コメントへの返信〜さかえ様宛

こちらこそ、ありがとうございます。
『イッケイノウタ』の後半の、あのクソ重い文章の数々に対して、一番多くコメントを寄せてくれたのはさかえさんでしたね。本当に感謝しています。

私はこれから一気に上昇気流に乗っていきます。右肩上がりに次ぐ右肩上がり…な、はずです。こっからが面白い…はずです。ので、今後とも御愛読のほど、よろしくお願いいたします!


タイトルカタログ

私のブログでは、文章を100本載せる度ごとに、一枚のレコードが完成したと仮定して、毎度、タイトルを付けてきましたが、それらをここらでざっと、振り返ってみたいと思います。
私のブログを、『イッケイノウタ』のスタート時からずっと読み続けてくださっている方々には、結構感慨深いものがあるのかもしれませんし、私にしてみれば、全てのタイトルにその時々の想いが込められており、並々ならぬ思い入れがあるので、この先さらにブログを続けていく上での一つのターニングポイントとして、ここらで一発、過去のアルバムタイトルの全てをざっと振り返ってみたいと思います。

『イッケイノウタ』(2009.3.31〜2010.10.31)

1st/ ウ゛ァイブル
2nd/麦乃助の憂鬱
3rd/V
4th/闇独楽
5th/花とヘドロ
6th/少年零記
7th/インナーチャイルド
8th/籠城と創造
9th/female
10th/kiss

※『イッケイノウタ』には、計1058本の文章を載せたが、最後の58本については、タイトルを付けず、無題となっている。

『一憩合格』(2011.3.13〜)

1st/三重人格
2nd/猫と豚

以上、過去12枚のアルバムタイトルをざっと振り返ってみましたが、私的にはやはり、『少年零記』あたりが最も感慨深いです。あの頃はもう本当にボロボロで、昼間から隠れて酒を飲んでいて、ただ漠然と「もう終わりや…。」と思ってました。ま、遠い昔の話ですけどね。


どうせ幾分縮むから

ただ、「分をわきまえる。」ということは、あくまで、「自分のスケールを正しく把握する。」ということであって、決して、実際の自分よりも小さく見積もることによって、謙遜して見せたり、謙虚な姿勢でいることを美徳とするというような意味ではないと思います。

自分のスケールなどというものは、若干大きめに見積もってやった方が、自分自身の為に良いんじゃないかと思います。

若干、自分自身を騙す、騙し続けるということは、生きていく上でとても大切なことだと思います。


2nd完成!

この文章で、当ブログ『一憩合格』も、200本目に到達である。したがって、いつも通り、101本目から200本目までをひとくくりに、一枚のレコードと仮定して、タイトルを付けたいと思います。

2ndアルバムのタイトルは、『猫と豚』に決定!

では、息継ぎせず、早速、3rdアルバムの制作に取り掛かるといたします。


間違いない

先日、27歳の職場の同僚が、誰かに、「理想のタイプは?」と訊かれていて、彼は「優しい人」と答えたのであるが、この「優しい人」という答えに対して、彼の側にいた女の子が、「じゃ、『優しい人』の定義は?」とさらに突っ込んで問いただしたのであるが、彼はこの問いには上手く答えられないでいた。

私は考えた―「優しい人」の定義。

たぶん、自分の分をわきまえてる人のことを「優しい人」っていうんだと思う。自分の分をわきまえてるから、他人にも分があるんだってことが理解できて、それで、優しいんだと思う。これは、逆算してみればよくわかる。「優しくない人」ってどんな人をいうのかを考えてみるのである。

例外なく、分をわきまえていない人が、「優しくない人」なのである。


崩壊願望

太宰さんは、「恋愛はチャンスの問題じゃない。意志の問題だ。」と言ったが、私は、恋愛は、根性の問題だと思っている。そして何より、恋愛は、発狂できてなんぼだと思っている。発狂することによって、不可能を可能にする根性が生まれるんだと思っている。

