あかんたれの美学

「何のために音楽やってんの?」誰かに訊かれたら迷いなくこう答える。

「音楽のために音楽やってる」

これは結論だ。嘘偽りない結論だ。カッコつけたいなんて気持ちは微塵もないし、大袈裟なことを言ってるつもりもない。普通にそう思っている。「妄想狂冥利」も「モナリザ」も「WHY?」も「the answer song」も、みんな音楽のために書いた曲。音楽が主人公であって俺が主人公ではない。

でも、俺が音楽のために出来ることというのは、良い曲を書くことと、感情を込めて歌うことと、パワフルなギターを弾くことだけ。音については好き嫌いがあるだけだし、理論的なことを一切知らないし、機材についての知識も皆無。

「音楽のため」となると音楽的なこと以外にも必要な要素が多々あるが、俺、パソコン苦手だし、写真を撮ってもセンスがなくて記録の域を出ないし、イラストを描いても素人に毛が生えた程度のものしか描けない。人付き合いについても、社交辞令的な文言を知らないから言えなくて、人当たりが悪いから営業的なことができず、ライブハウスやライブバーと良好な関係を築けず、奇跡的に築けたところで維持できない。

俺が音楽のために出来ることは僅かに3つだけ。だから、海賊ライチを立ち上げた。本気で音楽のために音楽やろうと思えば、俺に無いものを持っている人たちに色んな角度から力を貸して貰わねばどうにもならないと考えた。

俺と同じようにソロで音楽やってる人たちの多くが、自分は一匹狼だと言う。それはそれで良いと思う。でもそれは、音楽やることの目的が「自分のため」止まりの人たちだと思う。自分のためにやる分には自分一人で十分やっていける。その点、俺は自分一人では自分の目的について何一つ成し遂げられる自信がない。「孤高」という曲こそ歌ってはいるが、俺は自分のことを一匹狼だなんて思ったことはない。

才能ある人がいて、力を貸して欲しいと思ったら、深々と頭を下げる。社交辞令を言えと言うのなら知っている限りの社交辞令を並べるだろうし土下座だって平気でする。それも心を込めて。誇り高きロックスタアになぜそんな真似ができるのかというと音楽のためだから。自分のためだったらできないと思う。プライドが許さない。それに、自分のために頭を下げて得たものなんてたかが知れてる…ということぐらい、伊達に43年生きてきたわけじゃないんだから心得てる。


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