると思う。収録曲も変わったが、音も劇的に変わった。『DABADA〜』のギターの音はラインで出している。つまり、俺が作った音ではなく、マスターが作ってくれた音。マスターは一般的な「良い音」を作ってくれる。クリアで、キラキラしていて、抜けが良い。ライブの時は、お客さんの大半がごくごく一般的な人たちなのでそれで良いし、マスターには感謝しているのだが、録音して、CDに落として、演る側ではなく聴く側に回って、客観的に和田怜士の作品として聴くと、聴くたびに違和感を感じるようになった。「これは俺じゃない」。そこで、Dr.Fにお願いして、俺の思う音に変換してもらった。クリアでキラキラした感じを一掃して、もっさりとして暖かいアナログな音に変換。そうして、良い意味で抜けを悪くした後、全体的に低音を持ち上げた。結果、ギターが木で出来ていること。そこに金属の弦が張ってあることがよくわかる、まるで、ノコギリで木を切っているかのような音になった。これが実に体感的で、気持ち良い音なのである。

曲の組み替えについては、弱点があったものから弱点を削ったものに、弱点を補う役目を担ってきたものを付け加えて完璧な形にした…と言えばわかってもらえるだろうか。流れとしては、ポップ(軽く)に始まってヘビー(重く)に終わるという俺が好きなパターン。特に「ストーカー 」から「ハングリーマン」への流れは鳥肌モノである。

追加収録した「ハングリーマン」「モナリザ」は、客の話し声が聞こえる。これは、歌っている俺の目の前に音楽を聴く姿勢のない客が4人、テーブルを囲んで座っていたのだが、そいつらの話し声である。本当に、ずっと喋っていた。当然、俺は怒り狂っていたのだが、この2曲についてはそれがプラスに作用した。「ハングリーマン」は「感受性のカケラもない連中」についての曲であり、「モナリザ」はバンド時代、ステージに上がって客席を見ると、客が皆向こう(ステージとは逆の方向)を向いて地べたに座り、延々喋り続けていたという痛い経験から生まれた曲だからである。

ジャケットは見ての通り、音から感じる色や温度に合わせて作り直した。封入カードも作り直してある。

2018年のベスト・パフォーマンスを凝縮した一枚。劇的に生まれ変わった『DABADA TV SHOW』に乞うご期待。