見境が無くなる。前後不覚になる。くるくるパーになる。これが恋愛だと思う。冷静に立ち振舞えてる間は、それは、本当の恋愛ではないと思う。

見境を無くしたい。前後不覚になりたい。くるくるパーになりたい。

ロックンロールと恋愛が人間にもたらす効果は、よく似ている。


カブトムシ

今日は、数ヶ月振りに外へ、焼肉を食べに行ったのであるが、小さな店内の通路を隔てた向こう側で食事をしている子供連れの夫婦が、気になって気になって仕方が無かったのである。
子供は二人。二人とも男の子で、1才くらいのと3才くらいのと。さして喧しくはなかったし、もし喧しかったとしても、夫婦の気持ちを察すれば別に不快でも何でもなかったのだが、問題は、この夫婦の佇まいにあったのである。
二人とも私と同じくらいの歳で、旦那が正座をしていて、嫁があぐらをかいて顎を突き出して煙草を吹かしていた。そして、旦那が家族の為に肉を裏返してやっていると、嫁が「触りすぎ。もうホンマ、ウザいわぁ。」と発言。
私は、この光景を見て、イラッと来て憤然と立ち上がると、敢然と通路を横切って夫婦のいる所へ向かい、とりあえず嫁に平手打ちを食らわせてから、「お前だけか!お前だけが頑張っとんか!お前は、旦那が働いてるとこ見たことあるんか!金が全てやったら金が全てってはっきり言えや!このブス豚!」と、一連の動作を頭の中で、実行に移していたのである。

世の中の女性は何か、とてつもなく大きな勘違いをしている。幻滅してもし切れない。

そうして今、私は、aikoの『カブトムシ』を爆音で聴いている。どこかでまだ、性懲りなく、信じたいのである。


ヌメヌメの虫

昨日まで、残業に次ぐ残業の日々であった。職場が移転するということで、その引越し作業に追われていたのである。
私は、休日出勤は結構喜んでするけども、残業というものが嫌いで(学生時代も、「放課後居残り」というのが死ぬほど嫌いであった。)、引き受けるか否か迷ったんだけれども、GW明けということもあって快く引き受けたのだが、これが意外な形で吉と出た。というのも、夜遅くまで一緒に働く中で、パートさん達とだいぶ仲良くなれたのである。

ちゃんと接してみると、オバハンはおばちゃんであった。そして、オバハンゾーンに片足突っ込んだ、厭世的オーラ漂う女の人たちは、意外と笑顔が素敵だったりして、たまに非常に可愛らしいのであった。同時に、私に対する警戒心もだいぶ解けてきたようであるし、結果的には、残業を引き受けてよかったと思っている。

私の職場は社員を除くと、9割方女性である。私にしてみれば、この環境というのは、介護職をしていた時となんら変わらないので、何の抵抗も感じないが、同時に、女性ばかりの職場の影の部分というのもよく知っていて、それはやはり、現在の職場でも同じようである。
よく見ると、いくつか派閥的なものができているみたいだし、コソコソ話をしているところもよく見かけるし、男ばかりの職場では絶対にあり得ない、何かとても陰湿なものが音も立てずに蠢いている気配が確かにある。
一人一人、単体で見るとなかなかに魅力的な人たちなのに、群れると、女の人というのは何故こうなってしまうのだろう。実に厄介な生き物である。

「やっぱりこういう職場には男の人が必要やわ。」
「力仕事が出来るからですか?」
「いや、それだけじゃなくて。女ばっかりやと、悪口とか、ほら、色々と…わかるやろ?」
と、以前、お世話になった女性ベテラン介護士さんが言っていた。


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♪お昼休みはウキウキウォッチング…のイントロに導かれて高橋まことが出てきても気付かない。

会社の上司が松井恒松だったら即辞める。

新聞の勧誘に布袋寅泰が来たら通報する。

大切な人のお葬式に氷室京介が来たら帰ってもらう。