いかりや落とし

とどのつまり、私には、結婚というものが良くわからないのである。結婚というもののどこにどう夢を持てば良いのかがさっぱりわからないし、結婚というものに、自分でもびっくりするくらい敵意がある。
不自由になるだけじゃねえか、と。結婚願望のある男なんてただのドMじゃねえか、と。俺はドMじゃないんだから、と。

ただ、結婚願望なんてあろうがなかろうが、結婚する人はするし、しない人はしないし、それに、結婚には明らかに向き不向きがあって、向いていれば、結婚願望がなくて結婚しても上手くいくんだろうし、向いていなければ、たとえ結婚願望があって結婚したところで、上手くはいかないんだろうと思う。「好きこそものの上手なれ」ではない。好きでも、駄目なものは駄目だ。

ところで、私は、結婚云々の前に、男と女が変わらずにい続けることができるのかということに興味があって、この点について夢を持つことができてからでないと、先へ進めないと思っている。
男が変わらずにい続けることができるのか。女が変わらずにい続けることができるのか。甘かったり、円満だったり、優しかったりする関係性を、ずっと持続させることができるのか―と、こんなことを言うと、誰かが「人間なんだから変わって当たり前なんだよ」なんて言い出しそうだが、この際、そんな言葉はいらない。そんなことはわかっている。わかっているが、それとはまた別の次元の話としてできるのか?という話をしている。もし、「できる」と思えたら、結婚もなくはないんだろうけれども、思えなければ、結婚なんて百害あって一利なしだと思い続けることになるだろうと思う。

でも、先にも述べたように、結婚するしないは、結婚願望の有無とは関係がないからね。たとえ「百害あって一利なし」と思っていたって、結果はまた別の所にあるんだろうし。でも、いずれにせよ私は、絶望的に結婚に不向きな人間だから、どうしようもないやね。

子供についても、自分の子供だけは意外と可愛いと思えるみたいだけど、子供という生き物自体は相変わらず嫌いだし。そして、それはたぶん、私自身が子供だからなんでしょうな。で、子供のような大人に結婚は向かないと、まあそういうことなんでしょうな。

駄目だこりゃ。


2件のコメント

  1. どぅ〜したのかな?阿仁マリなら、解る?まだ、癒えぬ傷かなぁ?私達もその話は簡単に発言できんぞ。

    1. 解りません。私にもさっぱり解りません。ただ、「いかりや落とし」というタイトルが、オシャレでいいなあと思っています(笑)

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