imagine

皆さんは、レノンの「イマジン」のPVをご覧になったことがあるだろうか。

真っ暗な部屋にピアノが置いてあり、レノンがあの必殺のイントロを弾きはじめると、ヨーコが部屋中のカーテンをゆっくりと開けてまわり、カーテンを開けるたびに、部屋に光が射し込んできて…という、あれである。

私の今の精神状態を映像に置き換えると、ちょうどあんな感じである。

少しずつ少しずつ、光が射し込んできていて、少しずつ少しずつ、肩の力が抜けてきている。

自分の中で複雑に絡み合っていて、いかんともし難かったものが、徐々に徐々にほどけていっている。

見えるようになってきている。

聞こえるようになってきている。

言えるようになってきている。


揺るぎなき認識

もう何年も前から私は、人類史上最強の男は、大山倍達や、ヒクソン・グレイシーや、アントニオ猪木ではなく、安岡力也だと思っている。なぜ彼がK―1やPRIDEに参戦しないのかをずっと不思議に思っている。そして、もし、安岡力也に勝てる男がこの地球上にいるとすれば、それは、藤岡弘、以外にいないと思っている。


寝にくい男

またこんな時間に起きてしまった…。

最近、唯一の悩み事と言えば、朝までぐっすり眠れないということだ。アホほど夢を見るし。

今から寝ても、たぶん、4時くらいにまた起きてしまうんだな。

参ったな。まったく、冗談じゃないよ。


好きだから

人間―好きか嫌いかと問われれば、好きだと答える。だからこそ、好きなものだからこそ、ガッカリさせられた時にはどこまでもガックリきて、「くたばりやがれ!このオ〇ンコ野郎が!」と思う。

同様に、私は音楽が大好きだ。日本の音楽にだって、好きなものはたくさんある。だからこそ、くだらない音楽を聴くとガッカリするし、そんな音楽をやって調子に乗ってる奴らはどいつもこいつも死ねばいいと思う。

いずれにせよ、好きだからだ。ずっとずっと、好きでいたいからだ。

「そういうことはあまり口に出して言わない方が良いんじゃないか?」みたいなヌルいことを言う奴は寄るな。近寄るな!

俺は言う。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ!


コメントへの返信〜めぐみ様宛

コメント、ありがとう!

どうやら、めぐみさんの携帯は、「!」が「?」に文字化けしてまうみたいやね。

「コマネチ!」が「コマネチ?」になって、ダチョウ倶楽部の「ヤアー!」が「ヤアー?」になって、猪木の「ダアー!」が「ダアー?」になって、将棋打ちの「王手!」が「王手?」になってまうんやね。

…ってそれ、今話題のおもしろ機能搭載携帯やん!


馬鹿指南

本当に、本当に、本当に、死ぬほど好きになった人に告白する場合には、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ心を込めて、ちゃんと相手の目を見て、「あなたとヤりたいです!」ってのが一番いいんじゃないか?

「あなたとヤりたいです!」この言葉に微塵も、それこそ、0.0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000001%も嘘がないのなら、その恋は絶対に叶うと思う。

「あなたとヤりたいです!」俺は言うよ。今度、本当に、本当に、本当に誰かを好きになったら。


思考癖のある人に、「考えるな」と言いたい。

思考癖のない人に、「考えろ」と言いたい。

当たり前と言えば当たり前だけど、大切なこと。

私は徹底的に大人になることを諦めた。どこまでも諦めた。

どんな場所であれ、私はちょっとでも窮屈を感じたら、去る。

猿。


流れたい

自分の思考―計算や計画といったものが、いかに的外れで、いかにアテにならないものなのかということに気付けただけでも、34年間生きてきた甲斐はあったなと思う。

人間は、自分の労力に対してどうしても対価を求めてしまう。だから人間の、自分の、「思考」の持つ力を必要以上に信じて疑わない人は、「俺はこんなに考えたんだから!」などと言って、自分の出した答えを他人にごり押しするようになってしまう。でも、それはめちゃくちゃ勝手な話で、そもそも誰が頼んだわけでもないのに勝手に考え込んで、勝手に労力を消費してその対価を要求して、果てはその場の空気を乱しているんだから、このような人間が幅を利かせているような場所に「流れ」の発生する余地などあるはずがないと思う。

ところで、伊丹に帰ってきてからの私が、日々、切実に考えたことは、いかにして我が人生から「窮屈」を排除するかということであった。窮屈ということに対して、猛烈な嫌悪感があった。それはほとんど「憎悪」と呼んでも良いくらいの嫌悪感だった。

で、私は考えに考えた。考えに考えて完全に迷宮入りしてしまい、往生していたら、どこからともなくフッと風が吹いてきて、「あ、考えなきゃいいんだ…」という結論が閃いた。

「曲は作るものじゃない。いつもアンテナを立てられているかどうかが問題なんだ」とキース・リチャーズ。
「曲は作るものじゃない。向こうからやってくるのを虎視眈々と待つんだ。で、やって来たら、間髪入れずに掴み取るんだよ」とクリスピアン・ミルズ。
この二つの言葉は、そっくりそのまま人生訓だと思う。

考えることが大切なのはよくわかっている。考えに考え抜いた末にシンプルな答えが生まれることが多々あるということも知っている。でも、だからといって、むやみやたらに思考を重視するというのは、せっかくの流れを見逃したり断ち切ったりしてしまうことになりかねないと思う。

焦りは禁物だ。思考が暴走しているからだ。
怠惰も禁物だ。思考が停止しているからだ。

流れたい。


珠玉!庶民の笑い

盗み聞きするつもりは全くなかったのである。が、個人的に笑いのツボに入ってしまい、どうしても我慢できなくなって、不意にツッコミを入れてしまったのである。

以下に紹介するのは、今日、私の隣で作業をしていたパートのSさんと、そのまた隣で作業をしていたパートのTさんとの会話である。お二人とも結婚しておられて、子供さんもおられる。

Sさん「で、今日の晩ご飯何にすんの?」

Tさん「唐揚げにしようと思ってる」

Sさん「唐揚げだけ?」

Tさん「まさか。うち、どんだけ貧乏やねんな。でも今日はちょっと手ぇ抜かせてもらって、唐揚げとラーメンにしようと思ってる」

Sさん「へえ…。で、麺作るん?」

Tさん「麺作る!?あたしが!?仕事で疲れて家帰って、ラーメン作るゆうてわざわざ麺から作るん!?あたし、こねるん!?それやったらあたし、全然手ぇ抜けてないやん!」

私「すんません!お二人とも面白いにもほどがありますって!」

私はこういった、庶民的な笑いにも極めて弱いのである。


400本目〜4thアルバム完成!

これで、当ブログ『一憩合格』も400本目に突入である。いつも通り、301〜400の文章をひとまとめにしてタイトルを付けんとね。

スベッてるのを百も承知の上で、あえて、『サナギブソン』でお願いします。

意味?あるか!そんなもん!だいたい誰が興味あんねん!(←この、「誰が興味あんねん!」と、「サナギブソン」との間に関連性を見出だせる方はかなりのお笑い通です)ただ、『イッケイノウタ』時代に付けた10タイトルに比べると、明らかにイメージが明るくなってきていて、それが実に感慨深いです。

さ、さ、次行きましょう、次!面白くなってきたあ!