心の裕福

常日頃から好き嫌いをはっきり言うように心掛けている。そして、どちらかに偏ることがないように気を付けている。あれもこれも嫌いだと言っていたらそれはただの偏屈野郎だし、何でもかんでも好きだと言っていたら…その辺に掃いて捨てるほどいる俺の大嫌いな人達と一緒になってしまう。素直に生きていれば自然と好きなものが半分、嫌いなものが半分になるはず。だから、素直に生きていきたいと思っている。

音楽やってるとイライラすることがある。でも、イライラすることと同じくらい嬉しいこともある。ライブを観に来てくれたら嬉しいし、CDを買ってくれたら嬉しいし、高く評価してもらえたら嬉しいし、海賊ライチのスタッフの協力が嬉しいし、花束を貰ったら嬉しいし、真面目に音楽やってる人に出会えたら嬉しいし、このブログを読んでくれている人達の存在が嬉しい。と、イライラすることに負けず劣らず嬉しいことが沢山あるのだが、先日また嬉しいことがあった。

「雫」の映像をアップしたタイミングでチャンネル登録数が「1」増えたのである。俺はこういうの、ちゃんと見てる。そして、人知れずめちゃくちゃ喜んでいる。どなたかは存じ上げないが、ありがとう。本当に感謝しております。

あなたがしてくれたのは、「活動資金に充てて下さい」と言って、俺の目の前に10万円置いてくれたようなもの。冗談抜きで、本当に、そのくらいの価値がある。

「1」の前の「7」の皆さんにも心からありがとうを言いたい。80万あればものすごく良いギターが買えるよ(笑)


新PV『雫』公開

『eclipse』のPVとして「雫」の映像をアップした。

この曲には、言いたいことを「言わない」人達への怒りと、言いたいことを「言えない」人達への励ましと、亡くなった人達への想いとがある。3つの意味合いをシンプルな言葉とタイトルに込めることができた。すごく気に入っている。でも、俺がこの曲を気に入っている本当の理由は別にあって、それは、この曲を通して、本当に音楽が好きな人とそうでない人の見分けがつくということ。

個人的には、こういった曲を書けてる間はソングライターとして大丈夫だと思っている。でも、こういった曲をやってる間は売れないんだろうなとも思っている。

売れないだろうけど、こういうのをやれてる間は、本当に音楽が好きな人達には愛してもらえるんじゃないかなあ〜なんてことを、希望的観測をもって思っている。


読者贔屓

これまでにも、自分の作品をどういった形でリリースしていくのかということについて試行錯誤を重ねてきたけど、今回またちょっとやり方を変えようと思う。

まず、無料配布をやめて、販売するやり方に戻す。価格は収録曲数で決める。『ROCK&REISHI』『爆弾』『RED CARD』『DABADA TV SHOW』の過去4作は¥500。現在制作中の『eclipse』は¥1000とする。販売するやり方に戻しはするが、やはり手売りにこだわって、ライブ会場での平積みはしない。たまに、ライブ会場以外に、スタジオやライブハウスに置かせてもらうことがあったとしても、必要最低限のディスプレイを心掛けて、期間限定にして、放置プレイのような置き方は絶対にしない。

新しい作品をリリースする際には、事前にリリース日を発表して、リリース日を締め切りとして予約を受け付ける。予約は当ブログのコメント欄に書き込みを入れてもらうことでのみ承る(Facebookでも承らない。当ブログの読者の皆さんとは違って、予約をしておきながらライブに来ないという人が結構いるからである)。書き込む際の名前は、他の人と被らないようにだけしてもらえればなんでもいい。で、ライブ会場でその名前を言ってくれればいい。

予約してくれるというのは本当に有難いし嬉しいこと。モチベーションが上がる。なので「予約特典」がある。それは、予約をしてくれた人に限り、無料で差し上げるということ。喜んで差し上げるから、遠慮なくジャンジャン予約して欲しい。

また、リリース日はあくまで予約の締め切り日であって、リリース日にしか作品を受け取れないということではない。作品の引き渡しは基本、これまで通りライブ会場になると思うし、ライブの日をリリース日とすることが多くなるとは思うが、その日にライブ会場に来れないのであれば、その次のライブ。それも無理なら次の次のライブに来てもらって、受け取ってくれればいい。これは、当ブログの読者の皆さんの特権である。

なお、最新盤『eclipse』は現在制作中であり、リリース日は未定。決定次第、発表する。


最新ライブ盤のタイトル&ジャケット発表

というわけで、只今、通算5枚目となるライブアルバムを制作中。タイトルは日食や月食を意味する『eclipse』。ジャケットはご覧の通りこんな感じに仕上がった。また、今回はオマケとして、我が海賊ライチrecordsのライター、本田純正の手によるちょっとしたライナーノートを封入しようと思っている。

