菊正宗

「最近、めっきり友達減ったな…」などとお嘆きの貴兄はいないだろうか。でも大丈夫。

「質より量」だの「量より質」だの、己れが勝手に考えているのとはまた別の次元で、質の低さは量が補うようにできているし、量の乏しさは質が補うようにできている。

基本的に、友達の絶対数は変わらない。一人去れば一人現れて、一人現れれば一人去る。それに加えて質と量の原理が働く。全ては自分自身の変化がベースになっているけど、絶対数は、絶対濃度は変わらないーということに最近気が付いた。

いつも、自分にとって必要な人たちだけが周りにいる。必要な人たちだけが残るし、残す。

友達との「利害関係」は親戚等との利害関係とは似ても似つかない。

友達との「利害」はどこまでもメンタル的なものであって、金銭の絡むものではないからだ。


第二弾PV制作とその舞台裏

第二弾PV「FLOWERS IN THE DIRT」に於いて特筆すべきはやはり、私が使用しているギターについてだと思う。無論、これは私のギターではない。スタジオの貸し出し用ギターである。

私のギブソンの弦が5弦、3弦と立て続けに切れて、5弦は替えを持ってきていたから良かったのだが、3弦の替えを持ち合わせていなかったので、急遽スタジオのギターを貸してもらうことに。私としてはやはり、ギブソンで撮影できなかったことが悔やまれたのだが、帰宅後、この映像を観た私の奥さんが「このギターの音好き」と言ったので、「そういえばそうだな」と思い、「これはこれでアリよな!」と思い、公開に踏み切った(このギター、過去に一度音源にも登場している。「Ⅱ」収録の「FLOWER」で私が弾いているのがこのギター。何故か花と縁深いギターである)。

映像的には、一つ、隠し味が施してある。スタジオの照明をできる限り落として、ロウソクのような灯り方をするライトをカメラの真ん前に置いて撮影した。つまり、ロウソクのような光の揺らぎや強弱が隠し味となっている。ただ、思っていた以上に隠れてしまっていて、私自身、その効果を確認できずにいる。でも、隠し味ってそもそもそんなものだと思っている。


初のPV制作、その舞台裏

というわけで、和田怜士初のPV「バタフライ」はもうご覧頂けただろうか。私は音楽以外にも、文章を書いたりイラストを描いたりするけど、映像作品を作ったのは今回が初めて。一から十まで全部自分で作った。

「作った」と言って、サクッと適当に作ったように見えるかもしれないがさにあらず。実は結構手間暇がかかっている。

まず、絶対条件として、びた一文カメラを動かせない。完全に固定なので、スタジオが土足厳禁でスリッパを履いている関係上、足元が写り込まないようにすることを前提にアングルを熟考した。それから、頭上の照明とマイクの先が重なるようにしたり、スタジオの壁に掛かっている河合奈保子や薬師丸ひろ子のレコードジャケットを、持参したユニオンジャックの布で覆ったりした。すると、「画面にモノクロのフィルターをかけて、冒頭に丸い字体のアルファベットを挿入したら60年代のUKバンドのPVみたいな感じになるんじゃないか?」というアイデアが閃いて、自分が病的なアナログ人間であることを意図的に忘れてスマホを駆使。かくして、映像自体は出来上がったものの、家にWi-Fiが来てないので、近所のコンビニに何度も足を運び、雑誌の立ち読みをしているふりをしながら公開に漕ぎ着けた。

え?「お前がWi-Fiとか言うな」って?いやいや、俺、こう見えて結構Wi-Fi寄りの人間やねんで。

昨日の晩ご飯もWi-Fiやったし。


ブルースには敵わない

昨日、私は天王寺にいた。

大きな道路沿いの商店街からちょいと脇に目をやると、アーケードに覆われた昭和の忘れ物のような飲屋街があって、それはそれは目を疑うような見事な異空間だったので写真を撮ってもらった。

今、神戸新開地のライヴバーではブルースが熱いらしいが、それは大阪天王寺、新世界界隈のライヴバーに於いても同じことなのではないか?と思った。鼻を突く、尿臭染みた猛烈な人間臭が街全体に泥のように沈殿していて、この中にあっては、J-POPなどと呼ばれる使い捨てを前提としたコンビニエンスな音楽なんて完全にお呼びでないし、ロックでさえも「ちんこに毛の生え始めた生意気な若造」でしかないんだろうと思う。ドロドロに黒いジャズか、病的に時代錯誤なフォークか、出来損ないの演歌ならまだ何とかなるかもしれないが、それでもやっぱりブルースには敵わないと思う。

濃い、良いブルースを書きたかったら、ギターを抱えて新開地か新世界で一年ほど暮らしてみるべきだと思う。そして、あの猛烈な人間臭を1曲の中に余す所なく充填することができたら、その1曲だけで、その辺の見掛け倒しのブルースマンなんて皆吹き飛ばせると思う。しかしながら、コンビニエンスな街の中にある、コンビニエンスな人々で賑わう場所にあっては、「あなたは非常に気持ちの悪い人間である」という烙印を押さえて村八分。吹き飛ばされて、帰る場所は新開地か新世界しかなかった…みたいなことになるような気もする。


冷麺の兆し

どうやら、「冬の帰還」が今年最後のライヴとなりそうだ。今年やってきたことの集大成を見せたいと思っている。また、ライヴの他にも和田怜士としてやりたいことが山ほどある。最近、有り難いことに、人的にも技術的にも手持ちのカードが増えてきたから、貪欲に色々と試みていこうと思っている。

当ブログについても、おのずと「冷麺始めました」的な記事が増えることになると思う。