ツーマンライブを終えて

昨日のバニーさんとのツーマン、猛烈な雷雨の中、大勢の人が観に来てくれて大盛況に終わった…というのは写真の二人の表情を見てもらえば何となく察してもらえるだろうと思う。

同じようにロックが好きで、ロックをやっていても、俺とバニーさんとじゃスタイルが全然違う。似ても似つかない。似ても似つかないけど不思議と相性が良い。俺はピリピリとした感じを終始持続させる。そんなパフォーマンスを心掛けているけど、バニーさんはそうじゃなくて、大きく緩急をつけて、ラストに向けてガァーッと登ってくる感じが上手い。ちゃんと練られている。俺とは練り方が違う。

お互いに勝ち負けを意識していたわけじゃない。でも、それでもやっぱり、負けるのは嫌。「負けてたまるか」という部分でギンギンにモチベーションが上がって、激突するものがあって、結果的にツーマンライブとして、一つの作品として、素晴らしい仕上がりになったと思う。

ライブの後、ある友人から花束を貰った。

花束。贈ったことは数え切れないほどあるけど、貰ったのは初めての事。「花束を貰うってこんなに嬉しいものなのか!!」雷に打たれたような衝撃があった。

幼馴染みからはナイスなチョイスのTシャツを貰った。ありがとう。

良いライブが出来て本当に良かった。花束もTシャツも、ライブが失敗に終わってたら受け取るに受け取れなかったよ(笑)

追記)あ、セットリストの日付けが2018年になってる…。


料理の鉄人

バニーマツモロというアーティストとその音楽を一言で言い表わすとしたら…すぐに浮かんだ。「ビンテージ」だ。これしかない。とにかく「味わい深い」というね。バニー“ビンテージ”マツモロ。

じゃ、俺は?俺と俺の音楽を一言で言い表わすとしたら?残念ながら何も浮かばない。いくら考えても浮かばない。俺はどんなアーティストなんだろう。俺の音楽って一体何なんだろう。そういえばバンドやってる時も「ロックやってます」としか言えなかった。「どんなロック?」と訊かれるとたちまち答えに窮した。しょうがないから「うるさいビートルズ…みたいな感じ」と答えていた。全然違うんだけど。

俺は、自分は良いアーティストだと思っている。俺の音楽は素晴らしいと思っている。でも、バニーさんみたいな味わい深さがあるわけじゃないし、極端に斬新な事をやってるわけでもない。だから、一言で言い表わすとなると難しい。

ライブ。今までずっと持ち時間30分という枠の中でやってきた。一度もこの枠の外に出たことがない。でも最近、いよいよもってこの枠が窮屈になってきた。30分じゃ到底自分を出し切れない。つまり、俺自身、自分を出し切った時の形を見たことがない。だから自分がわからない。コース料理、デザートまで出したことのないシェフの気持ち…と言えばわかってもらえるだろうか。いつも前菜とメインをちょっと出した時点でタイムオーバー。本当は他にも色々と出したいものはあって、それをベストな流れで出して「これが俺の味だ」って言いたいんだけど、それができなかった。だから、4日後に迫ったツーマンライブは凄く意味がある。初めて前菜からデザートまでフルコースで出せるんだから。

当日、バニーシェフと怜士シェフが提供するのはいずれも「シェフの気まぐれコース」。二人ともオーダーされたものを出すわけじゃないからね。それぞれがそれぞれのスタイルで腕によりを掛けて拵えたものを提供する。それから、これは以前にも書いたけど、共作曲『SURFBLUE』は双方ともに演奏する。同じ品目だけに調理法の違いが顕著に出て、自らを「グルメ」と称する人達には楽しんでもらえることうけあい。

二人の鉄人によるフルコース料理を僅か¥2000で堪能できるまたと無いチャンス。

お見逃しなく!


