服を「着れりゃ何でもいい」とか、食い物を「食えりゃ何でもいい」とか、携帯を「喋れりゃ何でもいい」とか、車を「乗れりゃ何でもいい」とか言って選ぶ人はなかなかいない。誰しも、少なからず、こだわりを持っています。にも関わらず、なぜ言葉だけは「伝わりゃ何でもいい」なんでしょうか?なぜ、言葉にはこだわりを持たないんでしょうか?
最近、不思議でなりません。
服を「着れりゃ何でもいい」とか、食い物を「食えりゃ何でもいい」とか、携帯を「喋れりゃ何でもいい」とか、車を「乗れりゃ何でもいい」とか言って選ぶ人はなかなかいない。誰しも、少なからず、こだわりを持っています。にも関わらず、なぜ言葉だけは「伝わりゃ何でもいい」なんでしょうか?なぜ、言葉にはこだわりを持たないんでしょうか?
最近、不思議でなりません。
「何を求めているか」って人それぞれですよね。
例えば車の「乗れりゃいい」ですが、車を本当に移動の手段としてしか見てない人も居れば
高級車を乗る事こそがステータスだと感じてる人もいるでしょうし。
自分が乗る車に対する条件も
・価格
・安全性
・馬力
・乗り心地
・居住空間の広さ
・デザイン
:
などについて、優先順位は人によってさまざまでしょう。
「言葉は伝わりゃいい」についても同様で、自分の思ってる事が大筋伝われば満足な人は
特に考えずに発する言葉で事足りるんだと思いますし、言葉にこだわりを持ってる人は
「自分の感情の細かいニュアンスまで感じ取って欲しい」と思って言葉を選ぶんだと思います。
特にその1回で終わる発言ではなく、歌詞など繰り返し目や耳に残るものについては余計ですよね。
何事に関しても意識を持って/こだわって接する事は大事だと思います!
「何気なく」ではなく、意味を持って言動したいですね(^^)
素晴らしいです!