箱の中にも一年

あちらでやり、こちらでやり…一ヶ所にとどまらず、色々なライヴハウスに出るというのも一つの手だというのは、私もバンド時代にはそうしていたし、よく知っている。そして、どちらかといえば、そういうやり方の方が一般的だということも、よく知っている。でも私は、少なくとも今年いっぱいは、一ヶ所に出続けることに決めている。

何故か。

どんなライヴハウスだって、繰り返し出続けて初めて見えてくるものがあるんじゃないか?と考えたからである。そして、それは、ライヴハウス側から私を見る場合にも同じことが言えて、繰り返し出続けて初めて見てもらえるものがあるんじゃないか?と考えたからである。

そのライヴハウスが今、何をしていて、どこへ向かっているのか。私が今、何をしていて、どこへ向かっているのか。その試行錯誤と変遷を、知る必要があり、知ってもらう必要がある。

確かに組織対個人ではある。でも、人間対人間であることに変わりはない。その人のことを理解したければ繰り返し会うに越したことはないし、その人に自分のことを理解してもらいたければ、やはり、繰り返し会うに越したことはない。繰り返し会い、理解することで、相手が自分に何を求めているのかが見えてくる。

とにかく、今年、私は、あの天神橋筋商店街にあるライヴハウスに出続ける。そして、ある程度の好き嫌いはさておいても、お互いに正しく理解し合えていることさえ実感できたら、あそこを「ホーム」として、ジャンジャン外へ繰り出していこうと思っている。

普段は闘争心のカケラもないくせに、一歩音楽の世界に足を踏み入れると途端に喧嘩腰になる、計算の「け」の字も無いような私にも、戦略のようなものがないわけではないのだ。


歌詞『綺麗な動物』

叶わない夢を宝石と呼んで

冷たい香水に浸す

乱反射する蝋燭の灯りが

五線譜を飾る

子供の恋愛模様に

嘘のない悪夢があり

もて遊ぶように僕の命を転がした

六面体のサイコロが

一筋の道を

呼吸のリズムに倣い下っていく

プライドを棄てて

地雷を踏め

砕け散った言葉が

君の唇

辿り着くまで

堕落し切った綺麗な動物

歪んだ世界の弛んだ二の腕

喰らいついたまま離さない

破り損ねた約束の数だけ

歳を重ね

重ねた歳の数だけ

子供の夢を見る

プライドを棄てて

地雷を踏め

砕け散った言葉が

君の唇

辿り着くまで

堕落し切った綺麗な動物

歪んだ世界の弛んだ二の腕

喰らいついたまま離さない

叶わない夢を宝石と呼んで

宝石と呼んで

宝石と呼んで


新曲完成

新曲が完成した。タイトルは「綺麗な動物」

数ヶ月前、ある人と曲を共作することになり、私は作詞を担当して、書いて、その人に渡したのだが、先日の台風の日に家で詞を見ながらギターを弾いてたら、あろうことかメロディーが浮かんでしまい、結局、完全に私のオリジナルになってしまった。嬉しいやら申し訳ないやら…。

曲はロックオペラ調に仕上がった。Aメロ〜Bメロ〜サビの繰り返し、といった通常の流れではなく、複数の曲を組み合わせて、一曲に纏め上げた感じ。

あとはアレンジ。アレンジさえ納得のいくものになればライヴでやる。

乞うご期待。


私の中のJ&P

私の中に、不良と優等生がいる。言うなれば、ジョンとポールがいる。

激しい曲を書きたい時、ジョンにお出まし頂いて、優しい曲を書きたい時、ポールにお出まし頂くように、ブログを書く時にはジョンにお出まし頂いて、フェイスブックを書く時には、ポールにお出まし頂く。ブログを書く時に、ポールが出てくることがあっても何ら問題ないが、フェイスブックを書く時にジョンが出てくると友達がいなくなる。

社会人としての顔である「和田一憩」はポール。

音楽人としての顔である「和田怜士」はジョン。

和田怜士でいるべき時に、ポールに出てこられると、壊せるものも壊せなくなる。

和田一憩でいるべき時にジョンに出てこられたら、壊すべきではないものまで壊してしまう。

私の中のJ&Pー仲良くしてくれるに越したことはない。


NEXT LIVE

9月18日(月・祝) 扇町para−dice

前回のライヴの後、ライヴハウスから2つ、出演の話をもらったのだが、1つは日曜日で、1つは祝日だった。私は祝日の方を選んだ。「君はソロのアーティストとやるよりバンドとやった方が映えるんじゃないか?」というライヴハウス側からのアドバイスに胸踊るものがあり、そのアドバイスの下に決定したライヴなので、私以外の出演者は全て、バンドになる予定。

詳細は後日。


楽しめないことを嬉しく思います

最近、音楽をやる側の人間の「楽しい」という言葉に抵抗を感じる。どいつもこいつも口を開けば、楽しい、楽しい、楽しい、楽しい…お前らは白痴か!と思う。

音楽やってる人間が口にする「楽しい」と、宗教やってる人間が口にする「心」に、同じ響きを感じる。それぞれがそれぞれに、切っても切り離せない言葉なのはよく知ってるつもりだけど、大抵の場合、いずれも漠然としたニュアンスだけがあって、中身がない。ペラペラなのだ。

私は、ライヴを「闘いの場」と捉えることしかできないから、「楽しい」がよくわからない。でも、「嬉しい」ならよくわかるし、「嬉しい」の方がずっと大事なんじゃないかと思う。