2019.8.30.fri 日本橋 太陽と月

バニーマツモロ × 和田怜士

◾️OPEN 19:00/START 19:30

◾️¥2000(1drink付)


秘境への切符

29日(木)に販売を終了。撤収する。

正直に言う。今のところ、全く売れていない。ま、しょうがないっちゃしょうがない。本当に欲しいと思ってくれる人はリリース前に予約をして手に入れてくれたり、ライブ会場に来て手に入れてくれたりするんだから。

スタジオで販売することにした目的は、俺のことを知らない人たちに俺の音楽を知ってもらう機会を作ろうと思ったから。入口を作ろうと思った。でも、残念ながら誰も入ってこない。

入口、或いは切符。

僅か¥500で手に入る切符。この切符を手にすればグワッと世界が広がるのに…皆、実にもったいないことをしてる。最近よく「秘境は身近にある」なんてことを思う。ただそれを見つけられるか、それに気付けるかという問題。

正直に言う。俺だったら買う。ジャケ買いする。このジャケットで内容がフニャフニャのJ-POPなんてことは絶対にあり得ないんだから。

あと16日、秘境への切符は伊丹のスタジオ「とらいする」にある。


先生と教科書

この国に一人だけ、ソングライターとして「先生」と呼べる人がいる。佐野元春だ。そして、先生から年に何度か「教科書」が送られてくる。ファンクラブの会報だ。

毎回、アーティストとして、ソングライターとして、真摯に語ってくれるから物凄く勉強になる。

「既にあるものをぶち壊して、自分がまた山を作ってそのてっぺんに立つようなレボリューションではなく、常に自分を乗り越えていくというレボリューション。自分にとって新しいことを常にやり遂げて、それを支持してくれる人が一万人であろうが三人であろうが、それを僕も納得できたら「じゃあ、次いくよ」っていう感じ」

そういえば先日、バルタンさんに「全曲新曲でライブやったんやて?無茶しよんな!」って言われた時は嬉しかった。「無茶」っていうワード。分かってくれる人がいると思って嬉しかった。確かにすごく個人的で、地味な試みではあった。「誰が興味あんねん!」って話だろう。でも、俺にとっては「自分を乗り越える」以外のなにものでもなかった。

じゃあ、次いくよ。


怜士最強説

30日のライブのセットリストが決まった。スタジオで15曲、間を空けずにダァーッとやってみたらトータルタイムが55分で持ち時間ギリギリだったので1曲削って14曲やることにした。

自分のやりたい曲と、これまでソロでやってきて比較的ウケの良かった曲とで軸を作って、そこに隠し味的にバンド時代の曲を忍ばせた。バンド時代の曲とソロに転向してからの曲を半々でやるつもりだったけど、蓋を開けてみたらバンド時代の曲はごく僅かで、ソロ以降の曲が大半を占めた。昔の曲に頼らずとも素晴らしいセットリストが組める。これは本当に喜ばしいこと。「今現在がキャリアハイ」をこれからもずっと継続していきたい。

今回は珍しくセットリスト作りを楽しめた。相手がバニーさんだということや、初めてのお店でやるということも念頭に置いて、楽しみながら作った。当日までに1、2曲入れ替えることになるかもしれないけど、それはそれで楽しもうと思っている。なにせ選択肢が多い。1回のライブで全てを見せるなんて無理。出し惜しみする気なんてなくても相当出し惜しみすることになる。それくらい、名曲、キラ星の如し。ありとあらゆる組み合わせが出来る。なんとでもなる。

俺は日本最強のソングライターだ。


阿修羅面怒り

ライブやってるとたまに「ウゲッ…」と思う演者と当たることがある。どんな奴らか。書いてみよう。

MCで「風邪気味で」とか「病み上がりで」とか言う奴

完全にNGワード。そんなに体調が悪いのならキャンセルしろ。出てくるな。以前、持ち時間30分の間に3回も4回も「風邪気味で」って言う、さだまさしの曲しか歌わないみうらじゅん似のアホンダラを見たことがある。ハードル下げてるつもりだろうがそもそもお前みたいなもんにハードルなんてあるか!

