悪女乱舞2

ここで、ゲーム『三国志』の途中経過をお伝えいたしましょう。

美貌と人間的魅力だけで戦乱の世を生き抜こうとしている『歩く無謀』―茘枝女史は昨日、まだ魅力値が完全に上がり切っていないにも関わらず、主としてあまりに面白味に欠ける劉虞を見限って下野することを決意。今朝には、この決意がゲーム上に反映されて、茘枝女史はめでたく主を持たない在野武将、要するに「ホームレス武将」となる。
ただし、ずっとホームレスのままでいたのでは、いつまで経っても魅力値を上げることができないし、出世も覚束無いので、なるべく早く、新たな仕官先を見つけようと思っている。
ただ、「仕官」とは言え、城を持っている君主の中で好きな武将となると、劉備か黄忠くらいのもので、黄忠は勢力的に弱過ぎていつ滅亡してもおかしくないし、劉備はすでに有能なユーザー武将を大勢抱えているので、何だか全然興味が湧かないから、ちょっと視点を変えて、城を持たずに「傭兵団」を率いて中国大陸を渡り歩き、どこかに戦争があればこれに加担して生計を立てている張遼の下で働いてみようかと思っている。
傭兵団を率いている武将の中には、他に孔明などもいるのだが、孔明はさすがに人気があって定員オーバーの状態なので、それなら、孔明に負けず劣らず「名将」の名高い張遼なら、まだ若干名空きがあるし、私を迎えてくれるんじゃないかしら?―と、茘枝女史は弱い頭を弱いながらにフル回転させて、考えております。

「張遼に断られたら、太史慈の所へ行って、太史慈に断られたら…断られたら、どうしよう…」後先のことを考えず、無計画に劉虞のもとを飛び出してホームレスとなった茘枝女史の運命やいかに!


言葉にならない音

ビートルズが何故好きなのかを理論立ててハッキリと言えないように、私は、私が好きになった人のことについて、何故好きになったのかを、理論立ててハッキリとは言えない。

「言葉にならない」―私の大嫌いな桑田佳祐と小田和正がよく口にする台詞だが、私は死んでも、「言葉にならない」なんて言葉は歌わない。
お前らはそれでも音楽家か!と思う。お前らにとって、何のための音楽なんだ?と。

言葉にならない感情は、歌ではなく、音で表現する。ノイズで表現する。言葉にならない感情に限っては、徹底的に音で、ノイズで表現する。そこにメロディはいらない。メロディは言葉だから、言葉にならない感情を表現する場合には、音で、ノイズで表現する。メロディを奏でている間は、まだ冷静なんだと思う。そんな恋は実らない。言葉にならない感情というのは、言うなれば「あ゛ーーーーーーーーーーーー!!」だ。メロディの入る余地なんてない。

ただ、もし、メロディをノイズとして聴かせることができたら、言葉にならない感情の表現として、それ以上のものはないと思う。


一憩心理学

誰にだってコンプレックスの一つや二つはある。

コンプレックスって、人間の重心みたいなものなんじゃないか?と思う。
例えば、酔っ払いの千鳥足は、あれは、コンプレックスを忘れているからで、重心を失っているからじゃないか?と思う。

あと、人間、就寝時の夢を全く見なくなると発狂して死んでしまうと聞くが、それと似たような感じで、もし、コンプレックスが全くなかったら、他人の気持ちの全くわからない極悪人になって、果てはやはり、無様な死に方をしてしまうのではないか?とも思う。


ぷるぷるライチ

たまに旧ブログ『イッケイノウタ』を読み返すのだが、あの状況からよく今のこの状況までたどり着けたものだと我ながら感心する。

「前向きに生きねば!」みたいなことを何度も何度も言っている。繰り返し自分自身にそう言い聞かせている。何度も何度も奮起して、重い顎を上げよう上げようとはしているものの、その都度見事失敗に終わっている。

読んでいて、「こいつ大丈夫か?」と心配になるが、その「こいつ」は紛れもなく過去の私自身である。

終わり良ければ全て良し―って、まだ何も終わっちゃいないし、全てはこれから始まるわけだけれども、いずれにせよ、あの状況を乗り切ったことを自信に変えながら、あの状況に費やしたものの全てを、これから倍にして取り返してやろうと思っている。

あの葛藤に次ぐ葛藤の日々を思うと、パワーというか、氣というかが、胸にこう、グーッと来るよ。

なんでもかんでもかかってきやがれ!ってなもんだ。


突き抜けて

人間、本気で変わろうと思えば変われるもんなんだねえ。
私は本当に、言いたいことの言える人間になった。

嫌なものは嫌。
好きなものは好き。
俺は俺、アンタはアンタ。
「殺すぞ…」
「愛してます!」

今まで、どんなに言いたいことを我慢してきたか。そして、そのことによって、どれだけ多くの人間に図に乗られてきたことか。

私はもう、一切我慢しない。言いたいことを言いたい時に言う。他人の顔色なんていちいち構ってられるか!面倒臭い。

好きな人間と素晴らしい関係を築いて、それを維持する為にも、言いたいことを言う。

やっぱりロックンロールシンガーは、バタフライのフロントマンは、こうじゃないとな!

いい感じだ。


僕は霊長類

人間と猿を指して「霊長類」という。
地球上に存在する全ての生き物の中で唯一、我がの本当の感情さえまともに自覚できない阿呆な生き物である。

同じ霊長類でも、人間の方が猿よりも知能指数が高いので、人間の方が偉いみたいなことになっているが、知能指数が高い分際で、我がの感情がどこにあるのかということさえもまともに把握できないというのは、一体どういうことなのだろうか。
「知能指数が高い」ということの真相は、「知能指数が低い」ということなのではないだろうか。

そうやって考えてみると、どうやら私は、かなり知能指数が高いようだ。高過ぎて、我がの感情を全く把握できない。コントロールできない。どこにあるのやら、どこへ向かっているのやら…。