踏み絵

仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、創価学会であれ、霊友会であれ、ものみの塔であれ、天理教であれ、クソ真面目に宗教をやっている人が恋愛をする場合に、相手にも同じ信仰を求める、求めざるを得ないというのは、わからんでもない―っていうかめちゃくちゃわかる。相手が無宗教だったり、自分とは別の信仰対象を持っていたりすると、「無理」だろう。

笑いたきゃ笑えばいいが、私にとって、「ロックンロール」というのは、宗教以外の何物でもない。信仰以外の何物でもない。だから私が恋愛をする場合には、仏教やキリスト教やイスラム教や創価学会や霊友会やものみの塔や天理教をクソ真面目に信じている人同様、相手にも、ロックンロールが好きであることを求める。求めてしまう。ロックンロールに無関心だったり、ロックンロール以外のものに夢中な人とは「無理」だからだ。

「ロックンロール」という言葉から、矢沢永吉とか、内田裕也とか、B’zとかを連想するような人とは絶対に「無理」だ。逆に、ビートルズや、ストーンズや、オアシスや、ニルウ゛ァーナや、ザ・フーや、フリートウッド・マックや、マニック・ストリート・プリーチャーズや、スウェードや、村八分や、ベイビー・シャンブルズや、ティーンエイジ・ファンクラブや、レッド・クロスや、ソニック・ユースや、ポウジーズや、ダイナソーJrや、ピストルズや、スパイダースや、クラッシュや、ディランや、ドアーズや、ニール・ヤングや、ガービッジや、レディオヘッドや、コレクターズが大好きだと言われたら、ただそれだけのことで秒殺、心底惚れてしまいそうだ。

これ以上の本音があろうか。

俺は、これでいいのだ。


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