ユダを憐れむ歌〈前編〉

私の両親は、今も昔も、無宗教です。
キリスト教徒でも仏教徒でもないし、霊友会の信者でもなければ、創価学会の信者でもありません。が、父親がミケランジェロや、ダ・ヴィンチを敬愛する画家で、聖書に精通していた為に、父親にはキリスト教の考え方が根深く息づいており、それはそのまま我が家全体の思想の軸的なものとなって、当然ながら、私の人格形成にも大きな影響を及ぼしました。

子供の頃には、『ベンハー』や、『キング・オブ・キングス』といった、キリスト関連の映画を数多く観たし、高校の時には、自分の聖書を手に入れて読んで、気になった言葉には赤鉛筆で線を引くなどして、結構熱心に学習染みたことまでしていました。また、数ヶ月前、精神的におかしなことになって、社会的に離脱していた時には、伊丹の中心部にある教会まで、聖書をもらいに行ったことさえありました。ま、その時、教会には誰もおらず、門は開きませんでしたが…。

「汝、汝の敵を愛せ」

「右の頬を打たれたならば、左の頬を差し出せ」

「人が人を試してはならない」

「ランプが机の下に置かれることはない」

「信じる者は救われる」

私はキリスト教的な考え方を引き摺りながら生きてきました。上に並べたような言葉の数々を、ひそかに大切にして生きてきました。
「誰も見ていなくても、神様が見ている」ことをずっと信じて生きてきました。
本当に強い人間は「許す」ことのできる人間で、感情にまかせて声を荒げたりする人間のことじゃない―そう頑なに信じて、信じきって、疑おうとしたことなど、ただの一度もありませんでした。そうして、その結果…。

私が最近になってようやく気付いたことは、今まで、ただただ「ナメられてきた」ということです。私は本当に、ずっとずっと、ありとあらゆる人に、ナメられてきたようです。

「許す」ことを最優先にして、それが本当に強い人間の姿だと信じて、「怒」の感情を見境無く圧し殺して、衝突を避け続けてきたことが、結局は、「ヘタレ」の烙印を押されることにしかならなかった。

例えば、酒に酔った人間同士の流れで、ある不貞を働きかけた女性が、もとはと言えば自分のせいでもあるということを本当は自覚しているくせに、自覚しているからこそ、一度は私に土下座をして謝りもしたくせに、結局はそれを認めるのが癪で、ある日突然、全てを、私のせいにした。全てを、私が「怒らなかった」ことのせいにした。

「あの時、なんで(あの男を)怒ってくれへんかったん!」

私にとっては、考えられない発想であり、信じられない責任転嫁だった。私は、自分が許したことの意味を、何度も何度も繰り返し説明したが、彼女は納得してくれなかった。許してくれなかった。そして、私は、彼女に、謝った。果てしなく不本意に、謝った。これは、私にとっては、左の頬を差し出したのと同じ意味合いだったが、不意に救いを乞うて頭上を見上げると、そこでは、キリストが口笛を吹いて、見ざる聞かざるを極め込んでいるし、目の前の彼女は、その日以降、私のことを「ヘタレである」と断定することによって、我がの罪をうやむやにして、気づけば全てが、何故か、私のせいになっていた…。

これはただの一例に過ぎない。例なんて、数え上げたらキリがない。

私は本当に、ずっとずっと、ナメられてきた。


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