ひとつ、方向が見えた。

創作活動に並行して―世の中にたったひとつだけ、以前からやってみたかった仕事があり、ヘルパーの資格、経験も十分に活かせるし、とある方向に進むことにした。

意地でも、攻め落としてこます。


大砲愛好家の手記

私は、何事に於いても、駆け引きが苦手だ。そして、意外と、駆け引き下手な自分が好きだったりする。したがって、駆け引き上手な人間があまり好きではない。何かものすごく姑息な感じがする。私は、理数系の人間が苦手なのだが(体育会系はもっと苦手だが)、あの苦手感によく似ている。

下手でもいいからドンッときて欲しいし、私自身もドンッといきたい。

京都料理―料亭やなんかで出てくる懐石料理が苦手だ。おせち料理もあまり好きではない。ナンボほど小皿使うねん!ほんで味薄っ!チマチマチマチマしてんと王将みたいにデカい皿で濃い味のやつをドンッと出せや!と思う。駆け引き上手な人間にも、同じことを思う。


虎視担々男

自分が激しく動いている時、他人の動きがスローに見える。その動きがあまりに鈍いので、たまに肩が当たったりなんかして、「お前邪魔っ!」と叫ぶ。

自分が止まっている時、他人がせわしなく動き、蠢いているように見える。

籠城している。城の上から自分を包囲している軍勢を見つめている。自分はじっとしていても、敵は常に動いてくれている。蠢いてくれている。その内必ず、どこかに手薄な箇所が見つかる。

見つけたら速攻。突撃して血路を開く。


阿仁真梨について

最近、当ブログの読者となられた方々のために、当ブログにたまに登場する『阿仁真梨』なる人物について、簡単にご説明いたします。

阿仁真梨は、一憩の中の女性性の顕れでございまして、当ブログ上では、一憩から完全に分離した一人格として登場します。
阿仁真梨が、旧ブログ『イッケイノウタ』に初めて登場したのは、2010年3月30日のことで、当時は『阿仁真里』を名乗っておりましたが、『一憩合格』が新たに立ち上がり、その創成期に於いて『阿仁真梨』と改名しました。
名前の由来は、心理学で言うところの「アニマ」からきており、アニマというのは、「男性の中の女性性」という意味です(ちなみに、女性の中の男性性は「アニムス」)。
阿仁真梨の当ブログ上に於ける役割は、大きく分けて二つあり、ひとつは一憩のボケに対するツッコミ担当。そしてもうひとつは、一憩の創作活動に於ける広報・マネージャー担当です。たまに、読者の皆さんからのコメントに、阿仁真梨自ら答えることもあり、その際には、一憩が「私」を名乗るのに対して、阿仁真梨は「アタシ」を名乗っています。
性格は、実にサバサバしており、女の分際で女々しい感じが嫌いで、一憩とは違って、ヘコんでも2秒で立ち直ります。

―というわけで、阿仁真梨について説明させていただきました。今後とも、阿仁真梨をよろしくお願いいたします。


48

AKBフォーリーエイトってなんかもうええわって感じやわ。結局全然メンバーの名前覚えられへんしAKBフォーリーエイト。それにAKBって、フォーリーエイトのくせにフォーリーエイト以上おるらしいね、人数、フォーリーエイトのくせに。あと、AKB以外にもなんちゃらフォーリーエイトってグループいくつかおるね。アルファベット3文字の下にフォーリーエイトさえ付けときゃ売れるんやね。でも、平均年齢がフォーリーエイトやったら、アルファベット3文字の下にフォーリーエイト付けても全っ然売れへんやろね。だいたいフォーリーエイトって―

阿仁真梨「フォーリーフォーリーうるさいわ!」


踊る!胴無し男

0001.jpg

先の文章『胴無し男』に於いて、「「真ん中」を一掃しようと思っている」と言った舌の根も乾かんうちにこんなことを言うのもなんだが、こればかりは、この人のこればかりは、どちらか一方を選べと言われても困る。

ま、真ん中にもう一個椅子を用意していただけませんでしょうか。


クリエイティウ゛・ハレンチーノ

私は、痩せても枯れてもアーティストなので、常に何かしらクリエイトしている。
音楽をクリエイトし、イラストをクリエイトし、また、このブログ上では、エッセイをクリエイトしている―と書くと、随分幅広くクリエイトしてるはるんやなあと思われるのが筋だが、本当は、真相はそうではなく、私は常に、ただ一つのものをクリエイトし続けているに過ぎない。

私は、私自身を絶えずクリエイトしているのである。私は、私という人間を、私の納得のいく形に創りあげたいと願って七転八倒しているということに於いてアーティストなのであって、「私が納得のいく私」に至る王道として、私には、音楽があり、イラストがあり、エッセイがあるのである。

私は日々、変わり続けているのである。膨らんだり萎んだり、伸びたり縮んだり、変色したりしなかったり―と、実に多忙な身なのである。3日として、同じ自分を持続できたことはない。常に変化し続けている。

虫の形態が変わること―例えば、おたまじゃくしが蛙になったり、芋虫が蝶になったりすることを「変態」と言うが、ということはつまり、私は変態し続けている生き物なのであって、しかも私の場合、その変態頻度が凄まじいので、もう存在そのものが変態なのであって、要するに私はド変態なのである。

誰がド変態やねん。


if

もし本当に、「パンチパーマ」みたいな感じで「ジュカイ(樹海)パーマ」なるものがあったとしたら―アフロの異常にデカいやつで、映画館の入り口には必ず「ジュカイパーマの方、入場お断り」の貼り紙が出されると思う。あと、ジュカイパーマの人が溺れ死ぬことはまずないと思う。ものすごい勢いで頭だけ浮くと思う。だから、溺れることがない代わりに、潜ることもできないと思う。それから、ジュカイパーマの人は「JP」って呼ばれて、ちょっとジェームス・ブラウンみたいになるけどあんまりモテないと思う。それから、JPの人が頭を強く打ったら、割れた頭の中からJPの人が出てくると思う。それから―

阿仁真梨「もうええわ!」