コピー崩れのカバーしかできないくせにやたらと態度がデカい奴

どこまでも自分に甘く他人に厳しい。全曲コピー崩れのカバーにも関わらず、さもおのれが作った曲かのような顔をして歌い、他演者の演奏に対しては「辛口」が聞いて呆れる的外れ且つ身の程知らずな批評をして喜んでいる。こんな奴らに限って「ギターは床面に対して水平に構えないと」とか「ギターのヘッドにチューナーとかカポとか付けて演奏するのはカッコ悪い」とか、どうでもいいこだわりを多々持っていて、まったくもってどの口がそんな事を言うのかおのれのギターを持って来ずに店のギターを使ってばかりいる。そんな病的ナルシストであるから、おのれのライブを毎回録画するのは当然の事、録画した映像を湯水の如くにYouTubeに垂れ流して喜んでいる。動画数500ってどういうことやねん。集客力0のクセに…。

平気で持ち時間をオーバーする奴

当然のように10分〜15分オーバーする。これは圧倒的にバンドに多い。バンドばかりが出るイベントが「押す」ことはあっても「巻く」ことがないのは転換に時間がかかるからではなく、「ロック」の履き違えから来ている。この履き違えほどみっともないものはないし、そんなバンドのライブが良いわけがないので、さらに長く感じて往生する。

アーティスト名や歌詞に中途半端に笑いの要素を入れてくる奴

ガッツリ笑いに寄せてるのなら何の文句もないが、「中途半端に」というのは、真っ向から批評されることを避けようとしているようにしか思えない。「ほら、俺、こうやってちょけてるんやから、真面目に批評するんやないで」という臆病、卑怯。そうして、笑いの要素を入れた曲の後に真面目な曲をやって、真面目な曲を引き立たせようという姑息な手法。魂胆が見えるだけに全く笑えない。お客さんというのは皆、基本的に優しい。笑うところで律儀に笑う。ところが俺は笑えない。はっきり言って、魂胆の見える見えないを別にしても笑えない。ひとつも面白くない。が、社会人として無理矢理にでも笑わねばならない。でも笑えない…。何だか自分が極端に空気の読めない極悪人のような気がしてきて、顔がひきつる。辛い。居ても立っても居られなくなって店を出て、藁にもすがる思いでタバコを吸って激しくむせる。


新着ライブ情報〜RESPECT ROAD〜

2019.10.13.sun 

川西能勢口  LA CASETA

<OPEN/START> 17:30/18:00

<CHARGE>¥800+1drink(¥300)

詳細未定


前回のライブ。俺の次に出演したToma Que Toma Que Toma!(写真)というスパニッシュ・ギター・ユニットのステージが素晴らしかった。久しぶりに「凄いの出た!」と思って、俺にしては珍しく興奮気味に声を掛けさせてもらった。

そのToma Que Toma Que Toma!のVo&G、いと美さんが営んではるお店『LA CASETA』が川西能勢口にあり、イベントに出ないかと声を掛けてくれたので喜んで出演させてもらうことにした。

今月はバニーさん。10月はいと美さん。俺にとっては二人ともロックスター。リスペクトしてる人たちに声を掛けてもらうことで道が拓けていってる感じがあるからこの流れを、2本のライブを、個人的に「リスペクト・ロード」と名付けた。

2本とも感謝を込めて「和田怜士のライブ」に徹する。徹底的に和田怜士のライブを演る。

本当に有難く思っています。


名曲『赤い雨』について

前回のライブ。どの曲が一番好評だったのか。ライブ中のリアクションで言うと『orange』なのだが、ライブ後にちらほら聞こえてきた声によると『orange』に並んで好評だったのは『赤い雨』らしい。これまで、俺が名曲だと思うものは大抵ウケが悪かったんだけど、珍しく俺とお客さんの評価がリンクした。これは嬉しい。というわけで、『赤い雨』の歌詞について解説。

