MY BIG MOUTH (is not big mouth)

昨日、通算11作目『遅れてきた孤高の台頭』(7月27日発売)のパッケージングを開始した。

私は、本来アコギ一本ではやれないだろうことをやっているーと自負している。

様々な試行錯誤を経て、自分の思う形に辿り着いた瞬間、結実の瞬間をノーカットで記録したのがこの作品。ミスも、ミスを気合いで捩じ伏せている部分も、全て赤裸々にぶち込んである。

ここにあるのは、前人未踏の音楽。私自身、色々な音楽を聴いてきたけど、こんなのは聴いたことがないんだから。

もう、その辺の奴らとは、比較されるのも嫌だ。私は、私の中で、ジョン・レノンやカート・コバーンと闘ってきた。今後も、振り払われないように、全力で食らい付いていく。

だから頼む。「音楽」という言葉の表皮。見たまんまの薄皮の部分だけを都合よく信じて、口を開けば「楽しい」としか言わない、仲良しこよしすることにのみ長けた、本当に音楽が好きな人間からしてみれば目障りでしかない同好会ノリの奴らと一緒にしないで欲しい。

何事も、「楽しい」に終始している間は本当に好きとは言えないし、「好きこそものの上手なれ」で、本当に好きになれない間は、何事も、上達しないと思う。


ライバルの存在〜帰ってきた戦友〜

リアム初のソロ・アルバム。10月6日(金)の発売に先駆けて、ジャケット・デザインが発表された。

めっちゃいいと思う。シンプルでかっこいい。若干、指名手配の人みたいやけど…。

11月には兄のノエルもアルバムを出すし、英国に於いて、リアムVSノエルの熾烈なチャートバトルが展開されることは間違いない。オアシス解散後、兄貴に負けっぱなしの弟、リアムだが、今回ばかりはリアムに軍配が上がるような気がする。何しろ気合いが違う。

リアム曰く「あいつが素晴らしい作品を出してくるのはわかってる。でも、俺のよりいいってわけじゃない」

そういえば最近、私にも、思いもよらぬ角度から思いもよらぬタイミングで、この上ないライバルが現れた。alphabet’s〜The Rippleyes〜BUTTERFLYと、長年、一緒にバンドをやってきたかつての戦友が、私も知っている素晴らしいソングライターとともに、長い沈黙を破ってバンド活動を再開したのだ。来月には、大阪でのライヴも決まっているらしい。

いつか、ライヴで当たることになったら、全力で闘いたい。そして、何が何でも勝つ。

「彼の音楽が素晴らしいものになるのはわかってる。でも、俺のよりいいってわけじゃない」


LOVE&PEACE

⬆︎先日撮った写真。

私はなぜ、こんなにも蝶が好きなのか。

たぶん、この世のものでありながら、この世のものではないような感じが好きなんだと思う。身体の9割が羽根って…。あと、あの直線的ではない、良く言えば指揮者が振るタクトの動きのような、悪く言えば酔っ払いのろれつのような、目的地に到着するまでに異常に時間のかかりそうな飛び方も好きだし、もっと言えば、そもそも目的地なんてありゃしないんだろう漂流感が好き。

人畜無害。攻撃性ゼロ。ただひたすらに花と戯れるのみ。でも、私が撮った写真を見てもわかるように、恋をするハートは持っている。LOVE&PEACE。自然界のヒッピー。

レノンは「鳥のように自由に」って歌ったけど、私なら「蝶のように自由に」って歌うと思う。


MONO

いまだに、CDを買う時、ドキドキする。ワクワクする。CD屋に入った時点ですでに、ドキドキしている。ワクワクしている。だから、音楽をネットでダウンロードして聴くなんて、味気なくて、私には考えられない。

音楽は、目に見えるものではないし、触れられるものでもないから、音楽に負けず劣らず実体のないネットでの取り扱いが幅を効かせることになってしまったんだろうけど、目に見えるものではないし、触れられるものでもないからこそ、CDとかレコードとか、「もの」に意味があるんじゃないかと思う。もちろん、実際には、音楽が見えるわけじゃないし、音楽に触れられるわけでもないけど、「もの」を見たり、「もの」に触れたりしながら、見ることも触れることもできないものを感じることに、感じようとすることに、意味があるんじゃないかと思う。

