子供の頃、黒澤明監督の『夢』という映画の、2話目(この映画は確か3つの話ー黒澤明が実際に見たという3つの夢から成り立っていたように思う。)を観て、恐ろしくて恐ろしくて、絶望的な心持になったことを覚えている。
富士山の麓の原発が数基、連続して爆発。そこら中に赤色、青色、黄色...あらゆる色の煙が漂っている中で、大勢の人間が完全な餓鬼と化して、全てを諦め切ったような、卑屈に歪んだ微笑を浮かべながら、こう言うのである。
「原発側はいつも、「放射能の種類ごとに着色してあるから、万が一、爆発しても、逃げられます。安全です。」なんて言ってたけれども、実際に爆発したら、ほら、この通り、何の意味もないよね。笑わせるよね。」
『夢』を観て以来、私は、原発の安全性をアピールするCMがまともに見られなくなってしまい、満面の笑みを浮かべて、「原発、安全です!」なんて言ってる高橋英樹の無自覚な無責任さや、「みんなでオール電化!」なんて快活に言ってる岡江久美子の平和呆け面に、言うに言えぬ違和感を覚えるようになってしまった。
子供心に、自分たちはなんてギリギリのラインの上で生きてるんだろうと思って、ゾッとしたし、あれは、『夢』は、私に、トラウマとも呼べるような物を確実に植え付けたらしい。
政府は、なかなか本当のことを言わない。発言が常に、後手後手に回っている。回している。そうして、今日の朝刊の一面には、地震で廃墟と化した場所にただ一人、膝を抱えて泣いている女の人の写真が大々的に使われていて、そこからページを2、3めくると、今日生まれたばかりの赤ちゃんの写真が、母親の真っ白な顔と一緒に、大きく載っていた。
夢はいつもカオスだ。