バンドがなくてロックンロールで狂えず、彼女がいなくて恋で狂えず、ただ薬物的に、酒でのみ狂っている。
アカン…。
狂いたい。情熱的に狂いたい。
恋が狂気ありきなのなら、人生そのものもきっと、狂気ありきなんだろう。
最近の私は、私自体が、30点以下だ…。
バンドがなくてロックンロールで狂えず、彼女がいなくて恋で狂えず、ただ薬物的に、酒でのみ狂っている。
アカン…。
狂いたい。情熱的に狂いたい。
恋が狂気ありきなのなら、人生そのものもきっと、狂気ありきなんだろう。
最近の私は、私自体が、30点以下だ…。
10年ほど前のことです。私は、一人の女性に猛烈な恋をしました。彼女は当時、夫のある身でした。が、私は猛烈にアタックしました。好き過ぎて好き過ぎて、理性が完全に吹っ飛んでました。
彼女が働いている事務所が心斎橋にありました。私は当時、アルファベッツというバンドを組んでおりまして、その関係で彼女と知り合って、この事務所にメンバーと一緒に出入りするようになりました。
或る大雨の日―私と彼女は、事務所で酔っ払って寝ているバンドメンバーを起こさないようにこっそりとビルの屋上に出て、色々と話をしました。そして、気が付くと、屋上の小さな屋根の下で寝転がって、抱き合って、キスしてました。横なぶりの大雨だったので、雨水はすぐに屋根の下に浸水してきましたが、そんなもの、お構い無しでした。
彼女は後に私の奥さんとなりました。そして今は、別々の人生を歩んでいます。
どうしても、あの時の恋と比較してしまっている自分がいます。あの時のあの恋と比べると、最近の恋は全て30点以下です。
私自身が、相手が、全っ然狂えていないのが、わかり過ぎるくらいわかってしまうんです。
恋は狂ってナンボです。狂えていない恋は恋ではない。「愛」とでも呼んで、納得しておればよろしい。
これは、伝説の漫才師、人生幸朗師匠が初めてラブホテルに行った時の話。
目の悪い人生師匠。鏡張りの部屋だと知らずにふと壁を見て驚いた。パンツ一丁で階段を駆け降りると店の者にこう言った。「誰かおる!部屋変えて!」そして、部屋を変えてもらい、事に及ぼうとした瞬間、今度はベッドが回転していることに気付いて驚愕。再度、パンツ一丁で階段を駆け降り、店の者にこう言った。「誰かがベッド回してる!」
曲を書き続けるのも、絵を描き続けるのも、続ける理由は同じで、続けていれば、いつか必ずものすごいものが作れるはずだと思っておるから続けておるわけで、それは、このブログにしても同じことが言えて、コンスタントに書き続けておれば、そのうち必ずものすごいものが書けるはずだと思っておるから書き続けておるわけで、これはまた、人生についても同じことが言えて、生きておれば、いつか必ず、手足がもげ、五臓六腑が跳ね、脳髄が弾け飛ばんばかりに幸せなことが起こるはずだと信じておるから、生きておるわけです。
―というわけで、週末恒例の散歩に出掛けてきます。
一憩
男前にはアホが多い。もちろん醜男にもアホは多々いるが、アホの質が抜本的に違う。
醜男のアホは、結構手の込んだアホである。複雑に入り組んでいて、湿気があり、臭気があり、かなりグロテスクなものである。これに対して、男前のアホというのは、ツルッツルである。ゆで卵のあの感じに似ている。
醜男のアホの中には、醜くく年老いた男がいて、こいつがアナーキーなことをするのだが、男前のアホの中には、いつまで経っても成長しない迷惑な赤ちゃんがいて、こいつが滅茶苦茶なことをする。
年老いた男は、年老いているだけあって、他人に非難されるという感覚を一応は知っていて、その上で非難されるようなことをして逆ギレで応酬するのだが、赤ちゃんは非難されるという感覚を知らず、「ババババ」とか「ブブブブ」とか言っておれば全て許されると思っていて、実際、結構許される。
いずれにせよタチが悪いが、非難の的になることを前提としている醜男のアホの方が、男前のアホよりも若干ではあるが、同情の余地があるような気がする。男前のアホは悪気がないだけに非難しづらく、また、非難してもされていることに気付かないだけに悪質だと思う。
本文の結び―老いたのを若返らせるも、赤いのを成長させるも、全ては、世の女性たちの賢明なる慈悲心にかかっている。
たまに「病んでる」と言われることがある。が、私自身は、私ほど健康な精神の持ち主はいないと思っている。
以前、こんなことがあった。私の友人が、心理カウンセラーの卵を自称するある女に私の描いたイラストを見せた。すると、その女は「これ描いた人、完全に病んでる」と言ったらしく、それを聞いた私は「安易な発想やねぇ。その女が病んどるんちゃうか?」と率直な意見を述べた。僅かな沈黙のあと、友人がこう言った。「その人今、精神病院に入院してはる」
ミイラ取りがミイラになっていた。
いつまで経っても終わりそうにない冬。この寒さの影響か、私を取り巻く状況そのものが、一斉に固く引き籠ってしまっているかのように感じられる。
地平線の向こうまでガーッと引いてった潮が、地平線の向こう側で凍結でもしているのか、一向に満ちてくる気配がない―というイメージ。また、意気揚々と攻め込んできて城を包囲したはいいが、城壁高く、城門固く、頑なに籠城されていて、中に敵がいるのかどうかさえ怪しい程に冷たく鎮まりかえっているが、それがかえって不穏で、攻めるに攻められない―というイメージ。また、「いってきまあす!」と言って家を飛び出して公園に来たのは良いが、誰一人遊んでいない―というイメージ。
私も今は、音無しく引き籠ってた方が良いのかな…とぞ思ふ今日この頃。
最近、柄でもなく、パソコンの購入を検討している。
何に使うのか―文章を書いて、それを紙に起こしたいのである。今までに書いた小説なんかをみんな紙に起こして、ちゃんとした字で、自分の文章を読んでみたいのである。
一度、自主製作で自分の小説を本にしてみようと思ったことがあるのだが、これはこれでデータが必要で、データを業者に送ることによって本が製作せらるるわけで、結局パソコンがいるから、パソコンの購入を検討しているのである。
そういえば、たまに驚かれることがある。「え!?このブログ、携帯で打ってんの!?」と。はい。今だ嘗て、パソコンで打った文章なんて一本もございません。駄目ですか?