CD屋が潰れていく。

悲しくて、悔しくて…。


ticket to ride

私が初めて買ったCDがこれ。中1の時だった。

昔、阪急伊丹駅の下にタミータウンというショッピングセンターがあって、その中にある小さなレコード屋で買った。一枚しか買えないから、どれにしようか散々迷った挙句、これをジャケ買いした(ビートルズの曲で知らない曲はなかったけど、曲のタイトルを知らなかったから、ジャケ買いするしかなかった)。でも、このアルバム、「HELP!」や「YESTERDAY」は入っているものの、意外と地味な曲が多くて、「他のにすりゃ良かった!」と思った覚えがある。
時は流れて…地味な曲が多いという印象は今も変わらない。だから、ビートルズのアルバムの中で、最も聴く頻度の低いのがこれ。
でも、私にとって、これほど特別なアルバムはないというのもまた事実。音楽にのめり込んで、後に音楽をやるようになる自分の記念すべき第一歩がこれで、このアルバムを聴けば、あの時の私の心模様がぱあっと鮮やかに蘇る。

私の音楽人生は、あの時、このアルバムを買った瞬間に始まった。

あの時、私が買ったのは、CDの形をした乗車券だった。


無意味のススメ

昨日は、数年振りに一滴も酒を飲まなかった。そして、やはり数年振りに、全く音楽を聴かなかった。その代り、数年振りにイラストを描いた。

日頃、意味ありき、理屈ありきの生活を送っているから、たまに完全に無意味なものに触れると嬉しくなる。ましてや、それが、自分の中から出てきたものだったりした日には、自分の中にもまだ意味や理屈に侵されていない部分があるんだと思えて、なおさら嬉しくなる。

で、今回描いたこのイラスト。当然ながら、意味なんてこれっぽっちもありません。完全に無意味。一応、タイトルはあって、「カクテルの魂胆」っていうんだけど、このタイトルにさえ意味はない。徹底的に無意味。

でも、何故か、イラストを描くとスッキリするものがあって、たまに「描かねば!」という衝動に駆られるんです。


ぽろん

子供の頃、商店街でこれを見かけるたび、回転している時の中の状態を想像して、ちょっと興奮した。大人になって、その状態のことを「カオス(混沌)」と呼ぶようになった。

曲を書いている時、もしくは曲が出来上がった瞬間、思い浮かべるのがこの箱。頭の中がメロディーと言葉でごった返して、ごった返して、ごった返して、そこからぽろんと出てくるもの。それが曲。

天才と呼ばれる人たちに、人格的に問題がないとは言えない、ややこしい人が多いのは、仕方がないと言えば仕方がないし、当然と言えば当然なのかもしれない。

頭の中のカオスが壮絶であればあるほど(そして、そこにある膨大な情報量をコンパクトに纏め上げる能力に長けていればいるほど)凄い作品を生み出せるーたぶん、そういうものなのだろうから、そりゃ、尋常ではないでしょう。


DO YOU KNOW WHAT I MEAN?

例えば、旅行で訪れた初めての土地で、夜、居酒屋を探すことになったとする。初めての土地なので、どの店が美味くてどの店が不味いのかさっぱりわからない。となると、やはり、客の入りで店を選ぶことになるのではなかろうか。特に、私のように、自分の味覚にびた一文自信のない人は、他人の味覚を盲目的に信ずるより他ないのではなかろうか。

でも、もし私が、世界的に有名なレストランのシェフやなんかで、完全にプロな舌を持っており、また、その舌に絶対的な自信を持っているとしたらどうだろう。そうそう容易く一般人の味覚を信用するだろうか。何かもっと別の目線で味を見極めることができるのではなかろうか。

何故かと理由を訊かれれば理路整然と答えることのできる、確固とした根拠に基づいて、「基本、行列の出来ている店から順に外す」的なことさえしかねないのではなかろうか。

「食わずともわかる」と言って、あながち、冗談でもなかろう。