すぐひく。
女の人は、私の言動や行動に触れて、すぐひく。
何様のつもりだ。
皮一枚剥げば、私なんかより数倍グロテスクなものが出てくるくせに。
嘘は、化粧だけにしてくれ。
仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、創価学会であれ、霊友会であれ、ものみの塔であれ、天理教であれ、クソ真面目に宗教をやっている人が恋愛をする場合に、相手にも同じ信仰を求める、求めざるを得ないというのは、わからんでもない―っていうかめちゃくちゃわかる。相手が無宗教だったり、自分とは別の信仰対象を持っていたりすると、「無理」だろう。
笑いたきゃ笑えばいいが、私にとって、「ロックンロール」というのは、宗教以外の何物でもない。信仰以外の何物でもない。だから私が恋愛をする場合には、仏教やキリスト教やイスラム教や創価学会や霊友会やものみの塔や天理教をクソ真面目に信じている人同様、相手にも、ロックンロールが好きであることを求める。求めてしまう。ロックンロールに無関心だったり、ロックンロール以外のものに夢中な人とは「無理」だからだ。
「ロックンロール」という言葉から、矢沢永吉とか、内田裕也とか、B’zとかを連想するような人とは絶対に「無理」だ。逆に、ビートルズや、ストーンズや、オアシスや、ニルウ゛ァーナや、ザ・フーや、フリートウッド・マックや、マニック・ストリート・プリーチャーズや、スウェードや、村八分や、ベイビー・シャンブルズや、ティーンエイジ・ファンクラブや、レッド・クロスや、ソニック・ユースや、ポウジーズや、ダイナソーJrや、ピストルズや、スパイダースや、クラッシュや、ディランや、ドアーズや、ニール・ヤングや、ガービッジや、レディオヘッドや、コレクターズが大好きだと言われたら、ただそれだけのことで秒殺、心底惚れてしまいそうだ。
これ以上の本音があろうか。
俺は、これでいいのだ。
人に指摘されるまで気が付かなかったのだが、最近私は、一日の内に何度も深い溜め息をつくようになった。いろんな人に、「どないしてん?」といった意味のことを言われて、言われる度に我に返って、でもまたしばらくすると溜め息が出て―というのを繰り返している。
考え事が耐えない。考え事をしている間、呼吸を忘れていて、徐々に息苦しくなってきて、深呼吸をしたら、これが端から見れば溜め息にしか見えない―ということなんだろうと個人的には解釈しているが、本当のところは私にもわからない。だいたい、「考え事」などと言ってはいるが、一体何を考えているのか、何に行き詰まっているのか、私自身さっぱりわからなくて、でも確かに、何かについて強烈に思い患っているらしいことだけは確かで―と、この文章そのもののような窒息感が私の中にあって、問題がはっきりしないだけに、思考に方向性を持たせることもできなくて、同じ場所をぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる―この窒息感には終わりが来ないような気がして、不安で、でも、このままじゃ駄目だ!と思って、とりあえず「考える」ということをしてみるが、考えれば考えるほどに呼吸がおろそかになって、それでまた溜め息が出るのである。
「何を言うとるんだコイツは」とお思いでしょう?私自身、何を言うとるのかさっぱりわからんのに、あなたにわかろうはずがない。でも、ま、私個人的には、「窒息感」という言葉を放り出せただけでも、この文章を書いたことの意味はあったと思っております。
わからない。
おやすみなさい。
「彼女が欲しい」という言葉の馬鹿っぽさったらない。完全に頭の悪い人の言葉である。けれども私は今、死ぬほど彼女が欲しい。もちろん、誰でもいいってわけじゃない。死ぬほど好きな人に、「一憩の彼女」という、いかなるシチュエーションに於いても自慢の種にはなり得ない、不名誉の塊の如き称号を好き好んで承って欲しいのである。私は、そんなドM女史の出現を渇望していて、常に喉から手が垂れ下がっておるような状態なのである。
「きゃあ!バケモノ!」
うるさい!私は、日常に於ける勝負時、人生に於ける勝負時、根性と気合いが勝ち負けを左右する時、レノンやリアムの顔を思い浮かべる時がある。多々ある。そうすることによって、自分の潜在能力を引き出して、引き出せたつもりになって、どうにかこうにか困難な状況を乗り切るのであるが、これはあくまで、想像上の信頼から来るパワーであって、現実的なものではないから、「彼女」という、現実的な信頼、パワーの出所、後ろ立て、支えが欲しくてたまらなくて、常に喉から手が垂れ下がっている状態なのである。
「きゃあ!バケモノ!」
うるさい!ところで、私の携帯には、私が昔撮った我が娘の写真が何枚か入っているが、これはちっともパワーにはならない。これを待ち受けにしたところで、ちっともパワーにはならない。現実的に側にいるわけじゃないし、声が聞けるわけでもないし、そして、そんな状況が何年も続いてるんだから、我が娘の存在感は、我が娘でありながら、私の中で、レノンやリアムのそれと差して変わりはないのである。だから、やっぱり、「彼女」である。いつも側にいて、いつでも声が聞けて―そんな存在からもらうパワーこそが即戦力、パワー・オブ・パワーであるに違いないんだから、そういった理由から、昨今の私の喉からは常に手が垂れ下がっているのである。
「きゃあ!バケモノ!」
うるさい!
「大人」を名乗る人間の大半は「自称」で、くっだらない距離感の保ち方ばかり覚えやがって、メキメキと敬語力を伸ばすが、その敬語のあり方たるやめちゃくちゃ稚拙だ。
敬意もないくせに敬語もへったくれもあるかアホンダラ!
妙な距離感を持とうとするな!保とうとするな!何様のつもりだ!分をわきまえやがれアホンダラ!
大人なら一度くらい、俺よりまともな文章を書いてみろ!面白い文章を書いてみろ!本当のところを、本音を、いちいち隠すな臆病者が!
何が大人だ!何が社会人だ!
どいつもこいつもうわべばっかり。
うわべばっかりだ。
本当に
本当に
本当に
本当に
本当に
くっだらない!
あまりにくっだらない!!
どんなに心頭を滅却しても火が涼しくなることはないと思うし、どんなに塵が積もったところで塵が山になることはないと思っている私が、「信じる者は救われる」という言葉を信じている。
ただ、ちょっとだけ言い回しを変えねばなるまい。
「信じている間は救われる」んだと思っている。
本当はめちゃくちゃ騙されていても。