檸檬

今日は、一日の大半を本を読んで過ごした。
頭の中が言葉でいっぱいで、なかなかに苦しかったのに、頭の中の言葉の存在を忘れる為には、音楽では全然駄目で、本を読むことが唯一にして最良の手段だった。

あ、だから迎酒って効くんや。―と思った。


GRAPEVINEについて

GRAPEVINEは、音と、何よりバンド名が良い。ヴォーカルは、何を言っておるのかさっぱりわからない。

曲は、『光について』以外は、そこそこ良い感じのが並んでいるといった印象だが、さすがにベスト盤は、悪くない。全然聴ける。が、ヴォーカルは、何を言っておるのかさっぱりわからない。

それにつけても、バンド名が良い。音楽そのものに、プラスアルファの要素を生んでいる。これほどまでに効果的なバンド名は、なかなか見当たらない。かといって、もし私のバンドが、私の書く曲を演っているにも関わらず、GRAPEVINEを名乗ったとしたらたちまち、「嘘をつけ!嘘を!」という罵声が飛んでくるのは必至で、やはり、GRAPEVINEという名は、彼らの音楽にこそお似合いなのであって、そう考えると、彼らのセンスたるや脱帽ものなのであるが、ヴォーカルは、何を言っておるのかさっぱりわからない。


水仙

「何の為の、誰の為の芸術なんだろう。」答えを求めるでもなく黙念と考えながら、病院までの路を急いだ。

時間に余裕を持って家を出たはずが、遅れかねなかった。

待合室には、私の他にもう一人、若い女性がいて、私のものとは比べ物にならないくらい重い影を背負っており、立っている時も、座っている時も、顔を挙げることはなかった。

病院を出ると私は、真っ直ぐ行けばそのまま我が家の裏手へ出る川の堤防を、後ろ手に組んで歩いたが、その時、川の流れに沿って植えられた水仙の花が、太陽の光を浴びて嬉々として揺れていたのを、鮮明に覚えている。

きっと、忘れることはない。


沈黙の決壊

先程から、「情熱の維持」という言葉が頭の中を駆け巡っていて、ややもすると、「情熱の意地」と化しそうな勢いである。

もの作りたる者、作品の輝きで魅せたい、唸らせたいと思うのは当然のことだけれども、それとは別に、もしくはそれと並行して、情熱の枯渇しない人間の姿を見せ続けることで魅せる、唸らせるということもまた、大切なことなのかもしれないな、と、ふとそんな考え方が頭をよぎった。
その為にはやはり、めちゃくちゃな努力が必要で、そしてそれは、一種独特な努力の形だろうと思う。

最近、私自身への自戒の意味合いを、多分に含んだ形で気付かされるのは、人の、自らの情熱というものに対する危機感があまりに乏しいということだ。
心の中に小さな池、下手すりゃ「水溜まり」があり、そこに、何の根拠もなく盲目的に、コンスタントに雨が降り注いでくれるものと信じ込んでいる。天候の変化や、それに伴う水量の微妙な増減に対してあまりに疎く、完全に見て見ぬフリを極め込んでしまっている。
間違った「運を天に任せる」式思考は、時間の経過と、自分の老いに対する無闇な恐怖心を生んで、この恐怖心を恐怖心だと認めたくない気持ちが出てくると今度は、この気持ちから逃れようとして、「これはね、この考え方はね、この諦観こそはね、社会人としての身だしなみなんだよ。」などという無茶苦茶な理屈を我が物顔にホラ吹いて歩くということになってしまい、これは、これこそは、私の思う最低な大人像の最たるものであって、社会人としてどうのこうのという以前の問題だと思う。

才能が情熱を支えるのか、情熱が才能を支えるのかといったことはよくわからないし、そんな順序など別にどうでも良いが、いずれにせよ、水量に限りある池、もしくは水溜まりであって、一週間も日照りが続けば、もうそれだけで干上がってしまう可能性のある実に危ういものなのだから、絶えず、天候の変化や水量の増減には細心の注意を払って、何かしら手を打たねばならん時には随時適切な手を打って、水量の安定にこれ努めねばならんのではないか?と最近、切実過ぎるくらい切実に思うのである。

