恋とゴキブリ

ゴキブリを一匹見つけたら、その周辺には数十匹、数百匹のゴキブリがいるということだ―という話を聞いたことがある。

ところであなた、「全っ然モテない」と言ったって、今までに一度くらい、凄まじく熱い恋をしたことがあるはず。猛烈な勢いで自分のことを好きになってくれた人の一人や二人はいたはず。ということはつまり、その自分を好きになってくれた人の周りに、その人と同じようなけったいな趣味をしたけったいな人間が、姿形は見えないけれども、結構な数いるということになる。

私は、ゴキブリを一匹見つけるたびに、「うわっ!ここにこいつがおるっちゅうことは、こいつだけやあらへんってことやん!」って思うけど、実際にはその後、その場所で、数十匹、数百匹のゴキブリを見つけたことはない。でも、本当はいるはずで、探せば見つかるはずなのである。ただ、探そうとしないだけの話であって。

―この記事に於ける例えは、人類史上、最も最低な例えの内の一つであると思われる。


起爆剤にじょうろで注いで虹

今の職場に就いて半年が経過したわけだが、この半年間、試行錯誤に試行錯誤を重ねど結局、解決、改善することのできなかった苦悩といえばやはり、「休日の使い方がわからない」及び「息抜きの仕方がわからない」であって、例えば今日、私は久々の休みなのだが、何をすればよいのかがさっぱりわからなくて、このような時刻に一人、酒を飲みながらぼんやりと苦悩しているのである。

「いやいやいや、バンドやればいいじゃねえか!」とおっしゃる方もおられることとは思うが、それについては、私の中で、どうも煮え切らない、踏み切れないものがあるのである。
バンドというものの実際は、端から見るよりずっと難しいものだ。だから、どのバンドも続かない。私はそれを、そこそこ長い年月をかけて、身をもって、身心の軸で知ってしまった。でも、今度またバンドをやるのなら、続かなくちゃ意味がないのは確か。にしては、私の中でビジョンが未だはっきりしておらず、定まらず、また、私の生活の基盤(仕事)が不定休だということも相まって、どうも煮え切らないのである。
次のバンドは、絶対に解散しちゃイカンのである。私はもう、「解散」という衝撃に耐えられそうにないから、次こそは下手すりゃ本当に最後で、だから、めちゃくちゃ慎重にいかねばならんと思っているのである。

そんな中、私は昨日の夜勤中、あるおばあさんの居室を訪問した際に、「休日に何をしたらええんかわからないんです。これ、結構ツラいんですけど、どうしたらええんでしょうか」と思い切って相談してみたところ、その90歳近いおばあさんは微笑んでこうおっしゃたのである。

「彼女は?彼女はおらんのかいなっ。」

やっぱりそこか!と思った。でも、同年代の奴らに言われるのとは、ケタ外れに説得力が違って、嬉しくなって、大笑いしてしまった。おばあさんも笑っていた。

「彼女が欲しい」って間抜けな言葉じゃない。恋愛を起点としてしか踏み出せないものがあるし、頑張れないものがある。恋愛は、人生の起爆剤のようなものだ。

「まずは起爆剤よっ!」私は、あのおばあさんからそう言われたような気がした。

―あの人は、私の起爆剤になってくれるだろうか。

仕事頑張りたいし、またバンドやりたい。そして、仕事やバンドから得たものの全てを、起爆剤となってくれた一人の女の人に注ぎ続けたい。


プチドラムのススメ

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煙草のケースって、このように持って、人差し指と中指で叩くと、抑制の効いたとても良い音がする。私はよく、音楽を聴く時、これでリズムをとっている。人差し指がバスドラで、中指がスネアである。

中でも、封の開いていない新品のソフトケースは、中に空気がある分、丸みのある、60年代的な、非常に良い音がするが、好みによっては、あえてボックスケースを使用して硬い音を求めるのもアリだろうし、封を開けたり、煙草を数本抜くなどしてチューニングすることも可能である。

