子供の頃、いや、つい最近まで、私は、ドラマなどでよく耳にする台詞、「お前なんて勘当だ!」を、「お前なんて感動だ!」だとばかり思い込んでいた。
本来、良い意味であるはずの、「感動」を、相手を罵る言葉として使用していることに、いつも感動していた。日本語って深いなあ...などと感嘆していた。人を感動させるのは良いことだけれども、感動という感情が肉体を持つということ、人間そのものが感動の塊になるということ、いわば、『感動体』になるということは、罪なことなんだという、一種哲学的な、禅問答的な、アレやねんなあ...と思って、一人、うっとりしておったのであるが、或る日、「お前なんて感動だ!」は間違いで、「お前なんて勘当だ!」が正しいんだということを知った刹那、脳天に盥が落ちてきたような気がして、地面を蹴って、肩を落として帰宅した。