私的マルムスティーン論

私はパンクが大好きである。とはいえ、最近のパンクはどうでもいい…っていうか、どちらかというと嫌いで、私の好きなパンクは1977年〜80年代初頭のもの。具体的には、ピストルズとか、クラッシュとか、ダムドとかで、日本だと、INUとか、『虫』の頃のスターリンとかであるが、では何故、最近のパンクが嫌いなのかというと、理由は単純明快に2つあって、一つは、「全っ然怒ってないから」もしくは、「怒ってるふりをしているだけだから」で、もう一つの理由は、「演奏が上手すぎるから」である。
私にとって、パンクは、「怒り」そのものでなくてはならず、そうして、そうした怒りの感情が昂り過ぎて、暴発して、技術がないがしろになってしまっているかのような形でなくてはならないのである。
怒り心頭の余り、表現が荒くなればなるほどにパンクはパンクであって、逆にいえば、技術がしっかりしていて、荒さが見受けられないというのは、要するに冷静だということで、冷静なパンクなどと言うものは、冷めたラーメンや、辛くないカレーや、東大出だが頭の悪い菊川怜のようなもので、出されてもどうリアクションを取れば良いのか困る、非常に迷惑なものなのである。
「一歩間違えたらゴミ」というのは、私の大好きな言葉で、私は芸術全般に於いて、この「一歩間違えたらゴミ」感を最重視するが、この感じ、この感じこそが私のパンク観であって、極端に言えば、私にとってパンクとは、スタイルの問題ではなく、姿勢の問題なのである。

ところで、ここ数ヶ月間、私はイングヴェイ・マルムスティーンをよく聴いている。何故か?めちゃくちゃパンクだからである。もう、なんだか、こいつヤバいんじゃないか?ってくらいに、めちゃくちゃに怒り狂っているのである。
イングヴェイの音楽はよく、「クラシカル・メタル」などと称されるが、それは間違いで、私に言わせれば、あれは、「クラシカル・パンク」で、まさかの新ジャンルである。そうして、彼に付きまとうイメージと言えば、やはり、「早弾き」であると思われるが、これも間違いで、彼の、あれは、「喋り」である。怒りを喚き散らし、捲し立てているのである。ツービートの頃のビートたけしのようなものである。
怒りの塊がギターを猛烈な勢いで弾いているので、演奏にも、めちゃくちゃな荒さがある。昔はもう少し冷静だったが、最近のアルバムではもう、随所随所で、ブギュフ!とか、ズビュキュ!とか、モキャパ!とか、ギターが悲鳴をあげちゃってて、えらいことになっているのである。
そしてまた、イングヴェイの手にかかると、バラードまでがパンクと化す。一つ前の曲まで、怒り狂ってた奴が、突如、感傷の鬼と化して、ギターは、「もう堪忍しておくんなはれ!」とばかり悲鳴をあげ、この悲鳴が感傷の鬼の燃えたぎる魂に油を注ぎ、結果、アルバム全体が炎上するのである。
イングヴェイを是非ともパンクスプリングに参戦させて欲しい。自称パンクバンドの大半は木っ端微塵に吹っ飛ぶと思う。

私はイングヴェイが大好きである。本物のパンクを鳴らす奴として大好きである。


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