マニフェストに至る総括〜2011年を振り返って

とにかく、濃い一年だった。

一年を通して、頭の中にあったのは「攻め」の一字で、自分の中にちょっとでも守りに入ろうとする気配を感じると、「アカンアカンアカン!」と喚きながら大きく首を振って、強引とも言える勢いで姿勢を攻めに戻した。

前進あるのみで突っ走ってはきたが、その間一度も「コケたらどうしよう…」という不安に捕らわれることがなかった。
良い意味での自暴自棄がずっと続いていて、ずっと漠然と「どうでもええわ」と思っていて、そうやって基本的にどうでもええわと思ってるから、不思議なくらいコケることへの恐怖心がなくて、仮にコケることがあったとしても、それはそれで笑うなり怒るなりしてスルーしてしまえる自信があった。

考えてみれば、今年私は、一度でもコケたんだろうか。端から見ればコケまくっていたのかもしれないが、私自身は、コケた記憶が一切ない。コケることへの恐怖心がなく、コケたらコケたでコケたことに気が付かない―これが、今年の私の強みと言えば強みで、この自暴自棄パワーのようなものは、来年以降も持続させていきたいと思っている。

今年もやはり、毎年のことながら、「あっという間だった」というふうには思えない。心から「クソ長い一年だった」と思う。
33歳の一年も長かったけど、34歳の一年はさらに長く感じる。まだあと一ヶ月も34歳の自分でい続けなければならないことを思うとゾッとする。早く35歳になりたい。いい加減、34歳の自分に飽きてきた。自己更新願望―毎年、この時期になると決まって込み上げてくる願望。目と鼻の先にあるものに手が届かないことからくるイライラ。

2011年―過去の自分を撲滅しつつ、新しい自分のあり方を模索し続けた一年だった。例えばそれは、私の言葉の変化―例年に比べて、ネガティブな言葉が激減したことにも顕れていると思う。ネガティブな言葉を吐くくらいなら、その重い気持ちを、理屈なんてどうでもいいから、怒りに転化して発散することにしていた。ため息を吐くくらいなら、気焔を吐いた。このやり方が、ことごとく吉と出た。だから、この一年に対して、後悔もなければ未練もない。やれることは全てやったと断言できる。一年の終わりにこれほど「やったった感」を味わった年というのは、今だかつてなかったと思う。

来年も、私は攻めますよ。今年以上に豪快に攻めます。「どうでもええわ」をパワーに変えて、欲しいものは必ず手に入れます。手段を選ばず、強引に、極道的に手に入れます。そして、常に最良のものを選びます。最良の道を選びます。選ぶ際に裏切ることを避けて通れない場合には、裏切ることを選びます。これ、私のマニフェストです。

ご清聴、ありがとうございました。


2件のコメント

  1. 毎年1年間を「濃い」と思えるのは素晴らしいですね!
    私は年々早いです。
    薄いのではなく「気付いたら年末」なんです。
    がむしゃらに過ごしてるだけだからなのかも知れません。
    この間初詣に行ったばかりなのに、今晩また初詣に
    行くなんて(^^;

    1. 本当に濃かったです。もし僕の今年が青汁なら、これはもうとてもじゃないけど飲めない。逆に健康を害してしまうんじゃないかというレベルで、老人が口にした場合、これはもう完全に「誤飲」です(笑)

      昔、小学校の卒業式で校長先生が「あっという間の6年間だったと思いますが」と言った時、「アホか!クソ長かったわ!」と思ったのを覚えています。

      今も昔も、僕の一年は長いです。今も昔も、僕の足取りは常に千鳥足なので、目的地に辿り着くまで無駄に時間がかかります。

      人生が一種の闘いだとすると、僕の闘い方は、今も昔もこれからも、酔拳です。それも、青汁で酔おとるんです(笑)

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