黒雲芸

この時期、遠くの空に黒い雲を見つけた場合、遠くの空に浮かぶ雲であるにも関わらず、早かれ遅かれ、必ずと言って良いほど自分のいる方向に流れて来るのは一体何故なんだろう。

最近はもう、黒い雲を見つけた時点で、それが遠かろうが近かろうが、諦めることにしている。「来たかったら来たらええがな」って。で、数分後、もしくは数時間後、必ず来る。

ワンパターンで面白くない。イラッとする。あの黒い雲の動きは、一発屋芸人が、一世を風靡した一発芸を、人の迷惑も省みず執拗に繰り返しているようなものだと思う。

面白くないものは、何度やっても面白くない。


バカばっか

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中古CD屋に貼り出してあるバンドメンバー募集チラシを見て回った。

「V(ビジュアル)系バンドをやる」とか、「当方、パンクバンドやりたし」みたいなのばっかりで、本当にそんなのばっかりで、もっとマシなのはないのか?と思ってちょっと視線を移したら、「AKBのコピーやりたし」というのがあって、死にたくなった。


或るヘタレ像

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阪急西宮北口の駅構内にある休憩所。

四方から冷たい細かい霧が吹き付けてきて、いかにも涼しそうである。

いいなあ…と思う。

でも私は、私という男は、一人で焼肉屋に入って、デカいテーブルを一人で占領して食事をしても何とも思わないくせに、こういう場所は、なんだか恥ずかしくて、脚がすくんで、遠くから眺めて涼を得るということしかできない男なのである。

私が女だったら、私のような男は、絶対に嫌である。


とりあえず売れ!

元町高架下にバンドTシャツを扱っている店があり、久々に立ち寄った私が物色していると、以前はいなかった、病的に青白く、病的に細く、病的に暗い、病的に気持ちの悪い兄ちゃんが出てきて、「好きなバンドはありますか?」と訊いてきたので、「オアシス」と答えたら、その気持ちの悪い兄ちゃんが、「2分待ってください。オアシスのかなりかっこいいのを持ってきますから」と実に陰湿な感じで言い切ったので、待ってみたら、本当に2分後、その兄ちゃんはオアシスのTシャツを持って帰ってきた。

リアム、ノエル、ゲム、アンディ、ホワイティ―あの頃の5人の写真がプリントされていて、メンバーの後ろに「OASIS」とある、バンドTにしては貧乏臭くない、なかなか良い感じのTシャツを持ってきたので、値段を訊くと、その兄ちゃんは、「本当は2900円ですが、2500円まで下げます。」と言った。

私は、Tシャツみたいなもんは、1500円までしか出さんと決めているが、ことオアシスのTシャツとなると話が違う。しかしながら、私は、オアシスというバンドの表記は、大文字の「OASIS」ではなく、小文字の「oasis」でなきゃ!と思っているオアシスファンなので、「これ欲しいなあ」と思いつつも、「これ惜しいなあ」と思って、その兄ちゃんに、「ちょっと置いといてもらえます?考えさせてください。」と言ったところ、その兄ちゃんは懐疑心丸出しにこう答えたのである。

「戻ってくるん?」

大きなお世話だ!言葉遣いが全っ然なっていない。なんやねんこのアホンダラは!と思って、結構欲しかったのに、全っ然欲しくなくなって、結局、買いに行かなかったのである。

でも本当は、欲しかったのである。


小さな夢の中の苦情

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めちゃくちゃ久しぶりに神戸三宮に来た。三宮行きは、私がここ数ヶ月に渡って抱き続けた小さな夢であった。で、今、高架下を練り歩いている。

私は、できれば雨の三宮を歩きたいと思っていた。雨の三宮は非常にロマンチックだからである。そして本日、三宮に着くやいなや、雨が降ってきた。神様っているもんだなあと思った。しかし、神様は、私の願いを一つ完全に聞き逃している。

私は、雨の三宮を歩きたいとは言ったが、「一人で」とは言っていない。


有刺デリカ鉄線

世の中には、「デリカシーに欠ける」というのか何というのか、悪意なく他人を傷付ける言葉をさらりと吐いてしまう愚鈍の極みみたいな奴等がいましてね。でも、本人には悪意がなくて、そのことを他人に非難されても、「はにゃ?」などと言ってケロっとしてるんですから、まことにもって迷惑な生き物です―なんて私が言うと、「いやいやいやいや、お前も大概やで。しょっちゅう言葉で他人傷付けてるやないかい!」などとおっしゃる方も中にはおられるかも知れませんが、それは違う。完全なる誤解でございます。

