色彩ゴッコ

一昨日から職場に持っていっている水筒である。我が奥さんが買ってくれた、俺が最も好きな色の水筒である。

俺、無類の赤好きではあるが、赤にも色々な赤があって、色合いによっては嫌いな赤もある。というか、俗に「赤」と言った時に思い浮かべるであろう赤はあまり好きではない。花に例えて言えば、俺が好きなのは薔薇の赤であって、チューリップの赤ではない。俺が好きなのは、光の当たり方や見る角度によって影のように黒が絡みついてくる深く濃い赤。なので、好きな色を尋ねられた場合には「赤」ではなく「ワインレッド」と答えるようにしている。

というわけで、一昨日デビューしたお気に入りの水筒であるが、これを見たあるOLさんが「エロい赤やなあ!」と言った。厳密には「エ」と「ロ」の間に「っ」を挟んで「エっロい赤やなあ!!」と言った。言われてみれば確かにエっロい色である。なにせ、薔薇とワイン、そして血の赤である。ブラッドレッド。エロい色と言えば紫も相当にエロい色ではあるが、あちらは非人間的な冷たいエロさで、同じように妖艶ではあるが、質感は真逆である。


冬の寒い夜。コートの襟を立てた仕事帰りのあなたは二軒の居酒屋の前で立ち止まった。いずれも美人女将がいることで有名な居酒屋である。あなたはどちらの店を選ぶだろうか。

あなたは典型的なヒラ社員で、使い古した二つ折りの財布には1万円入っているかいないかである。また、あなたはバツイチの独身で、人知れず疼痛の如き寂しさに喘いでいるので、女将との会話に癒しを求めている。それから、食いたいのは温かいおでんであって刺身ではない。酒も日本酒ではなく、まずは一杯ビールを飲んで、焼酎のお湯割りに移行するという庶民的な流れを楽しみたいと考えている。さて、あなたはどちらの店を選ぶだろうか。どちらの女将が営む店を選ぶだろうか。下に、二人の女将の写真を載せておく。俺なら…言わずもがなであるし、片方の写真は今、俺のスマホの待ち受け画像となっている。

 


加齢論〜似て異なるもの〜

歳を重ねるたびに楽しいことが減っていく。その代わりに嬉しいことが増えていく。

極端な言い方をすれば、「楽しい」は金で買えることで、「嬉しい」は金で買えないことだと思う。それから、こういう言い方もできると思う。「楽しい」に努力はいらないけど、「嬉しい」には努力がいる。

「嬉しい」は日常的な努力に対する収穫だと思う。その証拠に、楽しい時には湧かないけど、嬉しい時には湧く感情があって、それは感謝の気持ち。例えば、より良い人間であろうとすること。これは紛れもなく努力。この努力を認めてくれる人が現れて、認めていることを何らかの形で表現してくれた時に人は嬉しいと思い、「ありがとう」を口にする。

冒頭に「歳を重ねるたびに楽しいことが減っていく」と書いたが、かと言って、「子供の頃は楽しかった」というのは違うと思う。子供の頃は子供の頃で辛いことが腐るほどあった。ただそれを忘れただけのこと。単純に、アホだから大変だった。分からないことだらけで大変だった。それを楽しいことで紛らわした。楽しいと思うことに大人ほど金がかからず、アホなので、友達と駄菓子屋でうまい棒食ってりゃ楽しかった。

大人の「楽しい」は金がかかる。いい歳をして友達と駄菓子屋でうまい棒食ってりゃ楽しいなんて奴はいないし、もしそんな奴がいたらそれは病気だ。そんなこんなで「楽しい」が減っていくが、それは歳を重ねて知恵を付けたからで、知恵を付けたら、努力の何たるかも分かってきて、一つでも多くの「嬉しい」を!となる。

「楽しい」は持続しない。言うなれば「点」で、絶えず打ち続けて、たまに遠くから眺めて線になっているのを確認して安堵する種類のもの。一方、「嬉しい」は持続する。始めから線で、よほど人として下手を打たない限りはずっとほのかに暖かい。この暖かさの正体は、どこからともなく聞こえてくる「あなたは生きてて良いんだよ」という言葉だと思う。

結論。歳をとるのは断じて悪いことではない。


2021〜射程距離に入った快挙〜

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します!