誰に教わるでもない自分の努力の形が、きっとある。


早朝立ち往生

・情熱を維持する為には、並大抵ではない努力が要る。歳を重ねれば重ねるほど、より努力しなければならなくなる。もし、この努力を怠れば、たちまち人生はただの苦痛になる。銅が酸化する時の速度で、苦痛になる。だらだら続く、道になる。

・解放していらんものにまで、解放されていく。じゃんじゃんじゃんじゃん解放されていく。茫然自失、なす術なし。今、私は、恐ろしく、何もない。

・調子の悪い時ほど、言葉が跳ねる。


美輪明宏

美輪明宏って、結構好きだった。が、「音楽を駄目にしたのはロックです。」という発言を聞いてから、どうでもよくなった。
決して、嫌いになったわけではない。どうでもよくなった。
あの人の生き方は、ロックだと思うし、はっきり言ってパンクだと思うから、どうしても嫌いにはなれないが、どうでもよくなった。

音楽を駄目にしたのは、ロックではない。音楽を面白くしたのがロックであって、美輪明宏のあり方を誰よりも適切に認めるのは、他でもない、ロックでパンクな思想を持つ人々だと思う。

ま、霊的なことをどうのこうのとまくし立てている最近の美輪明宏には全くもって共感しないし、大嫌いだし、そんなクソみたいな人間を神と崇め奉っているようなオバハンどもには、同情の余地なく、とっととくたばりやがれ馬鹿野郎どもが!と思うだけだけれども。

しかしながら、かつて、美輪明宏という人は、問答無用にかっこいい人であった。


内なる議論

阿仁真梨「『常軌』って、一体、何ですか?」

新田茘枝「さあ…。さっぱりわからん。」

阿仁真梨「『常軌』を逸したらどうなるの?」

新田茘枝「たぶん…あくまでもたぶんやけど、俺とアンタみたいになるんとちゃうか?」

阿仁真梨「じゃ、もう既に一憩は常軌を逸してるんじゃないの?」

新田茘枝「たぶんね。」

阿仁真梨「…なんだかよくわからないわ。」

新田茘枝「俺もようわからんけど、でも、その、なんて言うか、その「わからん」になりたいんとちゃうか?一憩は。」

阿仁真梨「もう十分にわからんのにね。」

新田茘枝「それを言うたらお仕舞いやがな。女はこれやから困る。だいたい、お前が言うなよ。」

阿仁真梨「ま、そう言われたらそうやけど…。」

新田茘枝「考えてもみぃ。「わからん」って素晴らしいことやんか。」

阿仁真梨「そやね。それはよくわかるよ!」

新田茘枝「じゃ、きっと、「常軌を逸する」って素晴らしいことやねんて。」

阿仁真梨「ホンマやね!大いに常軌を逸しましょう一憩さん!」

新田茘枝「お前のその単純さが、一憩にもうちょいあればなあ…。」

阿仁真梨「単純で悪かったわね。」

新田茘枝「いやいや、それがお前の、いや、女のええとこやねんて。」

阿仁真梨「ようわからんわ。」

新田茘枝「ほら、そうやって、「わからん」を連呼するあたり、女だねえ〜。女っぽいねえ〜。」

阿仁真梨「ナメてんの?」

新田茘枝「ほら、そうやって、感情が瞬時にして一転するあたり、女だねえ〜。女っぽいねえ〜。」

阿仁真梨「…。」

新田茘枝「あ、あれ?」

阿仁真梨「…。」

新田茘枝「黙るな!黙るのだけはやめろよ!あほんだらが!!って、一憩が言ってましたよ。」

阿仁真梨「一憩、シバく。」