親父の軌跡

私はこう見えて、親父なのであります。私と同じ眉毛の形をしておる割には、中々可愛い娘がおるのでございます。
私と彼女が離ればなれになったのは、彼女が3才の時でございましたが、来年の頭には、彼女はいっちょまえに5才になります。
2年―これが大人であれば、例えば73歳と75歳の間の2歳差はあってないようなものであり、見た目的にも何がどう違うのかさっぱりわかりませんが、幼児期に於ける2年の差というのは凄まじくて、一目瞭然でございますから、彼女も相当大きくなっておることだろうと思います。

いつ再会できるのか―それは私にもわかりません。でも、おそらく、かなり先のことだろうと思います。正直、私自身、今は会えない、会いたくないと思っております。今会ったら、取り乱して、白痴のようになって、突然、踊ったことのないフラメンコをプロよりも上手く踊りだしたりしかねないからです。そんなもんです。

ところで、私は別に、お涙頂戴な話をしたいわけではございません。そうではなくて、この度のブログ復帰の理由が、前述の友人からのメール以外に実はもう一つあって、これについて、飄々と語ってみたいと思っておるわけです。

要するに私は、このブログって、『親父の軌跡』だなと思ったわけです。数年後、我が娘がこのブログを読むわけです。残念ながら記憶にない親父の像―親父の考え方、生き方を掴む上で、これ以上の資料がございましょうか?だって、このブログは、彼女の親父自身が、親父特有の言葉で、嘘偽りなく、赤裸々に書いている文章の束なんですから。で、彼女は彼女なりに色々と思うわけです。デューク更家について詳しく調べたりしよるわけです。だから、私としては、極力赤裸々に嘘偽りなく書く必要があるし、中途半端に断筆などすべきではないと、こう考えたわけです。

もし彼女が、このブログを読んで「うわっ!アタシの親父ってめちゃくちゃアホやん!」と思ったとしたら、それはそれでいいんです。「アタシがアホなんって親父のせいやったんや。このクソDNA!」などと、私の娘らしく自分勝手に都合よく解釈して、前向きに生きていってくれりゃそれでいいんですから。

とにかく、もし―もし、数日後、数年後、ある狂人が車を運転していて、目の前に人の姿を認めて、「こいつ豪快に轢いてこましたろかしらん」などとよからぬことを考えて、その「こいつ」が私だった場合にですね、娘はこのブログによって、自分の親父がどんな人間であったかを知れるわけです。

少なくとも、「偉大な親父」とは思わないでしょう。思わせられるものなら思わせたいけど、思わせられないでしょう。

そういえば以前、『徹子の部屋』に村上ショージが出演した際、徹子に「本日のゲストは「スベり芸」なるものを発明された村上ショージさんです」と紹介されたショージがこう言ってました。「いやいやいやいや、ウケれるもんならウケたいし、スベらんで済むんならスベりたくないんですけどね」と。同じようなもんです。

だから頑張って…いや、別に大して頑張らへんけれども、でも、ま、ある程度頑張って、書き続けていかねばなあと思っております。


4件のコメント

  1. せかいじゅうでよめるし、なん10ねんなん100ねんとのこるにゃにゃぁ~。
    みらいのみんなに、ちゃんとじこしょうかいしておくにゃ!

    「愛人の山田 葵です!」

    1. 冗談が少し過ぎます。本当に何が自分に、必要か?考えて下さい。今までの事、自分を苦しめるだけです。文章だけでは誤解されます。
      自分を大事にして下さい。
      モノ事を大事にするとは、自分を大事する事です。
      言葉を壊したり、組み立てたり遊んでるなら、文章を考えてのことか思いますが、モノ事を壊したりしないで下さい。
      自分の軸を持て下さい。流されてるか、惑わされてるように感じます。貴方自身はどこに有りますか?人よりも自分自信を見つめて下さい。自分をコレからを大事にして下さい。

      1. 失礼な事だと思いますが、ねこみみさんの行動で私も考えて発言してます。
        きっかけになります。ただ、周りを惑わしてます。自分の作品を作って下さい。人よりも、ねこみみさんの自身のモノを、自分の世界なら周りを惑わさずに、彼のようにその世界を、愛する人が集まってくる。寂しくないはずだよ。自分の世界を作って下さい。あるなら、そこで良く自分を見つめて下さい。そこに住む人の発言を、鏡として。自分の姿の好みを見つめて下さい。

  2. 「人は恋をすると、イライラします」
    「猫は鯉をみると、ワクワクします」

    「山田!踏んでしまいました」
    「山田!逃げます!!!!!」

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