2021年が始まった。が、特に「こんな一年にするぞ!」という意気込みはない。ただ、昨年末に掲げた抱負「克己」を通して、かつてなく自信を持ちたいし、自分のことを好きになりたいと思っている。

断酒は出来なかった。最大の敵は我にあり…我に歯が立たなかった。でも、意外なことに、手帳を付けることについては、これまでのように三日坊主に終わることなく継続できている。事あるごとに手帳に書き留めるという行為に楽しみすら見出だし始めている。おかげでなんとなく、いつもに比べて頭の中が整理できているように感じる。

「事実は小説よりも奇なり」などと言うが、そんなことはない。もしそうなら、誰が小説など読むものか。というのが俺の考え方ではあるが、実は俺ほどそうあって欲しいと願いながら生きている人間もいない。人生、可能な限り、それこそ小説を凌駕するほどに、ドラマチックであって欲しいと思っている。連続する奇跡的な偶然が神懸かり的な絡み合い方をして、予想だにしない展開に呑み込まれていく…というのが理想の人生。でも、実際には、人生に於ける奇は小説の中で描かれる奇ほど奇ではない。そうして考えてみれば、人生に小説並みの奇を期待しておきながら、手帳を付けて頭の中を整理しているというのはおかしな話なのかもしれない。というのも、人生の奇は、ドラマチックは、混沌とした頭の中から生まれるもののような気もするからである。

ところで、今年の3月13日に当ブログは10周年を迎える。我ながら猛烈な勢いで書いてきた。それも、Facebook等に散見される「今日はこんなことがあったから楽しかったです。ウフッ♡」みたいな記事でもなければ、しれっと美辞麗句を並べ立ててただひたすらに好感度を上げようと躍起になっているような記事でもなく、初志貫徹、時にはおのれの好感度を著しく下げることになろうとも意に介さず、これは作品だ!エッセイだ!間違いだらけの哲学録だ!と、読み応えのある記事を書くことにこだわりを持って書いてきて、それで10年であるから、やはり、この頭のデカさは伊達じゃないなと思う。また、これまでに3600を超える記事を書いてきたが、これだけの記事を小説ほど奇ではない人生の中で書いてきたことを思えば、多少の自画自賛は許されて然るべきだと思うし、快挙と呼ぶに値すると自負している。

たかがブログ。されどブログ。大切な表現の場。今や家族ぐるみで楽しんでくれている人もいると聞くし、駆け込み寺だなんて言ってくれている人もいる。10周年を目指して前進あるのみだ。


2020年を振り返る

今年ほど365日を生きた実感に乏しい年も珍しい。何事もなく過ぎた…わけがなく色々とあった。その割には、なんていうか、その、釈然としない…麩菓子のような一年であった。

一番の理由はやはりコロナだと思う。やりたくてもやれないことが多く、やれるとしてもどこか後ろ髪を引かれる感じがあって、判断力にキレがなく、気乗りしなかった。制作意欲についても、稀に火がつくことがあっても持続せず、結局、3曲ほどしか書けなかった。が、その他に、今年の収穫と呼べるものがなかったわけでもない。「収穫」という言葉の使い方に疑問こそあるが、今年は遂に我が家にパソコンが導入されたのである。

はっきり言って全く使いこなせていない。使いこなせていないが、パソコンを手に入れたら真っ先にやりたいと思っていたことができた。それは、これまで聴いてきた無数の曲の中から特に好きなものを厳選し、曲順にもこだわったCDの制作。そう、学生の頃にカセットテープでよく作った「マイ・ベスト」を数十年振りに作ったのである。

厳選と改良を重ね、有名無名を問わず、俺が自信を持って名曲の太鼓判を押す20曲を1枚のCDに収録。アルバムタイトルを『REISHI’S FAVORITES』としてジャケットも制作した。もちろん、販売目的ではなく、個人的に楽しむことを目的としたものではあるが、堂々の紙ジャケ仕様とした。

毎日聴いているが全く飽きが来ない。ロックという音楽がいかに素晴らしい音楽であり、メロディーの良い音楽なのかを再認識させてくれる名盤となった。これはロックの教科書だ。

というわけで今年もご愛読ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します!