俺なら間違いなくジャケ買いする。


日食

先日の太陽と月でのライブの模様を収めたCDが、Dr.F(海賊ライチrecords)によるマスタリングを経て手元に届いた。Dr.によれば、音質は特に手を加える必要を感じなかったので音圧だけ上げておいたとの事。

一聴した感想は、音もパフォーマンスも申し分ないということ。リハの時にPAさんにギターのベース音を上げて欲しいとお願いしてあったのだが、バッチリ上げてくれていて、思い通りの音になっている。パフォーマンス的にも、カットする必要を感じるようなミスはどこにも見当たらない。声の調子も良く、感情を込めて歌えていて、Dr.が「過去最高の出来」と評したのも頷ける仕上がりになっている。ただ一つ、一つだけ気になった点がある。それは、音として伝わってくるお客さんの反応である。

前作『DABADA TV SHOW』にはあった、客席に立ち込める熱のようなものが伝わってこない。俺とお客さんが挑発し合って一緒になって昇っていく相乗効果のようなものが感じられない。これは残念だ。残念な事だ…と、昨日、初めて聴いた時には思ったのだが、一夜明けて、ふと思い出したのは、ステージの上から見ていた客席の光景である。

皆、微動だにせず、見入ってくれていた。ステージから見て左、カウンターに並んで座っていたバニーさんのお客さんが皆、こちらを向いて固まっている彫刻か何かに見えた。「雫」を歌っている時には、カウンターの中でこちらを向いて腕組みをして立っているスタッフの男の人が固まっていて、やはり彫刻か何かに見えた。そして、これはCDを聴いてもわかるのだが、本当に、誰の話し声も聞こえなかったのである。

つまり、緊張感があったんだと思う。これはひょっとしたら、中央の通路を隔てて左右にバニーさんのお客さんと俺のお客さんが分かれていたことが影響していたのかもしれない。何かピリピリしたものが演者同士だけではなく、お客さん同士にもあったのかもしれない。いずれにせよ、俺自身は燃えていた。躍動していたのだが、客席には冷たく張り詰めた緊張感があった。このギャップがCDを初めて聴いた時の違和感に繋がったんだと思う。でも、そんなお客さんの表情を含めて、決して悪いライブではなかった。っていうか、やはり、過去最高のライブだったんじゃないかと思う。

不思議な温度差。ステージの上に太陽があって、ステージの下に月があった。そして、その月が太陽を覆っている…というような音が、和田怜士の新しいライブアルバムにはある。


花束を贈る

ここ最近、ずっと、来月のライブのテーマを考えていた。何かしらテーマを設けると意気込みが変わってくるからだ。

ふと、前回のライブで花束を貰った事を思い出した。そして、なんとなく、俺からお客さんに花束を贈れないかなあ…と考えていたら閃いた。タイトルや歌詞の中に花が出てくる曲だけを並べて演る。つまり、お客さんに音の花束を贈る。

タイトルや歌詞の中に花が出てくる曲を探してみたら7曲見つかった。おそらく、持ち時間は30分だからちょうど良い曲数だ。

今回は事前にセットリストを発表しておこうと思う。曲順は別として、曲目だけは事前に発表しておく。それをしても支障のない曲が並んでいると判断した。ひょっとしたら、ライブ当日までに花を題材にした新曲ができるかもしれない。その時はその時で曲を入れ替えるか、トータルタイムによってはその曲を追加して8曲やることになるかもしれないけど、とりあえず現時点で決まっている7曲は以下の通り。

・FLOWERS IN THE DIRT

・ここで待つもの

・FLOWER

・復活の予感

・ドライフラワー

・WATERFALL

・青空

まだひと月以上も先の話だけど、乞うご期待。


名曲『孤高』について

前回のライブで、ライブ後の反響が最も大きかったのはラストを飾った「孤高」だった。歌詞に感じるものがあったという声を頂いたので書いておこうと思う。


孤高

失うことを無闇に恐れて

何を得ようと言うの?

終わることを無闇に恐れて

何が始まるの?

君は選ばない

すべて欲しがる

君は選べない

すべて失う

孤独の前に醜態を晒しても

君には居場所がある

質より量の友情論が飛び交い

僕は誤解される

君は選ばない

すべて欲しがる

君は選べない

すべて失う

君の世界には僕の居場所がない

二度と戻らない

僕は帰らない

絶対に帰らない

孤高とはその才能ゆえ

おのずと浮いてしまう人を言うのでしょう

最後に笑うのは一体誰?