タイトルであり、曲中で繰り返される「赤い雨」というのは芸術家の情熱のこと。つまり、「芸術家の情熱が世の中を変えていく」という内容の曲。

「君の声が思い出せずにギターをかき鳴らしている」のは俺で、「君の顔が思い出せずに絵筆を走らせている」のは絵描きだったうちの親父。

「君」というのは、親父が言っていた「僕は女の人をモデルに立てて絵を描いているからと言ってその人を描いているわけじゃない。その人を通して、自分の中にあるもっと大きな女の人を描いている」という言葉から来ている。最近、この言葉の意味がわかるようになった気がしていて、それで、芸術家というのは一生を賭けて自分の中の大きな異性を探し求めている人間のことで、その情熱が世の中を変えていくんだ…という歌詞にしてみた。

そういえば、ライブに向けて配信する「シングル」を選ぶ時、最後まで迷ったのが『orange』にするか『赤い雨』にするかだった。そういう意味では、いよいよもって俺とお客さんの感覚がリンクしてきてるのかもしれないな。

良いことだ。


MUSE

子供の頃、吃りが酷かった。もの凄く辛かった。しょっちゅう笑われたし、笑われるたびに殺意を感じた。自由に喋れないって本当に辛い。この辛さ、自由に喋れる人には絶対にわからない。自由に喋れる人が心から羨ましかった。でも、自由に喋れると人は言葉を雑に扱うんだなと思って、雑に扱わない、扱えない自分の将来に少しだけ希望を持っていた。

今は吃りで本当に良かったと思っている。意識的にではなく無意識のうちに言葉を覚えよう覚えようとする癖がついていて、この癖が歌詞を書く時に役立っている。

実は今も治っていない。全く治っていないけど、誰にも気付かれなくなった。というのは、声に出す前に一度、頭の中に文章を並べて、検証して、出そうにない言葉があれば同じ意味の別の言葉に変換する…ということが一瞬でできるようになったからで、これができるようになったのは言葉を覚えたから。言葉は数限りなくあって、覚え尽くすなんてことは死ぬまであり得ないから、今も絶えず言葉を探している。

生まれて初めて本気で憧れた職業はお笑い芸人。ビートたけしが大好きで、ビートたけしになりたかった。毒舌。攻撃的な笑い。でも、まともに喋れないから無理…と諦めた時に音楽が現れた。ビートたけしを諦めてビートルズになろうと思った。歌う分には一切吃らない。どんな言葉もメロディーに乗せたら言える。言いたいことを言える。これに気付いた時、大袈裟ではなく、神様を思った。捨てる神あれば拾う神あり。音楽は神様だと思った。神は神でも女神。彼女が俺に「一生、私のために尽くしなさい」と言ったのが聞こえたような気がした。

音楽やってる人で、俺が好きなのは真面目な人。嫌いなのは不真面目な人。例えば、好きな人がいて、その人に不真面目な気持ちで近寄ってくる奴がいたら、恋愛ゲームを楽しみたいだけの奴がいたら、嫌いになって当然だろう。でも、自分の好きな人に自分と同じくらい真面目に情熱的にアタックしている奴がいたら、負けてたまるか!とは思っても、嫌いにはなれないと思う。たまに、悔しいけど尊敬できたりなんかもする好敵手。自分のやり方を見つめ直す機会を与えてくれる有難い存在。

音楽に救われた。音楽がなかったら今の自分はなかった。だから、「恩返し」と言ったらおかしいけど、真面目にやる。「楽しければいい」だなんて、音楽をオモチャのように捉えている奴らは片っ端からブッ飛ばしてやる…っていうか、もう、そういう奴らとは同じステージに立ちたくない。意味のないライブはしない。その一方で、それぞれの理由で、俺と同じように音楽に救われたという気持ちがあって真面目にやってる人たちには最大限の敬意を払いたい。同じステージに立って敬意を払いたい。ベストなパフォーマンスをもって敬意を払う、そんな意味のあるライブ、音楽活動を続けていきたい。