来年の抱負

去年の今頃に打ち立てた2020年の抱負は以下の通りであった。

*8曲以上作る(うち1曲はクリスマスソング)。
*エレクトリック・ギターを手に入れる。
*海賊ライチに新スタッフを迎える。
*4公演以上する。
*バンド『和田怜士&THE BUTTERFLY』を結成する。

一目瞭然。思わぬ流れでクリスマスソングが誕生したこと以外は一つも達成できなかった。なので、今年の来年に向けた抱負は、具体的な表現を避けて、漠然としてはいるがパワーのある、漢字2文字とすることにした。

『克己』

「こっき」と読む。読んで字の如く、己に打ち克つという意味である。ある種、自分自身を他人だと思って、怖じ気付いているような気配があれば全力で彼の背中を押すなり蹴るなりしてやろうと思っている。

教育の世界には、人間を評価する方法として「縦評価」と「横評価」というのがあるらしい。縦評価というのは、あくまでその人個人の成長に焦点を当てて、その人の現在が過去に比べてどうなのかを見るというもので、横評価というのは、他人との比較でその人を見るというもの。来年、俺は縦評価で自分を見ていきたい。そこで浮かんだ言葉が「克己」。最大の敵は我にあり。横評価で納得できても、縦評価で納得できなかったら意味がないような気がする。逆に、縦評価で納得できれば、横評価は大して気にならないだろうし、横評価についても良い結果がついてくるような気がする。

克己。断酒宣言をした翌日から断酒を断念した人間が言うなという話ではあるが、それはそれ。これはこれだ。

どれやねん。


100回を笑う者は100回に泣く

何事もそれが表現であり、形を成している以上は、「作品」だと捉えるようにしている。というか、そういう風に捉えないとしたら、それは、作り手として無責任なことだと思っている。楽曲が作品なら、当ブログに寄せる記事も作品で、そうして考えていくと、アーティストとしての自分自身も作品だという解釈に至る。

ネット配信している動画だって作品だ。作品である以上は評価が気になるのは当然のことで、動画の評価が最も顕著に表れるのは再生回数だと思う。だから、時々チェックしている。

最新動画『香しき日々』の再生回数が思うように伸びず焦った。初速が鈍く、Facebook上でのリアクションもかつてなく弱かったので、先が思いやられた。これ、3桁に到達するまでどのくらいかかるんだろう…不安になった。クリスマスソングだから、クリスマスイブとクリスマスが書き入れ時だろうと望みを託していたのだが、ほとんど伸びず、参ったな…と思っていたら、クリスマスから2、3日経過してから突然グッと伸びて、100回に到達した。

クリスマスが終わってからクリスマスソングを聴く人がいるらしい。どんな気持ちで聴くんだろう。いや、ひょっとしたら、クリスマスソングとして聴いたわけではないという人が偶然同じタイミングで重なったのかもしれない。

いずれにせよ、嬉しい。いつも言うが、たかが100回ではない。どこまでも「されど」100回なのだ。


REISHI Ⅲ

昨日から、新曲の制作を開始した。ある友人が書いた詩に曲を付けてみようと思い立ったのである。

半分くらい出来たが、すでに異様な曲である。ベースラインから始まって、俺自身、コード名の分からない二つのコードを交互に繰り返す、メロディーらしいメロディーのない呪術的な曲である。

以前から、自分でも良いんだか良くないんだかよくわからない曲を作ってみたいと思っていた。良いんだか良くないんだかよくわからないのに中毒性があって、不思議と気分が高揚して引き込まれていくような曲を作ってみたいと思っていたのだが、今回、ポールの『McCARTNEY Ⅲ』を聴いて、毎日欠かさず聴いて、凄く気に入って、物は試し、やってみようと思った。

難しい。中盤あたりからどうしても展開させたくなってくる。終盤に向けて盛り上がりを見せたくなってくる。そこをグッと堪えて、リスナーがどう感じるのかというところを無理矢理に度外視して、最後まで無表情に同じ歩幅で歩いていく…そんな感じに仕上げられたらと思う。

天才にもピンキリがあるとはいえ、俺は天才だ。やれば出来る。


Merry Christmas 2020

メリークリスマス!というわけで、今年もクリスマスがやって参りましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?それぞれに、それぞれの形で、サンタクロースがやって来て、すでにプレゼントを貰ったという人もあれば、これから貰うという人もあるかと思います。また、時にクリスマスプレゼントというのは、想像力の問題であり、解釈の問題であろうかと思います。誰が何と言おうが、自分がそれをプレゼントだと思えばプレゼントで、そこにサンタクロースがいる。かく言う俺はすでに貰いましたよ。何を貰ったのかというと、これで3度目の登場となりますが、これです。

