道一本

結婚して、子供が産まれた。

神崎川沿いのレンズ工場で2年半働いて、派遣切りに遭って、将来のことを考えると同時に、私の奥さんに「うちの旦那の仕事は〇〇です」と胸を張って言ってもらいたくて、そんな職業を探して、それが介護職で、資格を取って、1年半の間に3つの施設を渡り歩いて。

ずっと音楽がやりたかった。ずっとイライラしていた。音楽から遠退いてしまっていることを思うたびに、痛くて、酒を飲んだ。

仕事をしている時も、子育てをしている時も、自分で自分に違和感があった。ずっとサイズの合わない、似合わない服を着ているみたいで不快だった。

バンドがやりたかった。音楽がやりたかった。音楽をやっていないと、自分が自分ではなかった。
一時は諦めた。自分にとって唯一の自信の供給源を手放した。すると、普通に、立っていられなくなった。大袈裟な言い方をしてるんじゃない。本当に、立っていられなくなった。

「自分を生きる」ということのために音楽をやる。音楽をやらなくても自分を生きられるのなら、何も音楽にこだわる必要はない。やめりゃいいし、別の道に進めばいいけど、私の場合は、本当に、そういうわけにはいかない。

今のバンド、私はめちゃくちゃ気に入っている。私がバンドの一番のファンだと思っているし、私の宝物だ。でも、万が一、このバンドを失うことがあったとしても、私はもう絶対に音楽をやめないし、やめるかやめないかについて考えることさえしないと思う。

こんな人間の作る曲が悪いわけがないだろう。こんな人間の書く詞が悪いわけがないだろう。こんな人間の歌が悪いわけがないだろう。こんな人間を、音楽が愛さないわけがないだろう。

「やる」ために犠牲にしてきたものがある。犠牲にしたものがある。それは決して小さなものではない。だから、「やる」ということ以外はすべて無駄。

やるだけ。もし、やりにくくなったらやめて、またやるだけのこと。


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