抽象画がよく「わけがわからん」って言われるように、詩もよく「わけがわからん」って言われる。
私の歌詞はよく「わけがわからん」って言われる。それもそのはずで、私は、厳密に言えば、歌詞などほとんど書いたことがない。私はいつも詩を書いて歌ってきたつもりだ。
日本人アーティストは詞を歌う。あくまで日常的な伝達手段としての言葉。だから「歌詞」という。でも、海外のアーティストの多くは詩を歌う。視覚的な、絵画的な言葉の使い方。だから、日本語訳の歌詞カードを読んだとて、わけがわからないのは当たり前。「読む」というよりは見たり感じたりすることに重きを置いたものが詩。言葉で絵を描くーこれが詩だと、私は思っている。私は、吃りのひどかった子供の頃から、日常的な伝達手段としての言葉というものをあまり信用していないし、はっきり言って嫌いなので、想像力の持ち様によって解釈の仕方が幾らでも変わる、まるで万華鏡のような言葉ー詩を見たり書いたりすることの方がずっと好きなのである。
もし、目をつぶって、瞼の裏側に映るものがあって、それが自分の、人の、「心」と呼ばれるものだとしたら、それこそまさに抽象画みたいな感じなんじゃないかと思う。上下左右の判然としないヒダだらけの、グロいんだかエロいんだか綺麗なんだかわからないサイケデリックにカラフルなものが痙攣するように動き回転し続けて、額縁的な概念からどうにもこうにもはみ出してしまう宇宙的なイメージのようなものがあるんじゃないかと思う。そしてこれを半ば無理矢理言葉にして表現しようとした場合には、日常的な伝達手段としての言葉じゃ手に負えなくて、おのずと「詩」になるんじゃないかと思う。
「抽象画?わけわからん。詩?わけわからん。だいたいこの記事がわけわからん」などと言ってる人の中に、抽象画や詩やこの記事なんかよりずっとわけのわからんものが蠢いている。