鮮烈なる傾倒

ディランになりたい。

もうこれっぽっちもバンドをやりたいとは思わない…と、今あらためて思うというのは、逆に言えば、つい最近まで心の片隅にバンドへの憧れが残っていたからなのかもしれない。でも、今は声を大にして言える。もう二度とバンドなんてやりたくない。サポートバンドなら喉から手が出るほど欲しいけど、メンバーと同じ看板を背負って、平等に発言権を持って…という形にはもう全く興味がない。

一人でステージに立つ。バンドと当たっても負ける気がしない。最近気付いたのは、よほど良いバンドでない限り、バンドというのはメンバー間の譲歩から成り立っているということ。各々が少しずつ言いたいことややりたいことを我慢して、譲り合って成立している。だから、いかに爆音を出していても、音の向こう側にあるものはこぢんまりとしていて、何かを動かしたり変えたりする力を感じない。

お互いに譲歩し合うことなく、言いたいことを言って、やりたいことをやって、そこにある衝突をエネルギーに変えるのがバンドという形態の本来あるべき姿だと思う。我を出すことによる他者との衝突を恐れず前向きに捉える。それは、西洋人が得意とすることであって、日本人が得意とすることではない。はっきり言って、絶望的に不得意だろう。

俺には譲歩すべきものも譲歩すべき相手もない。やりたいことができて、言いたいことが言える。バンドとは逆で、音に幅はなくても音の向こう側に幅を持たせることができる。「バンドと当たっても負ける気がしない」とはつまりそういうこと。

一人でやろうが、誰かとやろうが、何をやろうが、微塵もブレることのない強靭かつ絶対的な我。

ディランになりたい。

 


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