私的には、わかばやエコーといった、紙丸出しのケースにビニール包装のされてないやつの未開封もの、これが最高に良い音がすると思っている。

たぶん、この記事を読んだところで、誰一人やろうとはしないだろうと思っている。


畜肉への疾走

かくして、本日は夜勤。今まさに、勤務中なのである。

前回の夜勤では、明けの朝食時に、薬を袋から出してお年寄りの手に乗せようとした拍子、ひざまづいて御焼香をしておるような格好で機能停止―寝てしまい、お年寄りに起こされる始末だったので、昨日はその反省を踏まえて、10時間近く寝てやったのだが、今度はそれが裏目に出て、めちゃくちゃ身体がだるく、いかんともし難いのであるが、もし、今から退勤までの間に、疲労が極に達して万事休した場合には、事務所の前で売っているリゲインを5、6本一気に飲めばなんとかなるだろうとは思いつつも、それはそれで裏目に出るような気がしていかんともし難い。

いずれにせよ、今日か明日の晩、私は必ず、焼肉を食いにいく。

行きつけの安い店で、金に糸目をつけず、「安い店選んでる時点で糸目丸出しっ!」などと快活に唸りつつ、牛の肉をブチ食って、チューハイの飲み過ぎでぶっ倒れてやる。


ダンデライオン

我ながら、「アナログの華」っていい言葉だと思う。

私は、アナログの華でありたい。

2012―公私ともに、色々と苦労はするんだろうけれども、少なくとも、デジタルの花のように「使い捨て」には終わりそうにないたんぽぽの生命力―アナログの華。

私は、アナログの華でありたい。


キースに祈りを

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私に、酒と煙草と、カッコいいギターの弾き方と、カッコいい生き方と、カッコいい老い方を教えてくれた男―キース・リチャーズ。

私はやはり、もう一度だけ、勝負してみたくなった。

そんな私の、何があってもブレない軸の象徴として、また、何があっても常に私の側にあり、いつでも帰ってこれる私の原点、故郷の象徴として、ここに、この写真を置いておく。

「ロックンロールに免じて許してくれ」と言ったキースに祈りを。


虚相

今日、職場の先輩に手相を見てもらった。

手相を見てもらうのは初めてのことなので胸を躍らせていると、私の左手をジッと見つめていた先輩が吹き出すようにこう言った。

「ドMちゃんっ

私という人間は、言葉や表情だけでは飽き足らず、手相に於いても嘘つきなのかと思った。


乞食と神様

「生モノ」ともいえる素直な気持ちを、日陰に、片隅に追いやって、追いやったことを努めて忘れて、ただひたすらに腐るのを待つ―ということができるようになった。

できるようになって、良かったのか悪かったのか、自分でもよくわからないけれども、少なくとも、不本意に頭を下げたり、腰を低くしたりして、残り僅かとなってしまった感のあるプライド的なものを、これ以上削り取られるようなことはなくなりそうだ。

万歳!

「乞う」のはもう嫌だ。ごめんだ。うんざりだ。私はいつもいつも乞うてきた。乞う側の人間だった。愛の乞食だった―って、誰が乞食やねん!要するに、もう二度と乞わない。

私は「乞われたい」と言ったのに、神様は、「え?壊れたいんですか?」と言って、思いっきり間違えた形で、私の願いを叶えてくれた。


いっぱいいる虫

「変わってる」と言われてる奴にロクな奴はいない。

「変わってる」って言われることほど楽なことはない。ただちょっと、常軌を逸することを言ったりしたりしたら良いだけの話なんだから。

本当に変わってる人間は、変わってることを隠そうとする。生きていけないんだから。

本当に変わってる人にとって、変わってる人を演じてる人ほど面白いものはないと思う。滑稽で滑稽で。

「変わってる」と言われてる、言われたい人というのは、要するに、ただの怠惰な臆病者だ。

いかに労せず、「責任」の対象外にいることができるか―ということしか考えていない、ただの怠惰な臆病者だ。