私は、悪意なく他人を傷付けたりはいたしません。私が他人を傷付ける際には、明確な悪意がございます。そして、その明確な悪意に沿って、言葉を研ぎ、執拗に研ぎ、毒を盛り、執拗に盛り、傷付てやる気満々で傷付けるんですから、私はいわばデリカシーの塊なわけです。塊のデリカシーなわけです。デリカシーの塊のデリカシーは塊のデリカシーがデリカシーの塊なわけです。

デリカシーってどういう意味ですか?


とりあえず買え!

私はCDの「ジャケ買い」の天才なのである。試聴などせずとも、ジャケットを見ただけで、だいたいの内容は察しがつくし、極めて調子が良い時には、ジャケットから音さえ聴こえてくるのである。

ジャケ買いは、かっこいい/かっこ悪いではなく、美しい/美しくないでもなく、「何かありそうだ」という感覚こそが命で、その「何か」に引き込まれるように、流れに逆らわず手に取って、引き込まれるがまま、なされるがままの精神状態でもって、じっと見詰めていると、次第に音が聴こえてくる―というものなのである。

私は、恋愛においても、基本的にジャケ買いの男なのである。これは、俗に言う「ルックス重視」ということではない。「何かありそうだ」に始まって、「何か」を感じて、「何か」に強く惹かれるのである。

私は、断じて男前ではない。そんなことは重々承知している。だが、上に述べたジャケ買いの視点で見てもらえれば、かなりの確率で「何かありそうだ」と思ってもらえるはずなのである。しかしながら、今日もタワーレコードの試聴機の前には、数多くの女子がヘッドホンに手を添えて、入念に品定めをしてしている―というのが現実で、皆、『確証』がなければ、触手を伸ばそうとはしないのである。貧乏根性100、賭博魂0なのである。

私は、駆け引きが面倒くさいし、自分のことを一から説明するのも面倒くさいし、ヌメヌメと舐め回すように品定めをされるのも我慢ならないから、賭博魂の塊のような奇怪な女子が現れて、私のことを潔くジャケ買いしてくれる日が来るのを切に祈っているのである。

確証というものが、いつもいつも話の冒頭に来ると思ったら大間違いだ。後から来る確証だってあるだろう。とりあえず話を始めてみて、それから一つ一つ拾い集めていく確証だってあるだろう。


壊れた詩のような

私のような者にも、一瞬でわかることって、ある。

でも、「一瞬でわかるはずがない」と言って決めつけて、いちいち手続き的なものを踏ませるのが世の中。クソ面倒くさい。

運よく、珍しく、理屈抜きで、一瞬でわかったものを、いちいち理屈立てて説明しないといけなくて、無理矢理理屈立てている内に、元々めちゃくちゃ簡潔でピュアだったものが、あれよあれよと複雑になっちゃって、濁っちゃって、萎びたバナナみたいになっちゃって、届くものも届かなくなっちゃって、「あなたは何だかよくわからない」と言った神様が、何も掴めなかったUFOキャッチャーの腕のような感じで音もなく遠ざかっていく。

ギシギシガタガタ音を立てて、必死こいて生きている人間のもとを、足音ひとつ立てず、「…」と言って、無表情で去っていく神様の後ろ姿に中指を立てるのが精一杯。


日常の犯人

かしこはアホのフリをする。

アホはかしこのフリをする。

それだけの話。

言葉を聞けばわかるし、姿勢を見ればわかる。

かしことアホの見分け方―全っ然ややこしくない。単純明快だ。単純明快過ぎてややこしくなっているだけだ。

ややこしくしているのは、ややこしくないと困ると思っているアホどもだ。


抱きしめたい

軽快かつ快活な、薄くて軽い不思議ちゃんは好きじゃない。はっきり言って大嫌いだ。面倒くさい。でも、軽快かつ快活でありながら、濃くて重いものが人格の向こう側に見え隠れする人は、男女を問わず大大大好きだ。

全力で抱きしめたくなる。