考える前に答えは出ているでしょう

さあ この指とまれ

もう少し 孤独に挑め


書いたのは24の時。完成した瞬間から現在に至るまで、歌詞、アレンジともに一切変わっていない。

当時、あまり好きではない女の人がいて、本当に頭の悪い人だなと思っていて、その人をモデルに曲を作ろうと思って作り始めたら、その人が普通で自分が普通でないことに気付いた。でも、その人が普通ってことは普通の人たちって馬鹿ばっかりなんだなと思って、世の中に馴染めずにいる自分を「自分は駄目だ」と否定するんじゃなくて力技で肯定してみた結果、「孤高」という言葉に辿り着いた。

自分を半ばヤケクソに肯定して孤高を名乗っている割には「この指とまれ」なんてお茶目な言葉で理解者を募ってるあたりが俺らしさなのです。


我が美徳

見ての通り、俺は人に恐れられるような人間ではない。音楽人としての俺、「和田怜士」を恐れる人はひょっとしたらいるのかもしれないし、もしいたら、それはなんとなく嬉しいことだったりもするんだけど、音楽人でない時の俺を恐れる人なんていない…と思うでしょ?俺自身、そう思う。だって、普段の俺に人に恐れられるような要素なんてどこにもない。人に対して腹が立ったり頭に来たりすることなんて滅多にないし、温和過ぎるくらい温和で、それがちょっとしたコンプレックスだったりもするんだから。当然、殴り合いの喧嘩なんて生まれてこの方した事ないしね。でも、何事にも例外というものはあって、昔から、ある種の人達には恐れられることがある。それはどういう人達かと言うと、「皆から恐れられている人」達だったりする。

皆から恐れられている人。といっても、凶暴だったり人相が悪かったりして恐れられてるんじゃなくて、皆の尊敬を集めている人。「凄い人」とされている人特有の圧があって、そういう意味で皆に恐れられている人に恐れられることがある。

例えば、高校の時、ある先輩のベーシストがいて、皆から尊敬されていると同時に恐れられてもいた。スタジオへ行くとしょっちゅうその人に出くわした。いつも誰かと一緒にいて楽しそうに喋っていた。が、俺には一度も口を利かなかった。挨拶をしてもまともに返事をしてもらえなかった。はっきり言って、目すら合わせてもらえなかった。嫌われてるのか?でも、俺、何も悪いことしてないぞ。何か失礼なことをしたか?喋ったこともないのに?

数年後、その人が俺の事をどう思っていたのかを、その人と親しくしていた友人から聞くことができた。その人はこう言っていたらしい。「あいつは得体が知れん」。

皆から尊敬され、恐れられている人に恐れられているように感じたのはこの時だけではない。本当に一度や二度ではないのだが、理由はおそらく同じ「得体が知れん」だと思う。なぜ「得体が知れん」なんて思うのか。それは多分、俺から尊敬の念みたいなものを一切感じ取れないからだと思う。犬や猫がひっくり返って飼い主にお腹を見せて服従の意を表す、あの感じが俺からは全くもって感じ取れないのだろう。尊敬されて当たり前だと思っているような人達にしてみれば不可解だろうし、不快だろうと思う。そういえば、俺は子供の頃から、皆が尊敬している人の事を尊敬できなかった。尊敬「しない」んじゃなくて「できない」。今も昔も、基本的に、人望ある人の人望の理由が理解できない。「先生」とか「師匠」とか呼ばれている人の良さがわからない。どちらかというと、皆から敬遠されている一匹狼的な人の事を尊敬するし好きになる。小学生の時、家の近所に誰もが慕う、面倒見が良いことで有名なガキ大将がいた。友達は皆彼に憧れて、彼と行動を共にしていたけど、俺が兄貴と慕って毎日のように一緒にいたのは弟分の俺以外には誰ともつるもうとしない、近所でも札付きのワルだった。俺にはすごく優しかった(入学式の日の朝、家まで迎えに来てくれて、教室まで連れて行ってくれたりもした)けど、他の奴らに対してはスズメバチのように攻撃的な人だった。

しかしまあ「得体が知れん」か。悪くないね。ステージに立つ人間としてはむしろ美徳だな。


挑発

ライブ・バーに出入りしてると「ブルースやって〼」という人が異常に多い。ブルースってそんなに人気あったか?と思う。だって、ブルース聴いてる人っておる?あなたの周りに。俺の周りには一人もおらんよ。ロックが好きで、ロックバンドがブルースやってて、「ブルースってカッコええな」っていうのならわかる。そういう人なら俺の周りにも沢山いるし、俺自身そう。でも、そうじゃなくて、ピンポイントでブルースが好きな人ってほとんど見たことがない。にも関わらず、「ブルースやって〼」っていう人が異常に多いのは何故?

