後者と他者

私が持っているもの―持って生まれたものって、一体何なんだろうか?ということを、たまに考える。誰にだって一つはあるみたいだから、私みたいなもんにも、ひとつくらいはあるだろう。

「持って生まれたもの」というのは、なるべく早い段階で自覚して、意識的に伸ばしていくべきものなんだろうか?それとも、自覚できていない間が華で、自覚してしまった瞬間に終わってしまうものなのだろうか?

もし、後者が真相なのであれば、私としては万々歳なのだが、他者と接していて、自分の「売り」と呼べるものを自覚できていないというのは、それはそれで、それなりに結構不安である。特に、私がその「他者」のことを大好きである場合には。


3件のコメント

  1. そうですね。意識が高いだけで、理解不足で、私は幻想で女神になれるでしょうか。

  2. 自分の持って生まれたもの。持っているもの。
    気づいていない人は沢山いると思う。
    自分で気づくのも難しい。
    「売り」他者がどのように受け止めるかによって
    全く「売り」にならない場合もある。
    他者が認めてくれているものこそ
    他者にとっていっけちゃんの「売り」。
    皆は知ってるよ!それぞれに「売り」を感じている。

    1. ありがとう。

      安売りしないように心掛けます。

      安売りだけはしないように、心掛けます。

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