ワーカホリック

労働依存症の事を、ワーカホリックという。
考えるという事をしたくないのだろう。考えるという事を忘れたいのだろう。決して、悪い事ではないと思う。人間の思考なんて、たかがしれている。

震災後、「想定外」という言葉をよく耳にするが、人間、一生の内に何度、想定内に事を運ぶことができるのだろう。一度か二度、あれば良い方なんじゃないのか?


みんなの健康

些細な怒りが自然に湧き出てくるというのは、生活が、健康的である証拠だ。
些細な怒りまでも、無理に、自分の中から引きずり出さねばやってられないような、そんな、怒りで淋しさを覆い隠してしまわねばやってられないような生活は、「不健康」を通り越して、病的だ。


追憶

娘を保育園まで送っていく途中に団地があった。

団地と団地の間にはロープが渡してあり、そのロープに大きな鯉のぼりがぶら下がっていた。

私は、娘を保育園に預けると、その足で近くのコンビニへ向かい、ビールを買って、裏手に回り、人目に付かないことを確認して、飲んだ。

それから私は、人目を忍ぶようにして後ろめたく帰途に着いたが、その道はちょうど保育園の裏手を抜けるルートで、保育園の裏手には、公園があった。

眩しいほどの晴天の中、その公園から子供達の歓声が聞こえた。ふと見ると、私の娘が、一際目立つ派手なアップリケを付けた赤い帽子を被って、保育園の他の園児らと、かけっこをしていた。

お腹を突き出して懸命に走っていたが、どう見てもビリだった。

私は、その光景を木陰から見つめていた。

帰宅後、朝食に使った食器を洗いながら、涙がこぼれた。


姫と蜘蛛〈短編集『リスパダール』収録ヴァージョン 〉

姫「何故、わたくしがこのような目に遭わないといけないのですか?わたくしが何か、悪いことでもいたしましたか?」

蜘蛛「それはまた人聞きの悪い。あなたが勝手に引っ掛かって来たんじゃありませんか。私がこうやって巣を拵えるのは、これは、これが、私の仕事、神から与えられた天職だからですよ。」

姫「じゃ、逃してくださるのね?」

蜘蛛「いや、それは出来ません。」

姫「何故?」

蜘蛛「私は、捕まえる方法は知っていても、逃す方法を知らないからです。」

姫「では、さっさとお召し上がりなさい。わたくしも姫です。決してジタバタなどいたしませんから。」

蜘蛛「残念ながら、それもできそうにありません。」

姫「え?何故?」

蜘蛛「あなたを、こうやって、ずっと、眺めていたいからです。」

姫「それでは、わたくしはこのまま、死ぬのを待つしかないのですか?」

蜘蛛「いや、決して死なせはしません。食べ物は私が、というか、この巣が勝手に、随時用意しますし、お風呂は、ほら、天からシャワーが降ってくるではありませんか。トイレは…ね、ほら、私もあなたも、お互い虫なんですから。」

姫「でも、わたくしは、確実に年老いていきますよ。そのうち必ず、あなたの鑑賞に耐えない姿になりますよ。」

蜘蛛「その点は大丈夫です。あなた同様、私も年老いて、そのうち必ず死にますから。」

姫「…では、わたくしを、殺してはいただけないでしょうか?召し上がる必要はございません。ただ、無傷で、殺して、そうして、ずっと、そうやって眺めてらっしゃったらよろしいんじゃないかしら?」

蜘蛛「ですから先程も申し上げた通り、私は、捕まえる方法しか知らないのです。捕まえて、食べて…他のことは何も知らないのです。」

姫「…。」

蜘蛛「…もし、どうしても死にたいとおっしゃるのなら、ご自分で舌を噛み切られてはいかがですか?」

姫「…。」

蜘蛛「どうなさいました?」

姫「でも、わたくしには舌が…。」

蜘蛛「舌が、無いのですか?」

姫「返していただけますか?」


物欲ブロークン

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伊丹最北端という土地は、物欲の無い者の中から物欲を引きずり出す。