全曲新曲ライブの為に書いた8曲の中でも特に気に入っていた曲。が、ライブでやってみたところどうもしっくり来ず、以降、ライブのセットリストから漏れ続けてきた。というのも、この曲には何か特別な存在感があって、単に「数ある曲の中の一つ」という扱いにすると味が出ないように感じたから。凄く良い曲なのは分かっているのに、扱い方が分からなかった。で、今回、クリスマスソングとして発表してみて、曲が座るべき椅子に座ったのを実感した。確かに、クリスマスソングとして作ったわけではない。でも、今や、クリスマスソング以外の何物でもないと感じる。っていうか、今にして思えば、これは最初からクリスマスソングだった。ただ、それを俺自身が自覚していなかった…というのが結論だと思う。

この曲がクリスマスソング以外の何物でもないと感じた瞬間、俺はプレゼントを受け取った。そして、その受け取ったプレゼントを今度は皆さんへのプレゼントとして贈る。今年は映像として贈ることになったけど、来年は是が非でもライブという形で贈りたい。その時は、ラストの「会いたい」を「Merry Christmas」に変えて歌うつもりでおりますよ!


傑作〜クセになるゴミ〜

前々作『NEW』はかなり良いアルバムだったが、音が機械的で、後半、余計なこと(実験的なこと)をしてダレる感じがあった。前作『エジプト・ステーション』は世界中で売れて、全米1位にもなったが、個人的には、これまで聴いたマッカートニー作品の中で一番駄目だった。音はアナログ寄りになって良くなったのだが、パンチのないメロディーが抑揚なくダラダラと続く感じがあった。だから、今月リリースされた新作『McCARTNEY Ⅲ』に関しては、過度に期待することなく買った。

楽器の演奏からプロデュースに至るまで、全てをポール一人で手掛けたアルバムなのだが、メロディーメーカーとしてのポールを期待すると「金返せ」となることは間違いない。前作以上にメロディーが弱い。「弱い」というか、「無い」に近い。意図的にそうしているようにしか思えない。でも、意図的にそうしていると捉えて、別の角度から聴くと、見えてくるものがある。オアシスがラストアルバムを発表した時に、ノエルが「「聴く」音楽ではなく、「体感」する音楽を作りたかった」と言っていたが、ポールの新作はまさにそれ。音が凄い。「良い音」という意味ではなく、音に訴えかけてくるものがあり、中毒性が半端ない。つまり、音像全体からメロディーを感じ取るようにして聴く、そんなアルバムだと思うし、そういう意味で、やはりこれは、メロディーメーカーだからこそ生み出すことのできたアルバムだと思う。

どんなものを作ればファンが喜ぶのか…なんてことはポール自身、痛いほどよく分かっているはずだし、そういうのなら、いつだって、今すぐにでも作れると思う。でも今作は、コロナの渦中にあって、スタジオにこもって一人黙々と作業をする時間があり、発表する為にではなく「自分の為に作った」と本人が言うキャリア史上類を見ない内省的な作品。不幸中の幸いとでも言おうか、コロナがなかったら覗き込めなかった天才の頭の中…メロディーがないのにあちらこちらにポールらしさの煌きが散見できて、結局はポールのアルバムとしか言いようのない、不思議な一枚だと思う。

ネット上では、「傑作」とか「ゴミ」とか、評価が真っ二つに分かれているが、俺は天才が作ったゴミだと思っている。そして、天才の作ったゴミが傑作でないわけがないと思っている。


ベスト盤収録曲決定

ベスト盤に収録する全9曲が確定した。以下の通りである。(カッコ内は選者)

バタフライ(みこみかん)
紙吹雪舞う(Dr.F、みこみかん)
グラサージュ(ショコラ)
ストーカー(須磨ですまんの〜、ショコラ)
赤い雨(みこみかん)
orange(みこみかん)
悪魔と呼んで(初音源化)
WHY?(初音源化)
the answer song(初音源化)

リクエストを寄せてくれた皆さんに心からの感謝を!本当にありがとう!

さあ、曲順を考えるとするか!

良いアルバムになりそうだ!