「楽しい」という言葉に、独りよがりな、自己完結してしまっている感じがあるのに対して、「嬉しい」はもっと、人との関わりが前提になっている感じがある。例えば、「今夜のライヴは楽しかった」と言った場合、そこに、お客さんの存在を感じるのは難しいことだけど、「今夜のライヴは嬉しかった」と言った場合には、そこにちゃんとお客さんの存在と反応を感じることができる。

音楽をやる側の人間が「楽しい」に終始してしまっている間は、ライヴハウスと一般の人たちとの間にある垣根は取り壊せないと思う。内輪内輪で盛り上って、賞賛し合っている内に、自分たちと一般の人たちとの間に救い難く太くて濃い線を引いてしまっている。

音楽やる側の人間は、自分たちのいる世界が、一般の人たちがいる世界よりもずっとずっと狭くて小さいんだということを知らないと駄目だ。

「嬉しい」を目指して頑張る。頑張ったけど嬉しく思えなかった場合には「悔しい」と思い、悔しいからまた頑張るーというサイクルが音楽をやる側の人間にあれば、お客さんはきっと「楽しい」と言ってくれる。

そして、喜んで、我々の世界に遊びに来てくれるようになる。


それでも食らいます

ライヴのたびに喋らなくなり、ついに前回のライヴでは一言も喋らなかった私。

理由は簡単。持ち時間が30分しかないのに、曲間でつまらないトークを弾ませているヒマなんてないからである。遠路はるばる観に来てくれた人たちのためにも、意地でも、7曲やりたい。悠長に喋ってる余裕なんてどこにもない。

というわけで、今後も私は喋らないつもりなのだが、ここでひとつだけ喋っておきたいことがある。物販席についてである。

どのライヴハウスにもCD等を販売する物販席がある。私がホームとしている扇町パラダイスだと、会場の後ろの方に長机があって、それが物販席となっている。

私は、ライヴのたびに全作品を物販席に並べている。が、意外とそれに気付いていない人が多い。だからこそ、ライヴ中に「後ろに物販があるんで」くらいのことは喋るべきで、実際、前々回のライヴまでは喋っていたのだが、全力で歌って、ギター掻き鳴らして、完全にあちら側の世界に行っちゃってる最中に物販の話をするというのは、急に、手の平を返したようにこちら側の世界に引き返してきた…みたいなことになって間抜けなので、前回のライヴから喋らないことにした。

物販席があり、私の作品が並んでいる。並んではいるが、ライヴを終えた私が物販席に座っているかというとそうではない。だって、嫌だろう。ついさっきまで「ロックンロール!」などと叫んでいた奴が、こぢんまりとパイプ椅子に腰掛けて、札束ならまだしも、硬貨のやり取りなんかしてたら。だから、私は、物販席にはいない。

じゃ、どうやって私の作品を買えばいいのか。答えは簡単。とりあえず、万引きしてくれたらいいのである。ライヴハウスの人は、万引きしているところを目撃したとて何も言わないから気にすることはない。とりあえず万引きしておいて、後で、もしくは後日、「これでも食らえ!」と言って、私のポケットにお金を捩じ込んでくれればいい。

こんな調子でよく70枚も売れたものである。


値下げ始めました

私の、じゃんじゃん音源作って発表するぞ計画「ブートレッグ・プロジェクト」も、開始から1年2カ月が経過。これまでに11種の作品を発表して、70枚近く売れた。基本、一枚¥400だから、¥28000の収益ということになる。¥28000あったら何回スタジオに入れると思う?売り上げは全て、私の血となり肉となっている。本当に有難い。

有難いので、有難ついでに、私が紅いギブソン「ギブリン」を手に入れる前に、エピフォン「月下美人」や、スタジオのギターを使用して制作した「Ⅰ」〜「compass」の5作品を¥100値下げすることにした。


「Ⅰ」¥400→¥300

「Ⅱ」¥300→¥200

「Ⅲ」¥400→¥300

「Ⅳ」¥400→¥300

「compass」¥500→¥400

何故か最近のライヴではやっていない、もしくは、今のところ一度もやったことのない、掘り出し物的な曲が、各作品に散在しております。

作るのが私の自由なら、廃盤にするのも私の自由。

今のうちにお求めを。


あなたが来るのを待っている

普段、あまりライヴハウスに足を運ぶことのない一般の人がたまにライヴハウスに足を運ぶと、何か、いつもとは違う、別の感覚で音楽を見ないといけないと思っているような節があるけど、私は、「それは違う」と声を大にして言いたい。

確かに、ライヴハウスは、「わかる人にはわかる」的な、わからない人にはわからない音楽が幅を利かせてるけど、それについてはもう、わからないのなら「わからん!」でいい。いつもの感覚で、素直に良いと思えるものを良いと思えばいいと思う。

私は、一般の人がいつもの感覚で見て、素直に良いと思ってもらえる音楽をやってるつもりだから、わからないものを無理にわかろうとして、いつもならわかるものをわからなくなられると困るのだ。私は、「わかる人にはわかる」音楽をやってるつもりはないし、ミュージシャンズ・ミュージシャンになるつもりも毛頭ない。一般の人に、「ええ音楽や!」と言ってもらえたらそれが一番嬉しいし、はっきり言って、もし私が音楽で食べていけるようになるとすれば、私をそこまで押し上げてくれるのは同業者ではなく、音楽をやる側ではない、素直な感覚を持った一般の人たちだと思っている。

「わかる人にはわかる」を潰していくのが和田怜士だ。私の音楽を支持することは、ワケのわからんもんに「ワケわからんぞ!」と言うことだ。だから、ライヴハウスに来て、来ることで、応援して欲しい。盛り立てて欲しい。その代わり、今まであなたがあまり耳にしてこなかったロックという音楽の素晴らしさについて、誠心誠意、わかりやすく、繰り返し何度でも、教えてあげるから。