まず、¥3500が¥1580に下がっている時点で驚いたが、私は、伊丹最北端の、「価値、全然わかってない感」に期待してさらに待っていたら、今日、一気に¥300まで下がっていた。
U2の初回限定Box仕様ベスト盤新品未開封が¥300である。皆さん、わかりますか?この凄さ。だってU2ですよ、ユ・ウ・ツ・ウ!。

ちなみに、浅井健一、通称「ベンジー」のアルバム『チェルシー』の初回限定盤に至っては、これまた未開封の新品にも関わらず¥100であって、考える余地なく買ってしまった。

今日は結構、金使っちゃったな…。と思ったが、よくよく考えてみればたったの¥400であった。金銭感覚が小学生以下である。


換気扇爆破

ここまでで、私のブログも、『イッケイノウタ』時代のものを含めると、1231本目になる。そうして、今ふと気付いたのだが、私はきっと、今まで一度たりとも、「爽やか」という言葉を使っていないのではないかと思われる。使った覚えがないし、私は普段の生活に於いてもこの「爽やか」という言葉を、皮肉を込めた意味合い以外では使ったことがない。要するに、私はこの「爽やか」という言葉、感じを忌み嫌っていて、何故忌み嫌っているのかというと、私には全くもって縁の無い言葉だと思われるからで、じゃ何故縁の無い言葉だと思われるのかと言うと、私の中に、「「爽やか」と名の付くものは皆、私をハミ児にしよる。」という被害妄想が深く根付いているからだと思われる。

爽やかな音楽、爽やかな文学、爽やかな絵画、どれもこれも苦手である。爽やかなロック、爽やかなデカダン、爽やかなアールヌーボーなどという表現は間が抜けている。
もし、風通しの良い感じを「爽やか」と呼ぶのなら、私は、芸術は、風通しが悪く、人間の体臭が停滞、充満していて、それが何だかガスのようになってしまっていて、誤ってマッチなど擦ろうものなら、空間丸ごと爆発してしまいそうな、鬱屈とした感じを好む。私が、神戸新開地や大阪の新世界を変に好むのは、そういった理由に依るのかもしれない。町全体が、ちょっとした拍子に大爆発を起こしそうな、あの不穏な空気感がたまらなく好きだった。
一方、女性客目当ての店や施設は、めちゃくちゃ苦手である。風通しが良いはずなのに、私には窮屈以外の何物でもなく、息が詰まって、私自身が爆発しそうになる。
イタリア料理?フランス料理?冗談じゃない。こら、勝手にナイフとフォークを用意すな。箸を持て、箸を。ふざけるのもほどほどにしなさい。だいたい私を誰だと心得る。無類の王将好きにして、立呑屋愛好家。そして、串カツ屋フリークでもある。爽やかなイーガー、爽やかな安価、爽やかな二度漬け禁止などという表現は間が抜けている。

と、こうやって、「爽やか」ということについて述べていく中で、私はひとつの、とても重要なことに気が付いた。それは、私が愛する感じというのは、「爆発している」ものではなく、「爆発しそうなもの」だということだ。
何かえらいことが起ころうとしている。が、起こらない。でも、何かの蠢く音が確かに聞こえる。が、何も起こらない。というキリキリ感。

私は、いつの日か皆さんに、今もなお現在進行形でウ゛ォリュームを増し続けている我が短編集『リスパダール』をお目に掛けたい。あれは、そんなキリキリ感を楽しみたい人の為の作品なのです。


檸檬

今日は、一日の大半を本を読んで過ごした。
頭の中が言葉でいっぱいで、なかなかに苦しかったのに、頭の中の言葉の存在を忘れる為には、音楽では全然駄目で、本を読むことが唯一にして最良の手段だった。

あ、だから迎酒って効くんや。―と思った。