セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どちらかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしはいつもセトモノ
これは私の嫌いな相田みつをの言葉で、今、AC JAPANのコマーシャルでナレーションされている。「そういうわたしはいつもセトモノ」というオチのおかげで幾分説教臭がやわらいで、悔しいけど、ちょっと考えさせられるものがある。
確かに、どいつもこいつもセトモノだなと思う。そして、セトモノとセトモノがぶつかりっこしてこわれてしまうことのないように、セトモノとセトモノの間に挟まれる役を任されたやわらかいこころの持ち主は大変だなと思う。でも、正直なところ、私にはこの「やわらかいこころ」というのがよくわからない。「セトモノ」に対して、「やわらかいこころ」という言葉はあまりに漠然としていて抽象的だ。やわらかいこころって一体何だ?商店街でおはぎか何か売ってるおばちゃんあたりが持っているんだろうか。
私は、セトモノとセトモノの間に挟まって、セトモノとセトモノがこわれてしまうのを防げるのは、ガラスだけだと思っている。
私は、ガラスになれない。
熱を帯びた鉛玉だ。
ガラスになりたい。
言わんとしてることを完璧に理解してくれてありがとう。さすがやね。
いやいや、忘れ者さんほど純度の高いガラスはそうそうお目にかかれるものではございませんよ!
私にしてみれば、宝物のようなものです。