新田茘枝登場

新田茘枝(にった・れいし)…私のペンネームである。

今後、私は音楽を演る時も、小説を書く時も、絵を描く時も、この、「新田茘枝」を名乗ることにしました。
「茘枝」とは、俗に言う「ライチ」のことで、ここ数ヶ月間、自分の胸中に、ソフトボール大のライチが、張り裂けんばかりにパンパンに膨れあがってるような感覚を味わってきたということと、新たなフィールド(新田)で、ゼロから始める(零始)という意味合いを込めて、「新田茘枝」を名乗ることにしました。
実は既に、この新田茘枝名義でいくつか作品を完成させています。絵を6枚と、『リスパダール』というタイトルの小説(短編集)を、作った。
『リスパダール』は、『イッケイノウタ』上に載せた短編小説5作品を大幅に改良したもので、各出版社に送り、感想文などももらっていて、今は今で、私小説的な、結構長くなるであろう小説を書いています。

表現の軸を、音楽から文学に移したというのが、ここ最近の私の最大の変化だと思う。と、言っても、決して、音楽を止めたというわけじゃなくて、軸を移したというだけの話。

私は、極めて個人的な信念として、良い絵を描きたいのなら、音楽も文学も平行してやる神経がなきゃ駄目だと思ってるし、また、良い音楽を演りたいのなら、文学も絵画も平行してやる神経がなきゃ駄目だと思ってるし、となると当然、良い文学を著したいのなら、音楽も絵画も平行してやらなきゃ駄目だと思っています。
よく、絵画は「光と影」と言い、音楽は「動と静」と言い、文学は「虚と実」だと、それぞれ区切って言うけれども、でも、本当は、これは皆、全てに共通して重要な要素で、要するにみんな基本的には同じことなんだと思うから、全ての目線を平行して持つことが大切だと思うのです。

ま、なんて言うか、その、私、今や、バツイチです。で、「次」を考えた時、もう本当に、芸術の鬼、悪魔、馬鹿野郎、人でなしになってやろうと思ったのです。

「人生にはたまにフィーバーってことがある。その時は、そんな自分にちゃんと気付かないといけない。でも、いつまで経ってもフィーバーの出ない時は...その時は、潔く台を変えることね。」
「あきらめないで」でお馴染みの、真矢みきの言葉が、私を大いに揺るがしました。

新田茘枝の本分は文学です。


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