⬆︎最も神を語る資格のない男。
活断層の上にあり、時季になれば台風にも見舞われる。そんな国で「不謹慎」という言葉を無駄にでしゃばらせてしまうと何もできなくなる。笑いも芸術もスポーツも事あるごとに立ち止まらないといけなくなる。
俺は音楽をやってる人間。こう見えて、災害があるたびに、それなりに、「例えば今、音楽は不謹慎なんだろうか」ってなことを考える。
結論から言えば、音楽をただの娯楽だと捉えている人は不謹慎だと言うと思う。そして、そりゃそういうふうに考えるのは当然だし、それはそれでいいと思う。間違いじゃない。でも、音楽をただの娯楽だと捉えることができない人。音楽抜きには自分と自分の人生を語れない、「音楽に救われた」くらいに思っている人にとっては、音楽の力を知っているという意識があるだけに、不謹慎ではないと言うと思う。口に出して言わないまでも、胸の内では呟いていると思う。で、これまた、間違いじゃない。
他にできることがあるのなら、その都度、状況に合わせたできることをやればいいけど、他にできることがないのなら、他にできることがないんだから、自分にできることの力を信じて、できることを精一杯やればいいと思う。それが不謹慎な事なのかどうかについてはとりあえず、都合良く、神様の判断に委ねて。
もし、人それぞれに能力と役割を与えたのが神様なら、精一杯やってる分には不謹慎だとは言わんでしょう。


他人の曲をコピー、カバーしてると親父に怒られたものである。「作れ!」と。「ギターの練習してるだけや!」と切実に訴えても一切聞く耳を持たず、「他人の曲やるんやったら音楽なんてやめてまえ!自分の曲を作れ!」の一点張りだった。なので俺は曲を作りながらギターを覚えた。
新曲『savvy?』は初の試みに溢れた素晴らしい曲になった。
やはり、表現の場である以上は手を抜かずにしっかり作り込んでいかんとアカンな…と考えるようになった。というのは、フェイスブックの話である。
よっしゃあ!!
伊丹は盆踊りが盛んな街であるが、それは特に北部を指して言うことであって、南部はさほどではない。が、そんな南部にも1箇所だけ、俺のように北部で生まれ育った人間をも唸らせる熱い盆踊りがあって、昨夜、見に行った。