俺の見解はこう。『実はブルースやってる人なんてほとんどいない』。黒人のブルースのカバーをしている時はそりゃまあ確かにブルースなんだけど、日本語でオリジナルを歌い出した途端にただのフォーク…という人がほとんど。「フォークやって〼」って言うより「ブルースやって〼」って言った方がカッコいいから適当にブルースのカバーをやっておいてブルースマンを装ってフォークやってる。しゃらくさい。

ブルースというのは本来、日常的な憤りや悲哀を喚き散らすもの。そういう意味ではパンクに近いものがあると思う。ピストルズのジョニーロットンが今にも泣きそうな顔をして怒鳴り散らしている映像を観た後に、黒人のブルースマンが歌っている映像を観ても何の違和感も感じないのはそういうことだろう。「青春パンク」が聞いて呆れるように「青春ブルース」が聞いて呆れる。それはもうパンクでもブルースでもない。とんがっているべきものにいちいちヤスリをかけるな。

昔から「日本にレベル(反逆)・ミュージックは根付かない」と言われている。日本人にパンクとレゲエはできないと言われている。パンクもレゲエもできない人種がブルース?

できるわけないじゃないか。


どこか真面目に収穫を待つ

Facebookって一体何なんだろう…なんてことを考えちゃいけない。真面目にやってたら人間不信になる。Facebookとはそういうものである。だいたい、ただの知り合いを、下手すりゃ知り合いとも呼べない人を「友達」などと呼ぶ軽薄な世界であるから、利用する人間もまた、適当に軽薄であることに努めるべきである。友達に軽薄なことをされたらそりゃ傷付きもするだろう。でも、それは友達ではない。それを分かっていながら分かっていないフリをして「友達」と呼ぶ軽薄さでもって身を守りながら利用する。そんなFacebookにもいくつか利点はある。

もし、「自分は好きな人としか関わらない」なんて言う人がいたら、その人の人生は困難を極める。時には嫌いな人とも関わっていかねばならないのが人生。さりとて「Facebookで嫌いな人と繋がりを持とう」なんて馬鹿なことを言うつもりは毛頭ない。そんな無意味なことはせんでも宜しい。俺が言いたいのは、「好きでも嫌いでもない人と繋がりを持つ時、Facebookは非常に有効だ」ということである。

世の中には、好きでも嫌いでもないけど繋がりを持っていればなんらかの利をもたらしてくれる人というのがいる。そして、それが持ちつ持たれつでお互い様だという場合にはFacebookがもってこいだ。お互いにそういう関係だと割り切って利用すればFacebookの「軽薄さ」を「潔さ」に転換することができる。他にも、草の根的な情報が拾えたり、ごくごく稀ながら凄く面白い記事を書く人がいたりと、利点と呼べそうなものはある…が、Facebookの本当の利点、楽しみ方は別にある。それは、Facebookそのものの軽薄さが作用してか、本当に軽薄な人とそうでない人との違いが露骨に出るということである。

リアクション、されてもしない人。リアクションをする余裕がないほど無駄に「友達」を増やしておきながらさらに増やす人。コメントに対してまともな返事をしない人。ただひたすらに好感度を上げようと躍起になっている人。こんな人たちがいるかと思えば、毎日のように律儀に全ての記事を読んでリアクションをする人がいたり、コメントを寄せてくれたことに対して感謝の気持ちを感じさせる返事を欠かさない人がいたり、誤解を恐れずに心のこもった文章で本音を語る人がいたりする。「この人は良い人だな」「こいつは駄目だな」というのが手に取るように分かるから、面白いと言えば面白い。

俺はどうも軽薄になり切れない。どこか真面目にやってしまっている。だから、自分の「友達」の中に真に軽薄な奴がいることに気付くと躊躇なくバッサリ削除して量より質に徹してしまう。その結果、現在、「友達」の数わずか24人。やり始めて3年くらいになるけど、それで24人は普通に考えれば少な過ぎる。でも、少数精鋭。これで良い。

最近、「友達」の中に「」をはずしたい人がチラホラ出てきた。そういう意味では「たかがFacebook、されどFacebook」だと思う。ま、ライブを観に来てくれるのはいつも当ブログの読者の皆さんであって、Facebookの「友達」は一切集客に結びつかないんだけどね。そういうところはドライと言うかなんと言うか…軽薄だな。

俺も「友達」のライブって基本観に行かないからお互い様か(笑)