音楽の光と闇

日頃から美味いものを食べている人には不味いものがわかるが、日頃から不味いものばかり食べている人には美味いものがわからない…という言葉を聞いたことがあるのだが、これは音楽にも同じことが言えて、日頃から良い音楽を聴いている人には良くない音楽がわかるが、日頃から良くない音楽ばかり聴いている人には良い音楽がわからない。

食についても音楽についても、百歩譲って、「わからない」と正直に言えるうちはまだ救いようがあると思うのだが、「好みの問題で優劣など無い」などと言いだした日にはこれはもう残念ながら救いようがない。その辺に転がっている石ころと宝石との間に価値の差は無いと言ってるようなものなのだから、病院を紹介するより他、手の差し伸べようがない。

また、これは最近になってようやく確信するに至ったのだが、音楽は現実逃避するためのものではない。音楽は現実ありきだ。現実に対する怒りであったり哀しみであったりを表現するものだから、現実に根ざしていないものは音楽とは言えない。逆に言えば、現実が形を変えるたびに音楽も形を変えて、そういう性質が音楽の面白いところだと思う。

ジャンル的に、どれがそれに当たるのかは言わないが、現実逃避するための音楽がある。現実逃避するところからしか始まらない音楽がある。それは言うなればドラッグ。深く染まってしまうと現実から足を踏み外してしまうことになる。ヤバいものに溺れてしまっているという意識があるだけ、まだドラッグの方がマシなのかもしれない。

全ての物事には表裏がある。音楽に限ってそれが無いなんてことはあり得ない。そして、薬と毒は紙一重。

俺の?俺のはこれは薬。現実に根ざした木になった実でできてる。身体にも頭にも良いし、薬のくせに驚くほど美味いから昔から一度も手放したことがない。自分でも栽培してて、たまにお裾分けとかもしてるよ。ま、すごく喜んでくれる人もいれば、あんまり喜んでくれない人もいるけどね。

お前のは?お前のは、それは…。


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